5.26.2012

国語・ザ・マスターベーション。

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二の腕をさわってもらいたい。

あなたの二の腕である。人差し指と中指と親指で、二の腕をそっとやさしくつまんでほしい。そう、そう、もっと・・・もっとだ。力を込めるのではなく、弾くように、奏でるように、リズミカルにあなたの二の腕をさわってもらいたい。
こっちを見て。ジッと僕の目を見て。目を逸らしたらダメ。瞬きもダメだ。僕を見つめながら、自分の二の腕をさわってもらいたい。


さて。

今あなたがさわっているであろう「二の腕」だが、本当は「二の腕」という名前じゃないことはご存知だろうか? もちろん「二の腕」という名前はあるのだけど、それは「肘から手首までの部位」を指すのである。きっとあなたは今、肘から上の肩から下の部分をつまんだまま、きょとんとしていると思うが、その「肘から肩までの部位」の名前、実は、本当は「一の腕」なのである。

ドドーン!!

昔から使われている言葉が、いつの間にか違う意味で使われてしまっていることを「誤用」と呼ぶ。インターネットで『誤用』をググッてやると「誤用にご用心」というサイトが出現して僕は大きく仰け反り「なんたるセンス」と舌を巻いた。

さて、日本語で最も有名な「誤用」はなんだろうか。やはり「確信犯」は有名である。「確信犯」という言葉は最近、『自分がやっていることを悪いことだとわかった上でそれでも罪を犯す人』のこととして使われている。わざと悪いことをした人に「おまえはん、確信犯やないけー!」と言ってケツを蹴るというシーンは街を歩いていれば当たり前のように見られる。「ベランダに干してあるパンティを不法侵入した上で窃盗するというのは、あかん。やったらあかんとわかっているけれど、でも欲しいっ! 欲しいから、オレはやる!」という人が今、「確信犯」と呼ばれている。

けれど本来の意味は違う。むしろ真逆なのである。

本来「確信犯」というのは『自分がやっていることは正しいことだと信じて法を犯す人』のことを言うのである。「嗚呼、ベランダにパンティが干してある。あのパンティ、とてもいい。まるでオレのために誂えられたかのようなデザインじゃないか。特に股間部分にバタフライの刺繍がしてあるのがとてもいい。あれはオレのためのパンティだ。オレのパンティだ。オレのためのバタフライが、ベランダで自由に飛べずに苦しんでいる。許せん。あのパンティ、当然オレが持ち帰るべきだから、今からオレはあのパンティを取りに行く!」といって下着を盗む人のことを「確信犯」と呼ぶのである。

そういったことから確信犯は「思想犯」と呼ばれることも多い。自分の宗教を信じ、自爆テロを起こすような犯罪者が本来の「確信犯」なのである。

しかしまぁ、法治多宗教国家日本において「確信犯」と出会える機会というのはそうそうないし、パンティ盗んでおいて思想がどうのこうの言うようなやつとは関わり合いたくないから、その「確信犯」は誤用ですよと言われてもピンと来ない。もっと日常で簡単に使える、使ってしまう、ルクエみたいな「誤用」はないかと考えてみると、やはり「煮詰まる」が圧倒的なんじゃないかと思う。

例えば御社で会議をしていて、「ぐわぁーっ! おまえらーっ! なんかこう、パッと華やかで、クッとスタイリッシュで、サッとできる、それでいて予算は一切かからない、とにかく、こう、なんかもう、なんて言うの? すんごいアイデアはないのかっ! この給料泥棒めがっ!」と阿呆な課長に言われたとする。そこで「お前が一番の給料泥棒やないけ、このドハゲ」なんて言ってしまったら即刻馘首。家族もろとも路頭に迷ってしまう悲しいサラリーメンはどんなに理不尽なことを言われたとしても、とりあえずなにかを考えようとするだろうけれど、この場合そんな都合のいいアイデアなんてすぐに出てこないし、すぐに出てきた場合、既に競合他社がそれを実践している確率が極めて高くなる。そうやって、みんながむむぅと押し黙ってしまったときに、阿呆の課長はこう言うのである。

「ダメだな、煮詰まってきたな。休憩でもとろうか」と。

しかしこれは間違いである。

だいたいがそうだけれど、 無理して難しい言葉を使おうとしてかっこつけたときに「誤用」は発生してしまうのである。

「煮詰まる」はもともと料理において煮詰めていた具材にだし汁が浸透しきってもうすぐ完成するから手を洗ってきなさい的な様子から生まれた言葉であり、「議論が徹底的にし尽くされて、問題が解決する一歩手前の状態」という意味の明るい言葉なのである。上記会議の場合は「煮詰まる」ではなく「行き詰まる」が正解である。

他には「的を得る」と言ってしまう人もよくいる。これも男が女からモテようとしたときに極めて発生率が高くなる。これは「当を得る」「的を射る」を混同してしまった結果である。混同つながりで言えば「汚名返上」「名誉挽回」を混同して「汚名挽回」としてしまうケースも報告されている。どこに? え、オレに? オレ知らねぇよ!

最近では言葉使いのお手本でなければならないはずのテレビでもこういった「誤用」をしばしば見かけるようになった。例えばサッカーの日本代表だとか、プロ野球だとか、僕はスポーツに興味がないのでなんでもいいけど、コーチが不甲斐ない選手のプレイにブチ切れて喚き散らすシーンで「檄を飛ばした」などと表現されることがあるけれど、これも本当は間違っていて、「檄」というのは『自分の意見が書いてある板』のことで、それをヒュンっと「飛ばす」わけだから、「檄を飛ばす」の本来の意味は『自分の意見を広く知らせる』というだけのことで、別段激怒して悪鬼羅刹の表情になって選手が小便ちびるレベルの大声で罵倒する必要はないのである。

この誤用、なんでそんな風になったのかなぁと考えてみる。たぶん、「檄」という漢字が「激」と似ており、なおかつ「ゲキ」という音声がもうなんかすげぇ勢いのある恐い感じがするところから生まれたんじゃないかなって勝手に思っている。音声っていうのは実はとても重要であり、音声のせいで発生したと思しき「誤用」も多い。

たとえば「おもむろに」という言葉があるが、これも「おもむろ」「おも」「おもいきり」とか「おもくそ」とかと同じだからか、「唐突に」という意味で認識している人が多い。「おもむろにチンチンを見せてきた」と表現したとき、おっさんがものすごい勢いでズボンのファスナーを開き、「見さらせ!ワシの生きザマぁ!!」と咆哮しながら勢いよく局部を見せてきたようなシーンを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。でも漢字変換してみればわかるが、「おもむろに」「徐に」と表記する。「徐」「徐行」「徐」である。「おもむろに」『ゆっくりと』とか『じわじわと』というのが本来の意味なので、「おもむろにチンチンを見せてきた」の場合、おっさんが、なんだかモジモジしながら、ゆっくりとファスナーをおろして、勿体ぶるような感じで・・・と、書いていて非常に不快なのでここで止めるが、そういう意味なのである。例文を間違えたな、オレ。

このように誤用というのは、基本的になにかしらの原因があると僕は思う。「行き詰まる」「煮詰まる」は似ているし、先述の「混同」然り、「檄」の持つ雰囲気然り、かならず原因がある。

他にもわかりやすい誤用に「辛党」が挙げられると思う。
今まさに、大学生活をエンジョイ・ワッショイしてらっしゃる方はまだこの言葉と出会う機会を持てていないかも知れないが、目下バリキチで社会人をやってらっしゃる方なんかは、もしかしたら上司や取引先なんかにいるおっさん(※この場合のおっさんはチンチンを出すおっさんとは違うおっさんです。)が「ワシ辛党やねん」と言うのを聴いたことがあるかも知れない。

「辛党」というのは「甘党」の反対っぽい。どう見ても反対である。「甘党」『甘いものに目がない人』という意味だから「辛党」「辛いものが好きな人」と間違える人が多い。ちなみに「からい」「つらい」が同じ漢字だということに僕は憤りを感じているが、それは昔日記に書いたので、ここでは取り上げない。話を戻すと「辛党」「辛いものが好きな人」ではない。昨今の韓国ブームで、韓国料理に舌鼓を打ちながら「あたし、辛党なんですぅ~」とやってる豚みたいな女がテレビに映し出されて、皆さんの食事が不味くなるという経験は誰にでもあるだろうけれど、「辛党」の本当の意味は「甘いものよりも、お酒が好きな人」のことを言うのである。要するに「辛党」「酒好き」なのだ。

しかし、これに関しては少し悪意を感じる。「甘党」をわかりやすく「甘いものが好きな人」にしておいて、「辛党」「酒好き」ってのは、これはもう言葉サイドが誤用を誘っている。「オフサイド・トラップ」ならぬ「誤用・トラップ」である。どうですか、このうまくない表現。

まぁでも我々肝に銘じておくべきなんじゃないかな。「○党」とつくからといって、「それそのものが好きな人」という意味ではないということは「自由民主党」とかさ、「民主党」とかもさ、自由や民主の事なんて好きじゃなくて「お金が好きな人」の意味かもしれないしさ、「みんなの党」なんてのはさ、もはやみんなのものでもなんでもないのかもしれないよ? と唐突に社会を皮肉ってみる。

ということで長くなってきたし、他にも皆さんが出会いそうな誤用をざっと並べてみよう。

「姑息」という言葉があるが、「ずるい」という意味ではなく、「その場しのぎ」という意味である。「知恵熱」「頭を使いすぎて熱が出る」という意味ではなく、「赤ちゃんが原因不明で発熱すること」を言う。「募金する」「無償でお金を与える」ではなく、「お金を集める」ことである。「にやける」「思い出し笑いをしてニヤニヤする」というような意味はなく、「色っぽい表情を見せる」という意味である。「爆笑」「一人がものすごく大笑いすること」ではなく、「大勢の人が一斉に笑うこと」である。

この他にも「誤用」とされているものは山ほどある。Googleで「誤用」と調べればたくさん出てくる。

しかし、これらは本当に「誤用」として一括りにしていいのだろうか、と疑問に思う。

たとえば「全然いい」という言葉がある。これは長い間「誤用」とされてきた。昭和20年代、「全然」の後ろには、肯定的な表現を持ってきてはいけないというルールがあった。「全然OK」なんかもダメ。だからローラはこの時代に生まれてきてよかったよね。「全然」を使うときは、「全然ダメ」とか「全然血が止まらへん」とか「全然お金がなくてもうオレは死ぬ」とか「全然会議が進まない」とか「ベランダのパンティに全然手が届かへん」とか、そういう否定的な表現のときに限って「全然」は使われるべきだというルールがずっとあったのだ。しかし、ここ最近の研究により、「全然」が中国から船に乗ってやって来た江戸時代から昭和10年代まで、普通に「全然+肯定」が使用されてきたということがわかったのである。要するにローラは今この現代か、それか昭和10年代に生まれてきていればセーフだったのだ。

「すごく」も同様である。「すごい」を漢字変換すると「凄い」となって、うわぁつ、なんだかコワモテだなぁと思うでしょう? それもそのはず、元々「すごい」ってのも否定的表現にしか使ってはいけないという話があった。
だから、ベッドとかで「あー、すごくいいわー、あなたのそれ、すごいわー」みたいなことを、まぁ僕レベルになるとしょっちゅう言われるのだけれど、言われるたびに「あーあ・・・『すごい』っていうのは否定的な表現にしか使ったらダメなのになぁ」と落胆しながらもたくましく腰を振り続け、最後は「すみません、出ちゃいました」と謝ったのに、ちゃんと謝ったのに側頭部をナポレオンが馬に乗った彫刻が施されたウィスキーボトルで殴打されて死んだりしていた。

言葉というのは生き物であると思う。

時代時代で変化する。現在は「マダム口調」とされている「~だわ」とか「~なのよ」という語尾も、もともとは明治時代の女子学生たちの間で流行っていた、いわゆる流行語であり、今で言うところの「超○○」とか「ウケる~」と同じようなもので当時の新聞では「最近の女子学生たちの言葉使いが汚い」と呆れられた言い回しなのだけれど、今ではどうだろう。「山の手」なんてもて囃されてどちらかというと『上品な言葉使い』とされている。

つまり、30年もすれば、金持ちのおばさんが皆さん「超ウケる〜」と連呼し、それが「上品」とされている可能性だって高いのである。

「誤用」ととらえるか、「言葉の変化」ととらえるかはとても難しい問題だと思う。

例えばダイジェストの中でさらっと紹介した「爆笑」に関しては、もうほぼ日本中の人が「一人がめっさ笑っている状態」のことを指していると考えるだろう。こうなってくるとややこしいのが、「正しい意味を知っているマイノリティ」になってしまうことである。

ある言葉を正しい意味で使ったときに、「正しい意味で使っている人が間違っている」感が生まれてしまう。こんな悲しい話はない。

しかし、一度「二の腕」は本当は「二の腕」じゃないということを知ってしまったあなたは、もうこれから友人と会話したときに、あなたが女性だったらまぁ、十中八九「二の腕」の話にはなるんでしょう。そんなとき、周りの友達は純粋無垢な屈託のない表情で「私の二の腕超やばーい」と繰り返すのを、あなたは「ソコ、本当ハ『一の腕』ナノニナァ」とロボになってしまい、イマイチ乗りきれずに和談を終了してしまい、結果周囲から「あのコってなんかノリ悪くね?」と陰口を言われることになるのである。ちなみにこの「陰口を言う」も本来は誤用で「陰口を叩く」が正しい使い方なのである。


さて女性陣に聞きたいのだけれど、こんな彼氏はどうだろうか?


絶対にイヤだろう。そうだろう、わかるわかる、うんうん、わかる。そうだね、うん、気持ち悪いね、窮屈だね、うんうん、そうだ、うん、キモい、うん、お願いされてもイヤだね、うんうん、そもそも彼氏以前に友達としてイヤ、そうだね、うんうん、そう・・・もうええやろっ!!! そんな言うなやっ!!!



わかっている。こんな理屈っぽいことを言ってる僕はたぶん結婚とかできないと思うし、女の人に生理的に嫌われるだろうから、だから僕はこういう文章を書くことで、僕の文章で、女性が自分の二の腕をさわっているところを想像して興奮したり、ベランダに干されたパンティを2時間凝視したりして、今日も元気に生きています☆




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