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処刑人Ⅱがメチャメチャ面白かったことをここに報告しておきます。

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『処刑人Ⅱ』 がとても素晴らしかった。トロイ・ダフィー監督はパート1から10年経ってこの 『処刑人Ⅱ』 を制作したのだけど、監督自ら 「この10年、この映画のお陰で食ってこれた。パートⅡはファンへの恩返しだ」 と言う通り、パート1のファンにはたまらないストーリィになっていた。ユーモアのセンス、アクションシーンのかっこよさ、そして名物となった、 「捜査官の謎解き」 の方法も健在で、とても10年経った作品とは思えなかった。ナメてた。 「どんな映画でもパート1が一番面白い」 説を盲信してしまっていた。ごめんね、トロイ。この映画のいいところは、たとえばアクションシーンはかっこいいのだけれど、ガイ・リッチーみたいに 「かっこええでっしゃろ?」 みたいな、露骨な表現をしない。 「セインツ」 と呼ばれる兄弟は、法で裁けない犯罪者を殺していく 『処刑人』 となって、マフィアを次々と始末していく。その度に兄弟は作戦を立てるのだけど、この作戦がもう、なんというか、杜撰極まりなくて、時々ビックリするぐらい失敗する。そういうダサいシーンがユーモアになり、また、逆に作戦がバッチリ決まったときのアクションシーンを盛り上げるのである。映画ってこれぐらいの杜撰さと、ここまでの勢いがないと面白くないよなぁと思わせてくれる作品だと、僕は思う。 『処刑人Ⅰ』予告編 『処刑人Ⅱ』予告編 で、もともと7年前ぐらいに僕がこの映画にハマった一番のきっかけは、パート1のオープニングシーンと、そこに流れるケルト音楽 "The Blood of Cu Chulainn" に一気に魅了されたからで、この曲が入っているCDが欲しくて探し回ったのだけど、当時、アメリカで銃の乱射事件があったかなんかで、サントラが発売されていなくて、もちろん日本でも売ってなくて、僕は映画のエンドロールに書いてあったタイトルをヒントにいろんなチャットサイトに飛び込んでは、アイルランド人に声をかけ、CDを持ってないか聞いて廻った。最終的に、あるアイルランド人がCDを持っていることがわかり、彼と必死に拙い英語交渉をして彼のCDを譲ってもらったという経緯がある。 "The Blood of Cu Chulainn" ( 『処刑人Ⅰ』 のオープニング 3:09〜6:50あたり) そこへき...

語り合えない感動の話。

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『SAW』 という映画がある。名前ぐらいは聞いたことがあるかも知れないし、それに伴って 「めっさエグい映画だ」 という評判も聞いてるかも知れない。 『SAW 1 予告編』 ちなみに僕は、映画の予告編を集める趣味があって、この予告編の最後の 「SAW...? SAW...」 ってところがメッチャ好きだぜ。 この映画、確かにとてつもなくグロテスクである。人が切り裂かれ、撃ち抜かれ、爆破され、破裂する。そのグロテスクさは評判となり、その評判のあまり映画を観てないという人が多い。ただ、ストーリーとして、とてもよくできているのである。 『SAW』 はシリーズ7作で完結するのだけれど、まぁだいたいこういうシリーズものというのは 「1」 が一番よくて、それ以降惰性で続いていくというのがジンクスみたいになっているし、 『SAW』 に関しても、 「1が一番よかった」 という評判を聞くこともあるが、僕はそれには首を傾げざるを得ない。 というのも、この映画は 「1」 とか 「2」 とかついているけれど、7作全てでようやく 「1作」 なのである。 「1」 は始まりでしかなく、何も解決していない。それを 「一番よかった」 と言いたくなるのは、単に、あのグロテスクな描写、極限まで追いやられた人間が、最後あんなことまでするのかという 「驚き」 に騙されているだけだと断言したい。実際、 『SAW』 のグロテスクさは回を重ねるごとにひどくなっていくし、回を重ねるごとに徐々に明らかになっていく謎や、明らかになったと思った解が間違っていたりと、クオリティは確実に上がっている。 「1」 は 「2」 以降へのイントロでしかないのである。 しかし、この感動を分かち合える人間が周囲にいない。 誰も 『SAW』 を観ていないのである。 「1」 については、まだ 「密室に閉じ込められた二人の男性と、真ん中に死体」 というキーワードが辛うじて通じるが、例えば、僕が個人的には一番好きな 「3」 や次に好きな 「5」 などに関しては、もはやそんな映画、昔あったよね〜と、認識もしてもらっていない状況である。 たしかに、グロテスクが苦手だという人の気持ちはわからないでもないし、そういう人に 「そういうシーンは目をつぶってたらいいから」 と言ってしまったら、最初から最後まで目をつぶってもらわないといけ...

宇宙人について考える。

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地球の約7割、これは実は海でありまして、その海の、深いところにあるいわゆる 「深海」 についてはまだ全体の1割程度しかその詳細が解明されておらず、専門家をして、 「深海は、もうひとつの宇宙」 なんちってかっこよく言われているんだそうです。 僕は、深海生物が好きなのですが、以前、エネエチケー(NHK)で深海の特集をやってまして、嬉嬉として番組を観覧したときの話です。 とある深海の、とある海底火山地帯に、硫化水素という気体がドッボドボ溢れている場所があるのですが、長年、専門家達は 「その辺りに生き物はいない」 と決めていたのです。というのも、硫化水素というのは我々生命にとってものすごく猛毒、学名: 『モノゴッツ・モードック』 なので、それを喰らってしまったら生命体はもはややってられない、腹が痛い、関節が痛い、朝起きられないっつって、結局生きていけないという学説が当時の常識だったのです。 その学説の根拠は、当時、生物学界での常識であった、生命体がビンビンやっていける3条件。 「酸素」 と 「水」 と 「有機的物質」 。 この3拍子が調っている環境じゃないと生きていけないって決まっていたらしいんですね。 んで、 「じゃーさー、マジ生きモンいねぇのか、見てやろうぜー」 つって、アナーキーな専門家達が、いい年こいた大人達が、大枚叩いて高性能マシンを買って、そいつで史上初、その硫化水素帯を見に行ったんですけど、そしたらもう、アホほどいたんですよ、 生物が。 なんや知らんが、全長5メーターにも及ぶイソギンチャク的なやつとか、全身真っ白なエビ型生物、全身真っ白な魚型生物、全身真っ白なヒトデ型生物が 「うぃーっす」 、 「イェイイェイイェーイ!!」 つって生活してたもんやから、さすがのアナーキーな専門家達も、モニターに映し出された後継に 「ウソヤン…」 と言うていたそうなんですね。 僕の、本当にドシロウトの目線で恐縮なんですけど、その上で思うんですが、 「生命は硫化水素地帯では生きていけない」 なんて、誰が決めたん? 確かに、我々ヒューマン・ビーイングは 「酸素」 と 「水」 と 「テリヤキマックバーガー」 がなければ生きちゃいけませんが、僕達の知らないところで、逆に 「硫化水素がなくちゃ生きていけない生物」 がいたっていいじゃないか。そもそも、...

心配しすぎやと思うぞ。

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静岡発! 「和食に合う」緑色の“お茶コーラ”登場 http://gourmet.oricon.co.jp/76168/full/ 担当者は 「もっとお茶を近くに感じてもらいたい」 と言うてるらしいけれど、日本人にとって、お茶はトップクラスに身近なものじゃないか。そんな身近なものをコーラなんかにしちまったら逆に引かれるかもしれんよ。 まるで、品行方正成績優秀、誰からも慕われ愛され優しかったミヨちゃんが国連で世界のために働くっつって渡米。みんなで空港までお見送りして、 『ミヨちゃん、我が町の星!』 っていう横断幕掲げながら涙でさよならしてから2年。久しぶりのミヨちゃんの帰国をバゲイジクレイム周辺で皆で待ってたら、顔面にガーベラの入れ墨を刺して金髪のコーンロウで頭をぐるぐる巻きにした、金の巻き糞頭の女が近づいてきて 「ヨー、メーン。ファッキンジャップどもが、シャッタ・ファッカップ!」 つってニヤリと笑うその歯上下ともには総金歯で、歯の表面には 『PUSSSY CAAAAT』 と掘ってあって、皆が 「こいつ、誰だ」 と思うのだけど、ミヨちゃんの幼なじみでミヨちゃんにひそかに想いを寄せていた、伊与太だけはその金髪金歯巻き糞女が他ならぬミヨちゃんだということにいち早く気付いて失神。 徐々にその場に集まった全員が、この、金髪金歯巻き糞片乳とケツ丸出し厚底ブーツ女が、待ちわびたミヨちゃんご本人だと気づきはじめ、その場はなんか、なんか変な感じになっていってしまって、いつしかなんとなく散会。本来行われるはずだったミヨちゃんを囲んでの居酒屋 『にょりんとす』 での飲み会も中止となる。 しかし妻に 「晩飯はいいわ」 と行って出てきた手前、早い時間に家に帰ることもできない向島と斜下は、なんとなくそのまま 『にょりんとす』 に入って、無言で突き出しである蓴菜の芥和えをぱくぱく口に運んでいてスタッフは 「っしゃ~ぁいまっせぇ~」 と賑やかで、そんな活気とは一線を画した空間で沈黙しながらネトネトの蓴菜を食うていた向島が、なにかの弾みでこう呟くのである。 「変わっちまったな、あいつ」 斜下はなにも答えずに、空になった小鉢を箸の先端で突いている。 お茶コーラも、そんな目で見られやしないか、僕は心配で仕方ない。 & ↑ 2種類のランキングに参加中です。

ポジティブシンキングについて。

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愛読している 内田樹さんのブログ で、内田さんが大学の入試部長をしていて、 「うちの大学の合格者のうち、うちの大学にきてくれるのは何人いるか」 という 『残留率』 を算出するに当たり、楽観主義であることについて述べていて、楽観主義であることが悲観主義であることよりいい理由について、下記の通り書いてあった。当たり前のことが、当たり前に書いてあるだけのことなのだけれど、こうも当たり前に書かれていると、 「そっかぁ、そうだわなぁ」 と思う。 ちなみに内田さんのブログは引用自由である。 私が好んでものごとを楽観的に見るのは、悲観的予測をするとしばしば悲観的未来を進んで呼び寄せてしまうことを経験的に学んだからである。 というのは、悲観的予測をしたあとに、そのような事態が到来しなかった場合、それは予測者の知性がかなり不調であったことを証明してしまうからである。 それゆえ、大学教員のように自分の知性が好調であることを証明することが死活的に重要である職業においては、悲観論者は(無意識的に)、悲観的事態の出来を願望するようになる。 予想とおりの危機的事態が起こり、楽観論者が備えをしていなかったせいで、右往左往している様を見て 「だから、言ったじゃないか」 と冷笑を浴びせる日の来ることをいつのまにか待望するようになるのである。 そして、その日の到来を前倒しにするために、わずかずつではあるが、悲観的事態そのものを自分の手で作り出すようになる。 日常的には 「だから、この学校はダメなんだ」 という捨て台詞を会議や打ち合わせの席で頻繁に口にするというあたりから始まり、教場で学校のシステムや同僚の無能をあげつらう、やがては近所の高校生に 「女学院大学に行きたいんですけど」 と訊かれたときに、反射的に 「止めたほうがいいよ」 と忠告するようになる。 このような人々の日常的努力のおかげで、問題の多いシステムが円滑な機能を回復するということは起こらない。働きの悪い同僚たちの士気が高まるということも起こらない。学生たちが上機嫌で勉強するようになるということも起こらない。 もちろん彼らのおかげで志願者数が増加するということも起こらない(絶対)。 だから、私は同僚たちには(多少の無理を承知で)、 「楽観的に行きましょうよ」 とつねづねご提案しているのである。 「まあ、なんとかなる...

Fw.『労働について』

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内田樹のブログに良いことが書いてあって、もう徹頭徹尾、一から十まで、十全に念入りに、全体的に包括的に、全部良いことだったので、もうこれは丸ごと転載しようと思う。ご本人も、ブログで書いた文章を 『転載自由』 と言うてくださっているので、それに甘んじようと思う。働くということが、こういうことだったらいいなぁと、心から思うエントリーである。 【2010年4月28日|内田樹の研究室より全文転載】 ⇒ http://blog.tatsuru.com/2010/04/28_1018.php 『労働について』 月曜の 「キャリア教育」 の一こまと、専攻ゼミで 「働くとはどういうことか」 についてお話する。 月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。 お相手は2,3年生。 就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、 「働く」 ことについて漠然とした先入観は有している。 けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。 彼女たちは 「ワーク」 を 「競争」 のスキームでとらえている。 閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが 「ワークする」 ことだと思い込んでいる。 そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は 「ワークする」 ことの意味が違ってくるという消息がうまく呑み込めない。 「働くとはどういうことか」 について、原理的な話をする。 競争や消費は個人単位での活動だが、労働はそうではない。 労働は原理的に集団で行うものである。 労働においては、努力とその報酬が 「個人単位」 ではなく、 「集団単位」 で考量される。 だから 「仕事ができる人」 というのは、 「個人的に能力の高い人」 のことではなく、 「集団のパフォーマンスを向上させることのできる人」 を指す。 端的に言えば 「他者に贈与できる人間」 のことを指す。 その理路を学生たちに縷々説き聞かせる(むずかしいけどね)。 同じことを前に 『日本の論点』 に書いたので、その一部を引いて論じた。 それを再録しておく。 ...

オレ、コイツ、キライ。

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日本人に大バッシングのイルカ漁映画『ザ・コーヴ』、配給会社社長が反論! 「日本人の手で撮影されなければならなかった作品」 http://www.cinematoday.jp/page/N0024208?g_ref=twitter 「『いただきます』という言葉は生きとし生けるものの命をいただくということの感謝を表していると言いますが、実際には必要以上の命をいただいているわけです。日本人の謙虚さをもう一度思い出すべきではないかと思います」 『日本人の謙虚さ』ってなんじゃい。 謙虚な日本人もおれば謙虚じゃない日本人もおるし、謙虚な外国人もおれば謙虚じゃない外国人もおるし、必要以上に食うてる日本人もおれば、食えなくて泣いてる日本人もおるし、必要以上に食うてる外国人もおれば、食えなくて死んでる外国人もおるし、イルカ食う日本人もおるし、イルカ食わん日本人もおるし、イルカを可愛いと思う日本人もおるし、イルカを怖いと思う日本人もおるやろう。 そもそもお前は都合の良いところだけ懐古的なんじゃ。イルカ猟はその地方の古来の文化なわけやろ。お前の言うように、古来、日本人が仮に謙虚やったとしても、日本のある地方で、謙虚な日本人がイルカを食うとったいうだけやないか。 ものっそ謙虚な日本人が、感謝の心を忘れずに、必要最低限にイルカを食うてたとしたら、お前はそいつにどう説教するねん。 んで、もう、ホンマ、こういう部分がぽっと出感丸出しやけども、 「ハリウッドセレブではヘイデン・パネッティーア、ロビン・ウイリアムズ、ベン・スティラーなどが映画への応援メッセージを寄せています。レオナルド・ディカプリオも自身のサイトでこの映画を紹介しています」 お前、舌の根の乾かぬうちに日本人の心忘れてハリウッド飛んでしもとるやないか。んで、ヘイデン・パネッティーアって誰じゃ~い! ピザか! ピザの名前か! 「世界の主要国すべてから非難されていると言ってもよい問題」 ってなんやねん、大雑把やねん、お前の意見はなんもかもが。主要国ってなんやねん。んで、主要国から非難されるのと非主要国から非難されるのとでは何が違うねん、体裁か? 体裁か? 体裁やろが!! イルカ食おうが、クジラ食おうが、牛食おうが、人食おうが、別にええやないか。 んで、イルカ食うヤツを批難しようが、クジラ食うヤツを批難しよう...

今、希望が指をすり抜けていく。

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禿げてきている、完全に。 どうしよう。本当に禿げてきている。 「まさか禿げてくるとは思わなかった」 とは言わない。親父も禿げているし、父方の祖父なんて禿げてしかいなかった。禿げの塊であった。ただし、若干期待を込めていた部分もあって、それは、ふっさふさのロマンスグレーだった母方の祖父である。僕は体質的に、痩せぎすな部分も頭痛持ちな部分も神経質な部分も完全に母親譲りなので、頭に関してもその流れを汲んでロマンスグレーに辿り着けるんじゃないかと思っていたら、禿げに関しては父方であった。 これは一体どういうことだろう。 双方のダメな部分ばかりを遺伝させて、神様は一体僕にどうして欲しいのだろう。 僕は色白のガリガリで、頬がこけており、鷲鼻で耳が妖精のごとく尖って、前に向かってピンと立っている。そう、禿げには不向きな外見をしているのである。よく、 「禿げたら潔くスキンヘッドにするぜ」 と言う人がいるが、それはお前がスキンヘッドが似合うから吐ける科白であって、ちゃんちゃらおかしいぜ、オレに言わせたらよ。 昨晩のことだった。 シャワーを浴びて、一心地ついて、歯を磨こうと洗面台に立ったとき、鏡に映る自分の頭、その分け目に釘付けになった。 分け目が、笑えないぐらい太かった のである。もう、人一人が渡れそうなほどな真っ白な分け目が、生え際から奥に伸びて、そして消えていた。まるで北海道のようであった。 「まるで北海道のようだ」 と呟いても僕は笑えなかった。分け目の両サイドには力なく倒れる毛髪たち。彼ら彼女らには立ち上がろうという意志がまるで感じられず、まるで死んでいるようだった。 思い返せば特に最近、洗髪をしているときに、無意識に顔面を摘む回数が増えている。これはつまり、抜け落ちた毛髪が顔面に張り付いているのを取り除いている動作であり、つまり紛れもなく髪の毛が抜けているということである。 鏡を見つめること数分、 「育毛しかない」 と僕は決意した。 金子の及ばない毎日ではある。通常生きていくのにも一苦労だ。しかし、まだ禿げてはいけないと思う。僕はまだ禿げてはいけない。男一匹28歳、今禿げられては困る。50、60になるまでは待ってくれ。それから好きなだけ禿げ散らかってくれればいい。まだ時は満ちていない。It’s too early.である。今はまだ禿げて...

西暦和暦変換法。

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西暦を和暦で言う、もしくは和暦を西暦で言うのが結構めんどくさい。 もちろん今年ぐらいは 「2009年で平成21年」 と自信満々で言えるけれど、じゃあ 「2002年は平成何年?」 とか 「平成17年は西暦何年?」 とか言われたときに、もはやここまで、ぐぅの音も出ねぇ、ということにならないようにしたいものである。だってもう大人だし。 そんなときには 『西暦和暦変換法』 をオススメしたい。 まず、西暦を和暦に直すには、 「2002年」 の 「2」 に 「12」 を足して 「14」 だから 「平成14年」 … つって、こんなものは 『西暦和暦変換法』 でもなんでもない。まず第一に面白くない。面白味に欠けていては、 「役に立つ話」 とは呼べない。それに、これではわかりにくい人もいるだろう。 「12」 ってなんやねん、 「12」 という根拠のない数字が突然出てきたから覚束ないよ、動悸がするよ、不安だよ、なんて思う人がいるかもしれん。 そんな場合に有益なのが、真の 『西暦和暦変換法』 である。 まず 「2002年」 の 「2」 を 「2時」 と考える。んで 「2時」 は 「14時」 とも表記できる。この 「14」 がそのまま和暦に使えて 「平成14年」 となる。 こんな流れなんかがいいんじゃないかな。 逆をやる、つまり和暦を西暦に直す場合になると、より一層、むしろその方が簡単かもしれない。 「平成17年」 の 「17」 をとって 「17時」 、これは 「5時」 のことでもある。その 「5」 を使って 「2005年」 。 2002年⇒ 「 は14時だから平成14年」 平成17年⇒ 「 は5時だから2005年」 ちなみにこのやり方は平成23年までで限界が来そうだから、あと1年ちょいの間でなんとか 『西暦和暦変換法』 から卒業し、 「西暦には12を足す」 、 「和暦からは12を引く」 をできるようになっておきたいものである。 こんな、 『役に立つ話』 を知っている方がいらっしゃったら教えてください。 & ↑ 2種類のランキングに参加中です。

神のいぬ間に。「神産み篇」【長文後編】

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□神のいぬ間に。「国産み篇」 ⇒ http://poeticalprivate.blogspot.com/2010/11/blog-post_729.html さて、前の日記で、 「日本の神話が面白い」 ということで、 「国産み」 を紹介した。イザナギ (男) が矛1本で島を作り、そこでイザナミ (女) に対して 下ネタ丸出しのアプローチ を試み、これが見事成功し、ふたりはそのまま初夜を迎え、大八洲国 (日本列島) を完成させた。日本列島およびその他の小さな島々を産み終えたイザナギとイザナミは、次に神々を産んでゆく。ここで産まれてくる神は、 「家庭にまつわる神」 および風の神、木の神、野の神といったような 「自然にまつわる神々」 である。イザナギとイザナミが神々を産んでゆく話と、そこから先の話をまとめて 『神産み』 と呼ぶ。 日本列島を産み終えて、家庭と自然の神様をバンバン産みまくっていたイザナミ (女) だったのだが、その身にある日、思わぬ惨事、いや、大惨事が降り掛かる。それは、彼女が17番目の神、 迦具土神 (かぐつちのかみ) を産んだときだった。迦具土神が産まれた瞬間、イザナミの陰部は無惨に焼けただれてしまった。 なぜか。 迦具土神は、 「 火の神 」 だったのである。 笑ってはいけないのかもしれないけれど、なんかさ、間抜け過ぎやしないか? ここからは、Wikipediaの記載が面白いので、転載しながら説明していこうと思う。 【以下、転載】 火の神である迦具土神を出産したために、イザナミの女陰が焼けてしまい、イザナミは病気になった。イザナミは、病に苦しみながらも 、 吐瀉物などから次々と神を生んでいった 。 18. 金山毘古神 (かなやまびこのかみ、イザナミの 吐瀉物から生まれる ) 19. 金山毘売神 (かなやまびめのかみ、イザナミの 吐瀉物から生まれる ) 20. 波邇夜須毘古神 (はにやすびこのかみ、イザナミの 大便から生まれる ) 21. 波邇夜須毘売神 (はにやすびめのかみ、イザナミの 大便から生まれる ) 22. 彌都波能売神 (みつはのめのかみ、イザナミの 尿から生まれる ) 23. 和久産巣日神 (わくむすひのかみ、イザナミの 尿から生まれる ) ⇒なんちゅうとこから、神、生まれとんねん。...

神のいぬ間に。「国産み篇」【長文前編】

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日本の神話が面白い。 昨晩、イザナギとイザナミに始まる 『国産み』 と 『神産み』 の話を読んでいて、面白かったので忘れないうちに書いておこうと思う。 日本列島が誕生するまでの伝説として、 イザナギ (ノミコト) と イザナミ (ノミコト) が、アダムとイブのような立ち位置にいて、このふたつの神 (二神) によって、国土が生み出され、神々が作られた。国土が生み出される物語を 「国産み」 、神々が生まれてからの物語を 「神産み」 と呼び、 『古事記』 や 『日本書紀』 に記されている。 まずは 『国産み』 の話。 国が生まれるまでの日本はまさに混沌であり、まず 大地がなかった 。神々は天空から下界に広がる混沌を眺めていた。そんなシチュエーションで、まず 『天地開闢 (かいびゃく) 』 という時代が起こった。最初は性別のない神々が何柱も生まれた (神を数える単位は 「柱」 ) 。それからしばらく経って、性別を持った男女一対の神が五組 (10柱) 生まれた。この中で最後に産まれた男女一組の神が、イザナギ (男) とイザナミ (女) である。 このイザナギとイザナミが、日本列島を作り上げるのだけれど、 『古事記』 に掲載されている日本列島誕生のエピソードが、なんとも間が抜けていて面白い。 まず、コトアマツガミ (別天津神) というよくわからん神様が、イザナギ&イザナミに 「大地を作れ」 と命じる。そのとき 「これを使いなされ」 つってイザナギに手渡したのが、 矛 (ほこ) 1本だけ だったという。 いくら何でも頼りなさすぎる、スコップとかならまだしも 『矛』 ってなんやねん。それは突き刺すときに使うものやないけ、そんなもんで島なんかこしらえられるかぇー、と長めのツッコミを思うていたら、しかしイザナギのオッサンは平気だった。 その一本の矛をむんずと掴むと、天浮橋という天空の橋の上から、下界に広がる混沌に向かって 「えいやー!」 と突き刺して、そのまま 「うりゃー、うりゃー、うりゃりゃー」 つってクルクル。混沌を矛でかき混ぜて引き抜いたら、矛の先から垂れる雫に含まれていた塩分が積もり積もって、あーら不思議、瞬く間にひとつの島が誕生しました。 最初の大地、 『 淤能碁呂島 (おのごろじま) 』 は、こうして誕生してしまったのである。 「混沌を矛...

ボルト、誕生秘話。

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ナイジェリアのとあるスラム街で、道に倒れ込んだ老婆が悲鳴を上げている。 「誰か! アイツを捕まえて! ひったくりよ!」 往来をしていた地元住民のアデジニ (32歳) がその声を聴いた時、彼のすぐ脇を風のように何かが走り去っていく。アデジニは咄嗟に踵を返して、今自分とすれ違っていった者を追おうとしたのだけれど、直後に自分の目を疑って立ちすくんだ。既に男の姿はアデジニの視界のどこにもなかったのである。アデジニの歩いてきた道は、真っ直ぐに長く、視界を遮るようなものは何もないのに、老婆の鞄をひったくった者の姿は、アデジニの世界から完全に消えていた。 「あのババア、全然カネ持ってねぇじゃねぇか」 ベンチに腰かけた男は、その長い腕をしなやかに振って、先ほどひったくってきたばかりの鞄を空き地に放り投げた。朽ちかけたベンチが一度軋んだ。 「腹減ったなぁ…」 男は空を見上げる。高い建物なんて一つもないスラム街。視界を遮るものは何もなく、空は円形に、青く広がっている。晴天に抱えられながら、それでも男は、蒼天の詩的な美しさに感動することなど全くなく、自身の空腹をどうやり過ごすかについて、思い巡らせていた。最も、多岐に渡って思いを巡らせられるほど、彼は理知的な男ではない。男は実に短絡的に 「さて、もう一度ひったくるか」 という結論に達し、次の獲物を探すべく、軋むベンチから腰を上げた。 「今、君は楽しいのかい?」 ふいに声がした。視線を向けると、錆びきったフェンスにもたれかかるように、見知らぬ中年の男が立っていた。一瞬、自分ではない誰かに声をかけたのかと思ったが、フェンスにもたれた中年男が、先ほど彼が放り投げた鞄を弄んでいるのを見て、その可能性を消した。 「なんだ?」 彼は、理知的ではなかったので、短絡的に下半身に力を込め、身体的にはいつでも逃走できる準備を調えていた。中年の男は、まるで彼の下半身に漲るエネルギーの流れを観察するかのように一度視線をずらしたあと、彼の目を真正面から見つめて、 「大金持ちにならないか?」 と言った。 その言葉は、まるで当たり前のように、そう、この国で 「今日はとても暑いですね?」 と言うのと同じくらい自然に、中年の男の口からこぼれ落ちたので、彼の頭の中では、意味を結ばなかった。 「君は大金持ちになりたくないのか?...

一番かっこいいバトン。

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01. あなたが一番かっこいいと思う 『色』 は? 色じゃないけれど、 「アースカラー」 っていう単語を、照れずに言えるような人になりたい。 02. あなたが一番かっこいいと思う 『単語』 は? 「ゲシュタルト崩壊」 なんか、この文字眺めている時点で、既にゲシュタルト崩壊がおきてるような気がする。あの感覚はまさに 「ゲシュタルト!」 って感じだし、ホント、うまく音にしているよねーと思う。 03. あなたが一番かっこいいと思う 『四文字熟語』 は? 「人間万事、塞翁が馬」 何がかっこいいって、四文字熟語っぽく見えて、 実は四文字熟語じゃない ところ。 04. あなたが一番かっこいいと思う 『漢字』 は? 「虹」 ここまでシンプルに、あんなにも綺麗なものを、それも 虫偏 というハンデを負っているにもかかわらず、びしっと表現できているところ。 05. あなたが一番かっこいいと思う 『国』 は? 「スウェーデン」 漢字にすると 「瑞典」 だぜ? なんかすげぇ深い意味がありそうに見えるじゃん。 「むっちゃ良いこと書いてある本」 みたいな感じやもん。 06. あなたが一番かっこいいと思う 『都道府県』 は? 「千葉県」 なんか、ブーメランみたいな形してるから、それだけっ、知らんっ! 07. あなたが一番かっこいいと思う 『地名』 は? 「喜連瓜破 (きれうりわり) 」 大阪の地名。一回も行ったことないけど。 「出町柳」 と悩んだね。 08. あなたが一番かっこいいと思う 『動物』 は? 「デメニギス」 これはもう、宇宙船だよな。 09. あなたが一番かっこいいと思う 『図形』 は? 塾の講師をしていた頃から、 「いびつな四角形」 を見ると、なぜか 等積変形 で三角形にしたくて仕方なくなる。 10. あなたが一番かっこいいと思う 『俳優』 は? 誰かと 「かっこいい外人」 について話をしていたとして、僕がその外人の顔を知らないときは、いつも 「オーランド・ブルーム」 の顔で代替しているので、たぶん僕はオーランド・ブルームをかっこいいと思っているんだと思う。 11. あなたが一番かっこいいと思う 『名前』 は...

「回文」の素敵。

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「なんてしつけいい子、いいケツしてんな」 のっけからこんなことを言うていると 「なんたる品性下劣な野郎だ、犬畜生にも劣る、腹を切れ、腹を!」 と叱られてしまいかねない。ただ、ちょっと待って欲しい。たしかに僕の品性は下劣だけれども、どうぞ、この品性下劣人間の話をもう少しだけ聴いていただきたい。 「なんてしつけいい子、いいケツしてんな」 これ、実は 「回文」 なのである。 回文【かい-ぶん】 「竹藪焼けた」 (たけやぶやけた)のように始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。英語では palindrome という。[Wikipediaより] なんだかわざと難しく書いてあるように思えるが、要するに頭から読んでも、最後から読んでも同じく読めてしまう文章のことを回文という。 「たけやぶやけた」 、これを後ろから読んでも 「たけやぶやけた」 になる。 「磨かぬ鏡(みがかぬかがみ)」 もそうである。 「なんてしつけいい子、いいケツしてんな。」 これを逆から読んでみても、やはり 「なんてしつけいい子、いいケツしてんな。」 と読めるでしょう? 僕は別にケツの話をしたかったのではなくて、今回は回文の話をしたかったのである。ちょっとは興味を持っていただけただろうか。 さて、回文というのは面白い。面白いが、いざ作ってみるとなると難しい。 例えば 「朝」 で書き始めてしまったら、もう最後は必ず 「さあ」 で終えなければならない。 「さあ」 は語尾としてもまだ使えそうだが、 「ピンクの」 なんかで始めてしまったら、最後は 「のくんぴ」 で終わる文章を書かなければいけないのである。 「のくんぴ」 なんかで終わる文章なんて書けるだろうか。だいたい 「のくんぴ」 ってなんなんだ。 今、思いつくのはせいぜい 「あさのくん、ピ!」 くらいのものである。 「ピンクのさあ ─(不明)─ あさのくん、ピ!」 返す返す、なんなんだこれは。 「あさのくん、ピ!」 ってなんだ? あさのくんのどこかにピンクの部分があって、それをピ!としたのか? ・・・あさのくんのピンクの部分をピ! ・・・まさか、乳首かっ...

ばあちゃんの深み。

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齢、九十三になるばあちゃんの話がいちいち面白く、また含蓄があって飽きない。考えようによっては、九十三の老婆になら何を喋らせても面白いし、全てが深いのかも知らんが、だとすれば尚更、彼女が九十三まで生きていてくれたお陰で、こんな楽しい話を聞かせてもらえるわけだから、輪をかけて感謝したい。 ばあちゃんは今、週に2日、デイケアサービスに通っていて、そこでは毎回趣向を凝らした催し物が行われるのだけど、趣向を凝らしているのは飽くまでスタッフサイドであり、少なくともうちのばあちゃんは、そういった類いが大嫌いで、催し物への愚痴、罵詈、雑言を吐かせたら2時間、重複なく簡単に喋れるんちゃうかと思うほどである。 ある日、そんな気乗りのしない催し物に際して、年齢別にチーム分けをする必要があったため、年を訊かれたばあちゃんは堂々と 「七十歳」 と答えて表情ひとつ変えなかったという。 うちのばあちゃんは、そのデイケアサービスセンター内でも最高齢であり、齢九十を超えていることは周知の事実、なんなら、 「90歳を超えて、体の中で悪いのが膝だけっていうのがスゴい」 と驚かれるほど心身ともに元気な、ある種のアイドルなのだけど、当の本人はそーゆーことではなく、女として、おもっきりサバを読んだのだという。 バレバレの嘘を、一切の躊躇いもなくついたという豪胆さ、嘘をつくにあたり、一気に20歳もサバを読んだという勇気、20歳もサバを読んだのにまだ70歳だという凄まじい事実、僕はばあちゃんの色々に感動し、無表情でそんな話を聞かせてくれるばあちゃんに 「オレが20歳もサバ読んだら8歳やで」 と言うたところ、 「あんたはまだいいで、若いから」 と不服そうにテレビに目を向けたから、余計面白かった。 28歳の人が、22歳の人に 「君はまだ若いから良いよ」 と言うような、そんな感じで、ノリで、顔で、93歳の人が、28歳に言うているのである。 僕は笑って 「そっかぁ、オレってまだ若いんやなぁ」 と口にする。ばあちゃんはそんな僕をやっかむように見ている。楽しいな、楽しいな。 ばあちゃんは、客間にある仏壇に毎日、朝晩念仏を唱えている。実家では僕は客間に寝泊まりするので、ばあちゃんのお勤めと遭遇することも多く、その時は隣で手を合わせるのだけど、過日、手を合わせ終えたあと、ばあちゃんに 「いつも何をお...