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ええ女の条件。

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日付の変わる少し前まで、大学時代の旧友達と中華料理店にて、美味い酒、旨い食事を飲みかつ、これを食らい、和談に花を咲かせていた。僕としては珍しいというか久方ぶりの友人達との触れあいの場であり、とても楽しかった。 さて、そんな楽しい酒宴の席で、僕は 「ええ女」 というものに出会ったので、忘れないように、酩酊してはいるけれど、ここに記しておこうと思う。 ええ女は突如現れた、というと、さっきまでいなかったええ女が、遅参もしくは呼んでもいないのに現れたと受け取られるかも知れないが、そういう意味ではなく、その女は酒宴中ずっと僕の隣にいて、ずっと和談に参加していたのだけれど、その女が 「ええ女」 であるということが、突如判明したという意味である。もちろん学生時分の旧友である。全員皆ええ人、ええ友達、女も皆ええ女である。しかし、僕がその女友達に対して抱いていた 「ええ度」 が飛躍したのである。 話はちょうど僕が 「デアゴスティーニやないねんから」 というツッコミを入れたところから始まる。酒宴も佳境を超え、そろそろ最終電車が近いという折、なにかの拍子に僕は 「デアゴスティーニやないねんから」 とツッコミを入れたのだけど、そしたら隣に座っていたY氏がいきなり、それはもう、本当に 「いきなり」 と言う他ないくらいいきなり、 「私、デアゴスティーニ買ってるねん。 『チキュウノコウブツ』 」 と言い放って、場は消沈した。 その時その場にいた全員が、一瞬にして同じことを思っていた。 「チキュウノコウブツってなんじゃぇ?」 するとY氏はまるで、 「世界中のみんなが知っているのに、あなたたちだけはそれを知らないのか?」 とでも言いたげな、不思議そうな顔で、言った。 「石、隔週で、石が送られてくるやつ」 と。 デアゴスティーニを知らない人はさすがにいないと思う。2週間に一度、デアゴスティーニ社より、おまけ付きの雑誌が送られてくる。例えば 「週刊フェラーリ」 みたいなものだと、毎号毎号フェラーリの概要、詳細、歴史などを記した雑誌と共にフェラーリのプラモデルを構成する部品がひとつびとつ送られてきて、最後まで購入したものは、フェラーリの精巧なプラモデルの完成形を手にすることができるというものである。僕もかつて、 『隔週刊 Xファイル DVDコレクション』 なるものを...

AppleTVを楽しむ。

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ずくずくの体調の中、ようやくAppleTVとiMacの接続が終わった。まぁ、 「ようやく」 つっても線を差すべき所に差して終わったんだけども。 もともとAppleTV(ver.2)は発売日に購入していたものの、まずHDMIケーブルがなくて断念。 「いやでも、僕はなんせコードの魔術師で、我が家にはありとあらゆるコードがある。だから、どこかにあるはずだ」 と部屋中を引っかき回してようやく出てきた通常のHDMIケーブルではあったが、ヘッドがデカすぎて、これを本体に差してしまうとヘッドが隣にある電源コード用の穴を塞いでしまって、電源コードが本体に差せない、電源コードを本体に差してしまうと、HDMIケーブルを本体に差せないという悲劇に見舞われた。 Appleが純正のHDMIケーブルを販売している 理由はそこにあったのである。 サイズを考えろ、サイズを。 別途、ヘッドの小さなHDMIケーブルを買わないとアカンという現実と、当時はそこまでするほどAppleTVに価値を感じていなかった僕は、完全に心が折れてしまい、以降そのまま放置していた。 しかし、iPod、iPad用のiOSが4.2にバージョンアップされ、今まで 『AirTune』 と呼ばれていた、無線でお近くのコンポに音楽を飛ばせます機能も 『AirPlay』 と名前を変えてバージョンアップした今、再度AppleTVと向き合うことにした僕は、朝から頭が痛かったけれど、HDMIケーブルが届いちまったからしょうがない。 重い頭をぶら下げて接続作業をしたら5分で終わった。 AppleTV Appleのいいところのひとつに、全ての製品がAppleの作ったものなので、だいたいはつなぐだけで動くという点があると思う。 さて、AppleTVを使ってみてどうか。 楽しい。 僕は今まで、パソコンに溜めていたミュージックビデオを家のテレビで映し出すために、一旦iPod touchに観たいミュージックビデオを収納し、別途買い求めていたテレビ出力用のDockにiPodを差し込んでテレビから出力していた。 絶対失くしそうなリモコン しかしこれからはそんなことをしなくても、iTunesを再生すれば、テレビから出力してくれるし、iTunesの再生も、わざわざiMacの場所まで歩いて行かなくても、この、絶対失くし...

乱れるのは一晩限りの女だけでいい。

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「服装の乱れは心の乱れ」 という格言がある。とても良い言葉だと思う。 「心の乱れ」 という複雑でデリケートな問題を 「服装を正せばよい」 という単細胞な解でもってねじ伏せる身も蓋も、元も子もない感じ、格言とはこうでなくてはならないと思う。 ところで、もし僕が、 「服装の他に心の乱れを現す 『乱れ』 はな〜んだ?」 と訊かれたら、間違いなく 「室内の乱れ」 と答えるだろう。独り住まいをされている方には同意していただけると思うのだけれど、心が乱れていると、室内が乱れる。これはもう間違いない。 「室内の乱れは心の乱れ」 である。 先述のエントリーで、別に僕はここ最近穏寧無事に生活しているわけではない旨書かせていただいたのだけれど、これは事実で、ここ2週間ほどの僕の心は荒れに荒れている。 現在、目の前にうずたかく山積している問題に立ち向かいて、1つ1つ丁寧に片付けをしているのだけれど、 「1つを片付けるとなぜだか新に2つの課題が増える」 という不可思議な症状に見舞われており、問題を片付ければ片付けるほど、結果、問題が増えていくという状況に身を置くうちに、僕の心は乱れ、荒み、腐乱していった。 するとどうなるか。 気がつくと、部屋が絶望的なまでに乱れていたのである。 脱いだ靴下は脱いだ場所に、飲み終えたコップは飲み終えた場所に、食い終えた皿は食い終えた場所に、読み終えた本は読み終えた場所に、読んでさえいない封書は玄関付近に、無秩序に不作法に散らばって、たとえばトイレの便器脇にステレオのリモコンが置いてあったり、珈琲を空けたマグカップに使い終えたフェイシャルペーパーが丸めて突っ込んであったり、寝床で背中が痛いなぁと思ったらベッドのど真ん中に認め印が置いてあったり。 とにかく部屋は乱れに乱れきっており、また僕は山積する課題との格闘に100%を費やしていたため、それらを片付ける心的余裕を失ったまま2週間を過ごしていた。 するとどうなるか。 コーヒーを飲むのにマグカップがない。目玉焼きを焼くのにフライパンを洗っていない。さっき買ってきたコーラだと思って飲んだコーラが3日前に買ってきたコーラの飲み残しで、ぬるい弱炭酸の液体が口腔内に入ってきてそれを吐き出して咽せた、その咳で灰皿の灰が舞い上がり、その灰を鼻から吸ってしまった僕はクシャミをした勢い...

クリスマスツリーを飾り付ける。

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寒い。 毎年、 「冬ってこないに寒かったっけ?」 と思うし、 「夏ってこないに暑かったっけ?」 と思うのはこれ、僕に学習能力がないからだろうか。いや、みんな多かれ少なかれ、そう思ってるだろう? ということで、いよいよ冬将軍がやってくる。冬は嫌いだ。まぁ夏も嫌いだし秋も春も別に好きではないのだけれど、嫌いな冬をいかに楽しむか、これは自分の人生を 「素敵」 にする上で重要な考え方であると僕は思う。 冬を楽しむといっても、スキーやスノーボードのような能動的アウトドアアクティビティには興味がない。今、 「興味がない」 とかっこつけたけれど、本当は興味津々で、行けるものなら行きたいけれど、金子が及ばないため 「行けない」 のである。かっこつけてごめんなさい。 僕がもし金満大富豪であれば、来る冬に対して、さして万全な準備をせずとも 「ほな、南国でも行ったろかいな、プライベイトジェットを手配しておくれ」 と一言云えば住む話なのだけれど、なにぶん赤貧が服を着て歩いているような現状において、なんの準備もなく冬を迎えるというのは、これ、危険である。 貧民、赤貧が冬を、というか人生を楽しもうと思ったら、何かにつけて予め十全な準備が肝要なのである。 前置きが長くなったが、そういった理由もあって、とりあえず来る冬に備え、冬の代名詞である 「クリスマス」 に向けて、クリスマスツリーを飾り付けることにした。幸いにして三葉さん宅にはクリスマスツリーと三葉さんお手製の飾り付けが既に用意してあるため、僕が身銭を切る必要もない。貧乏人にはありがたいイベントとなった。 しかし、いざクリスマスツリーを組み立てて、その枝枝に飾り付けをぶら下げていく段階になって、これはなかなかややこしいなということに気付いた。 飾り付け開始当初、僕は無計画に、デタラメな鼻歌を歌いながら、ツリーの枝枝にデタラメにリボンと鈴をぶら下げて 「ほほん、ゴージャスやん」 などと嘯いていたのだけれど、飾り付けの在庫が少なくなってきた頃になって、ツリーにぶら下がる飾り付けのバランスの悪さが如実になってきたのである。もともと三葉さんが準備してくれていた飾り付けは真っ赤なリボンと鈴をモチーフにした小物の2種類である。またリボンは三葉さんの手作りであるため、そんなに大量生産されていない。 ある箇所には大量のリボンと鈴...

睡眠を妨害されて卵が食えない。

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睡眠に難がある僕は、睡眠のために多額の金子をつぎ込んできた。 枕然り、ベッド然り。寝る2時間前くらいからは部屋中の電気を消し、間接照明と友人がフランスから買ってきてくれたアロマキャンドルに火を灯し、心をこれ、落ち着けて、いよいよ睡眠に向かっていくのであるが、こういった儀式的なステップを踏んでいくことで、逆に緊張感が増してしまい、布団に入ったときにはその緊張感がマキシマムに達していて眠れないという矛盾を抱えることも多い。 しかし、最近それ以上に僕を悩ませているのがBGM問題である。 先述の通り、僕は睡眠のためにありとあらゆる施策を講じてきている。もちろん心療内科で睡眠剤を処方してもらってはいるが、あんなものは気休めみたいなものであり、肝要なのはやはり心の安寧である。 それなのに、ベッドの中に入ると人間とは不思議なもので、なにもやることがなくなると現在抱えている問題が次々と頭に議題として持ち上がってくる。 「あー、金がないなぁ」 とか 「あー、金もないなぁ」 とか。そこで僕はマッキントッシュ内蔵のアプリケーションiTunesに、寝るのにうってつけなアンニュイな曲たちをリストとしてピッカップし、寝るときにBGMとして小さい音量で流している。それもマッキントッシュからコンポに無線で音楽を飛ばし、コンポからBGMが流れるように設定してあるのだけれど、音量を絶妙に設定したつもりで布団に入ると 「ん? ちょっと音量でかすぎるか?」 と思えて眠れない。そこで布団を出て、コンポのつまみを少々いじって再び布団に入る。今度は 「あれ? 小さくしすぎたかな?」 と思えて眠れず、再度布団を出て音量を少しく大きくする、という行為を延々繰り返していたら朝になっていた、なんてことはしょっちゅうである。 そこへきて、最近さらなる問題が勃発している。実はこのコンポがもはや寿命、その命、風前の灯火であるせいで、たまに左右どちらかのスピーカーの調子が著しく悪くなり、 「ビリビリ」 だの 「ゴゴゴゴゴ」 だのという不快音を発したり、BGMそのものが途切れたりするようになったのである。 音量をちょうど良い感じにしたのに、バンドがバスドラムを踏む度に 「ビリビリ」 という不快音を発してしまえば、これはもうはっきり言って眠るとか、眠らないとかの問題ではなくなってくる。 そもそも、僕のコンポは...

オレ、炊飯して。

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炊飯を頼むと、烈火の如く高温になる奇病に罹った炊飯器のせいで、毎回白米が玄米だ、古代米だの様相を呈してしまうようになり、こんな故障した炊飯器など棄ててしまって、最新式のええやつを買うてやるんです、僕は。と息巻いていたのも束の間、調べてみると最新式のええやつは皆べらぼうに高価で、負債こそないものの、大飢饉により村民が自分の糊口をしのぐので精一杯である水野村なんぞにそんな炊飯器代を捻出できる余裕もなく、僕は毎日烏賊を囓って笑っていた。烏賊を囓ると、なんだか笑ってしまわないか? そんな僕の炊飯人生に転機が訪れた。 或る日、さすがにここまで汚れてきた部屋を掃除しなかったら保健所が来るぞと改心し、 「保健所が来るぞー、きゃーっ!」 とか言って巫山戯ながら家中を掃除、やがて僕の雑巾号は台所にまで進出し、流し台の下にあるモノ入れにまで清掃の触手を伸ばしていたら、モノ入れの奥の奥。 これ以上向こうにはきっとたぶん壱百万匹のゴキブリしかいないぞというほど奥まった場所に、なんと圧力鍋が封印されていたのである。 彼の名は 『活力なべ』 。 旭精機さんご提供の、かつて一世を風靡した高機能圧力鍋である。なぜ彼がここに鎮座ましまして、埃まみれになっているのかについての理由はこの場では割愛するけれど、とにかく僕は圧力鍋を手に入れたのである。 圧力鍋なんてモノは、爆弾と一緒だと思っている僕は、何の助けもなく活力なべを使用する勇気が出ず、せっかく片付きかけていた部屋中の彼方此方をひっくり返してようやく活力なべの取扱説明書を発掘。繙いてみると、 「白米を炊こう」 なるページに遭遇し、僕はガッツポーズを決めてタンカレーをストレートで流し込んで、んで咽せた。 爾来、僕は米を圧力鍋で炊いている。 水に数十分米を浸して、それから強火で沸騰するまでガンガンに熱して、ガスみたいなんが吹き出したら弱火で1分。内圧栓が下がるまで待って蓋を開けると、そこは一面の銀世界である。 説明書によると、 圧力鍋で白米を炊くと、米のデンプンが完全にアルファ化(米が完全なご飯になること)し、透き通って見えるため、蓋を開けた瞬間米が銀色、もしくは灰色に見えることがあります。 とのこと。 米が完全なご飯になることを 「アルファ化」 と呼ぶ理系的センスはさておき、実際圧力鍋で飯を炊くと、なんだか灰色...

洗濯の必要。

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そもそも洗濯機を外にしか設置できないというのが問題で、昔は川で洗っていたんかなんだか知らんが、一度でも 「じゃあこれからはそれぞれ、各家庭で洗うということで」 となったんなら、もう家の中に、屋内に運びこまなアカンかったのに、うちの洗濯機は外にある。 コンセントは中にあるから中からのコードをピィーンって外に引いていて、結局それにつまずいて和室に洗濯バサミやら洗濯籠やらをぶちまけた。 したら洗濯籠が飲みかけの紅茶入りマグカップに直撃⇒転倒。紅茶は畳にぶちまけられて濃い小便みたくなって、僕は露骨にうろたえ、雑巾を取りに台所に行こうとした左足をくじいてバランスを崩して転倒、手をついた場所には先程ぶちまけたばかりの洗濯バサミが、撒き菱みたいに配置してあって3つ手の平に突き刺さる。くじいた左足は畳をすべって濃い小便みたくなってる紅茶ゾーンに到達してびっちゃびちゃになりながら、倒れているマグカップをキック、マグカップは上手に壁に当たって上手に飲み口を欠けさせて軽くスピンして笑っているし。 これはさすがに茫然としても怒られへんやろと、心置きなく茫然としようとしたら、紅茶ゾーンの拡大。急成長。腐海。部屋の脇に置いてあるお布団にじわりじわり迫っていて、僕は茫然もできずに 「やめてー!」 つって、紅茶に、液体に訴えて、でも雑巾は台所にしかないし、辺り一面洗濯バサミ地獄動けないし、で 「あぁもうダメー」 って叫ぼうとしたら突如紅茶ゾーンの拡大、畳の紅茶化がぴたっと停まった。 吉兆や、吉兆やと浮かれかけたけれど、別になんということはない。それまでは横方向に勢力を広げることが楽しくて仕方なかった紅茶たちが、沈み行くことへの快感、 「沈み行くって、えぇわぁ」 に気付いただけのことで、耳を澄ませば紅茶の畳に染み込んでいく音、 「ジミミミミ…」 が聞こえてくる。 びっちゃびちゃの足痛いなぁと半泣きでたどり着いた台所の雑巾、全部濡れ雑巾。 結局紅茶を左から右に、右から左に動かすだけ。エアホッケーみたいになってその間も紅茶は順調に畳を沈んでいって、きっとたぶんいつか付近を流れる芦屋川にたどり着くだろうから、明日は芦屋川で洗濯をしよう。 & ↑ 2種類のランキングに参加中です。 写真と動画のポップアップ機能を実装。「実装」っていう言葉は恥ずかしいけど、もう「実装」っ...