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神戸市某地区で最も栄誉ある音楽賞、ヒロニー賞2010発表。

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今回は、ヒロニー賞2010の発表を行いたいと思います。
ヒロニー賞は、今年1月1日以降に僕のパソコンに追加された曲の中から、年間を通じてiTunesおよびiPodでの再生回数の最も多かった楽曲に贈られるという、神戸市灘区某通における最大の音楽賞です。

受賞資格は下記の通りです。
1)ひろ兄のパソコン(iTunes)に入っていること。
2)追加日が2010年であること(発売日が2009年以前でも追加日が2010年以降であれば受賞資格有り)
3)プロ、アマ問わず。早速発表に移りたいと思います。本場グラミー賞とは違い、ヒロニー賞はランキング形式でベスト10をお送りいたします。

それでは、参りましょう。

第10位:Telephone - Lady GaGa & Beyoncé

【再生回数:127回(6月12日 追加)

《寸評》
今年はレディー・ガガとの出会いで明けたような気がします。まぁ、ちょっと遅いですけど。というのも、レディー・ガガ登場当初、僕は斜に構えていて、「イロモノみたいなもんやろ」とむしろ嫌悪感を持っていたのです。しかし、きっかけがなんだったのか忘れてしまいましたが、この、『Telephone』という曲のPVを見た瞬間、体内を電撃が走ったことを今でも覚えています。レディー・ガガはブル中野とかダンプ松本とかアジャコングに似て、わざとヒール感出してるところがありますが、まだ若いからでしょうか、今ひとつヒールに徹し切れていない「雑さ」があります。マドンナに憧れているそうですが、ライブパフォーマンスは「マドンナの劣化版」といった感は否めません。しかし、自ら「Haus of Gaga」という一流のクリエイター集団を率いて、ビデオクリップに並々ならぬ情熱を注いでいる点は評価できます。この『Telephone』もビデオクリップの再生回数が95回ととても多く、これを音楽再生数に加算した場合はもっと上位を狙えたぐらい、「ビデオを楽しめた楽曲」であったと言えます。

ちなみに、今年は「マドンナにハマった年」だと自覚しているのですが、マドンナの最高ランクは20位でした。

第9位:EMI - 寺子屋

【再生回数:129回(11月17日 追加)

《寸評》
RADWIMPSの野田洋次郎が愛用していたスタジオTerraが閉鎖される際にスタジオに感謝の意を込めて有志を集めて作った楽曲です。元イエモン…

処刑人Ⅱがメチャメチャ面白かったことをここに報告しておきます。

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『処刑人Ⅱ』がとても素晴らしかった。トロイ・ダフィー監督はパート1から10年経ってこの『処刑人Ⅱ』を制作したのだけど、監督自ら「この10年、この映画のお陰で食ってこれた。パートⅡはファンへの恩返しだ」と言う通り、パート1のファンにはたまらないストーリィになっていた。ユーモアのセンス、アクションシーンのかっこよさ、そして名物となった、「捜査官の謎解き」の方法も健在で、とても10年経った作品とは思えなかった。ナメてた。「どんな映画でもパート1が一番面白い」説を盲信してしまっていた。ごめんね、トロイ。この映画のいいところは、たとえばアクションシーンはかっこいいのだけれど、ガイ・リッチーみたいに「かっこええでっしゃろ?」みたいな、露骨な表現をしない。「セインツ」と呼ばれる兄弟は、法で裁けない犯罪者を殺していく『処刑人』となって、マフィアを次々と始末していく。その度に兄弟は作戦を立てるのだけど、この作戦がもう、なんというか、杜撰極まりなくて、時々ビックリするぐらい失敗する。そういうダサいシーンがユーモアになり、また、逆に作戦がバッチリ決まったときのアクションシーンを盛り上げるのである。映画ってこれぐらいの杜撰さと、ここまでの勢いがないと面白くないよなぁと思わせてくれる作品だと、僕は思う。

『処刑人Ⅰ』予告編


『処刑人Ⅱ』予告編


で、もともと7年前ぐらいに僕がこの映画にハマった一番のきっかけは、パート1のオープニングシーンと、そこに流れるケルト音楽"The Blood of Cu Chulainn"に一気に魅了されたからで、この曲が入っているCDが欲しくて探し回ったのだけど、当時、アメリカで銃の乱射事件があったかなんかで、サントラが発売されていなくて、もちろん日本でも売ってなくて、僕は映画のエンドロールに書いてあったタイトルをヒントにいろんなチャットサイトに飛び込んでは、アイルランド人に声をかけ、CDを持ってないか聞いて廻った。最終的に、あるアイルランド人がCDを持っていることがわかり、彼と必死に拙い英語交渉をして彼のCDを譲ってもらったという経緯がある。

"The Blood of Cu Chulainn"『処刑人Ⅰ』のオープニング 3:09〜6:50あたり)


そこへきて、今回の『処刑人Ⅱ』はサントラがきちんとリリースされ、さらに23曲目…

語り合えない感動の話。

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『SAW』という映画がある。名前ぐらいは聞いたことがあるかも知れないし、それに伴って「めっさエグい映画だ」という評判も聞いてるかも知れない。

『SAW 1 予告編』
ちなみに僕は、映画の予告編を集める趣味があって、この予告編の最後の「SAW...? SAW...」ってところがメッチャ好きだぜ。

この映画、確かにとてつもなくグロテスクである。人が切り裂かれ、撃ち抜かれ、爆破され、破裂する。そのグロテスクさは評判となり、その評判のあまり映画を観てないという人が多い。ただ、ストーリーとして、とてもよくできているのである。『SAW』はシリーズ7作で完結するのだけれど、まぁだいたいこういうシリーズものというのは「1」が一番よくて、それ以降惰性で続いていくというのがジンクスみたいになっているし、『SAW』に関しても、「1が一番よかった」という評判を聞くこともあるが、僕はそれには首を傾げざるを得ない。

というのも、この映画は「1」とか「2」とかついているけれど、7作全てでようやく「1作」なのである。「1」は始まりでしかなく、何も解決していない。それを「一番よかった」と言いたくなるのは、単に、あのグロテスクな描写、極限まで追いやられた人間が、最後あんなことまでするのかという「驚き」に騙されているだけだと断言したい。実際、『SAW』のグロテスクさは回を重ねるごとにひどくなっていくし、回を重ねるごとに徐々に明らかになっていく謎や、明らかになったと思った解が間違っていたりと、クオリティは確実に上がっている。「1」「2」以降へのイントロでしかないのである。

しかし、この感動を分かち合える人間が周囲にいない。
誰も『SAW』を観ていないのである。「1」については、まだ「密室に閉じ込められた二人の男性と、真ん中に死体」というキーワードが辛うじて通じるが、例えば、僕が個人的には一番好きな「3」や次に好きな「5」などに関しては、もはやそんな映画、昔あったよね〜と、認識もしてもらっていない状況である。


たしかに、グロテスクが苦手だという人の気持ちはわからないでもないし、そういう人に「そういうシーンは目をつぶってたらいいから」と言ってしまったら、最初から最後まで目をつぶってもらわないといけなくなるし、たまたま僕は、人肉が引き裂かれたり破裂したり溶け出したり、血しぶきが飛び散ったり、頭蓋が粉砕されて脳…

Coldplay - Christmas Lights

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癒されるなぁ。Coldplayは本当にすごいなぁ。
優しい音楽を作るなぁ。



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人生を笑え。

だいたいこういうことは森博嗣が言うてた気がするので、確証はないけども、森博嗣の言葉に、こんな感じのものがある。

「人間は確かめながら怒り、確かめながら泣く、でも笑うときは確かめない」

つまりは、例えば怒り心頭、怒髪天を衝いてるような状態において、人間はどこか冷めた部分で「あー、オレ今怒ってるなぁ」と自覚していたり「これ、もうちょいデカい声でもいっぱつ怒鳴っとこかいな」とか、逆に「ここはいっちょ、いきなり沈黙を決め込んで、相手に不気味感を与えたろかいな」とかを確認しながら怒っているということであり、感情の100%が純粋な、澱みない、一番搾りの『怒り』に支配されるようなことは決してなく、ある程度の冷静な自分が、少し離れたところから冷めた目で見ている。泣くときも「あー、オレ今泣いてもてるわぁ」とか「やばい、左の鼻の穴から鼻水出かかってるなぁ」とか「さりげなくティッシュで鼻をかむにはどないしたらいいかなぁ」という阿呆を考えてしまっている自分がある程度存在しているため、純度100%の、屈託のない、雲ひとつない『泣き』なんてことはなかなかできたものではない。
しかし『笑う』ときだけは別なのであると、氏は言うとるんやと思う。確かに爆笑してる最中に「家のガスの元栓切ってきたかしら」とか「貯金額が家賃に足りないのだけど、手の打ちようがないなぁ」などと考えてる人はいないだろう。

人間、笑ってるときだけは感情の色を100%、無地の、混じりっけなしの、『笑い』に染め上げることができるのである。
で、僕にはこれが単に現象を言い当てているだけの言葉であるとは思えないのである。
笑ってるとき、人間は『笑いの化身』『ワラシス』になることができるし、ワラシスには他の感情が入る余地がない。ワラシスは『笑い』で満席なので、ワラシスにストレスを与えることは難しい。爆笑が止まらず「えぐっえぐっ、ぐふふふひひひひひーひーひひー」となっとるワラシスに「世界には食べたくても食べられない人がいるんだよ」と諭してもダメ。ワラシスは『笑い様でご満席』だから、そんな言葉を受け入れるスペースもなければ、そんな言葉を理解できる冷静な思考経路も働かない。
考えようによっては、ワラシス状態は対精神用ストレスに『満席』『阿呆』という2枚壁で立ち向かう『免疫』となってるんじゃなかろうか。
笑うことは大切である。上記のような『免疫…

Choo Choo Trainのオープニング元ネタ。

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ZOOでもいいし、EXILEでもいいけど、『Choo Choo Train』という曲があって、そのオープニング部分の元ネタが判明したというブログを見つけたのだけど、残念ながら動画が削除されていて再生できなかった(『須田英之の独り言』さんより)

とりあえず、その問題のラップ部分をEXILEバージョンで確認してみる。



この

「ちゃーげぞれべれけのーべちゅっぎっぽーんでっきっぽんっぺっせろん、ちゃーげぞれべれけのーべちゅっぎっぽーんでっきっぽんっぺっせろん

の部分なのだけど、実は元ネタはD-Trainという人の『Keep On』ちう曲のサンプリングだったんだという。

『Keep On』─ D-Train

(※たぶん該当箇所から始まるようになってます。)

さらに、この『須田英之の独り言』さんのエントリーについたコメントによると、あの伝説のラッパーThe Notorious B.I.G.『Sky's The Limit』という曲のサビにも使われてるんだって。なんか、サンプリングって……なんなんだろう、どうもずるい感じがあるんよなぁ。

『Sky's The Limit』─ The Notorious B.I.G.




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犯罪者や加害者が出版する不思議。

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のりピー出版 薬物→逃亡→拘置所綴った
http://bit.ly/hMAAnd

よく、何かしら事件を起こした当事者や殺人を犯した加害者の家族が手記を出すことがあって、その度に「金儲けか!」と激怒する短絡思考の人がいる。僕も昔はそういう風に考えていたのだけれど、あれって色々と事情があるんやね。
例えば、加害者や加害者の家族が手記を出す理由、これは賠償金の支払いのためでもあるんだそうな。手記を出版して印税でも手に入れないと、被害者や被害者の家族に賠償金を支払えない。だから、物凄い罪悪感を抱えながら、世間から「金儲け!」と揶揄されながらも、歯を食いしばって手記を出すんだってね。

酒井法子も、生きていくためにはお金がいるし、子供も育てていかないといけない中、今は全く仕事もないだろうし、手記の印税に頼るしかないんだろう。もちろん、「バイトせぇ」とか「仕事のない中で必死に子供を育ててる親もいる」とか、まぁ色々意見はあるだろうし、それもまた正しいとは思うけど、例えば酒井法子がスーパーのレジ打ちの面接に来たとして、んなら店長はまず「んわ!のりピーやんけ!」となるだろう。んで、履歴書見せてもらって、賞罰の所に「覚醒剤不法所持」みたいなこと書いてあったら、やっぱ雇えない。一般人なら、生きるため、賞罰の欄を空欄にして履歴書を出すこともあるかも知れないけれど、酒井法子にはそれはできない。

どこに就職するにしても、どこでバイトするにしても、酒井法子は酒井法子であるがために、一般人がそうするよりも大変なんちゃうかなぁとは思う。
だから手記を出すのも仕方ないと思う。

ただし、出版の動機を「たくさんの方に迷惑をかけたから、自分の言葉でお詫びしたい」みたいな言葉で飾るべきではないと思う。「お金がないので、生きるため、子供を養うため、他に手段がないので」と言うべきだ。迷惑をかけた人に『出版』なんかでお返しができるわけがない。出版してる暇があったら、執筆してる暇があったら、一人一人の家に行って、チャイム鳴らして、頭を下げるべきだということは誰でもわかる。世間に「反省している」ということをアピールしたいのなら、それは間違ってる。「反省している」とアピールして、芸能界に戻ってこようと思ってるなら、なんか違うと思う。反省していることを伝えるべきなのは、世間一般ではなくて、自分が本当に迷惑をかけた相手で…

AppleTVを楽しむ。

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ずくずくの体調の中、ようやくAppleTVとiMacの接続が終わった。まぁ、「ようやく」つっても線を差すべき所に差して終わったんだけども。
もともとAppleTV(ver.2)は発売日に購入していたものの、まずHDMIケーブルがなくて断念。「いやでも、僕はなんせコードの魔術師で、我が家にはありとあらゆるコードがある。だから、どこかにあるはずだ」と部屋中を引っかき回してようやく出てきた通常のHDMIケーブルではあったが、ヘッドがデカすぎて、これを本体に差してしまうとヘッドが隣にある電源コード用の穴を塞いでしまって、電源コードが本体に差せない、電源コードを本体に差してしまうと、HDMIケーブルを本体に差せないという悲劇に見舞われた。Appleが純正のHDMIケーブルを販売している理由はそこにあったのである。

サイズを考えろ、サイズを。
別途、ヘッドの小さなHDMIケーブルを買わないとアカンという現実と、当時はそこまでするほどAppleTVに価値を感じていなかった僕は、完全に心が折れてしまい、以降そのまま放置していた。

しかし、iPod、iPad用のiOSが4.2にバージョンアップされ、今まで『AirTune』と呼ばれていた、無線でお近くのコンポに音楽を飛ばせます機能も『AirPlay』と名前を変えてバージョンアップした今、再度AppleTVと向き合うことにした僕は、朝から頭が痛かったけれど、HDMIケーブルが届いちまったからしょうがない。
重い頭をぶら下げて接続作業をしたら5分で終わった。


Appleのいいところのひとつに、全ての製品がAppleの作ったものなので、だいたいはつなぐだけで動くという点があると思う。

さて、AppleTVを使ってみてどうか。


楽しい。
僕は今まで、パソコンに溜めていたミュージックビデオを家のテレビで映し出すために、一旦iPod touchに観たいミュージックビデオを収納し、別途買い求めていたテレビ出力用のDockにiPodを差し込んでテレビから出力していた。
しかしこれからはそんなことをしなくても、iTunesを再生すれば、テレビから出力してくれるし、iTunesの再生も、わざわざiMacの場所まで歩いて行かなくても、この、絶対失くしそうなリモコンでテレビを操作するようにして簡単に行うことができる。


また、iPodおよびiPadに『Remote』

宇宙人について考える。

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地球の約7割、これは実は海でありまして、その海の、深いところにあるいわゆる「深海」についてはまだ全体の1割程度しかその詳細が解明されておらず、専門家をして、「深海は、もうひとつの宇宙」なんちってかっこよく言われているんだそうです。

僕は、深海生物が好きなのですが、以前、エネエチケー(NHK)で深海の特集をやってまして、嬉嬉として番組を観覧したときの話です。

とある深海の、とある海底火山地帯に、硫化水素という気体がドッボドボ溢れている場所があるのですが、長年、専門家達は「その辺りに生き物はいない」と決めていたのです。というのも、硫化水素というのは我々生命にとってものすごく猛毒、学名:『モノゴッツ・モードック』なので、それを喰らってしまったら生命体はもはややってられない、腹が痛い、関節が痛い、朝起きられないっつって、結局生きていけないという学説が当時の常識だったのです。

その学説の根拠は、当時、生物学界での常識であった、生命体がビンビンやっていける3条件。

「酸素」「水」「有機的物質」
この3拍子が調っている環境じゃないと生きていけないって決まっていたらしいんですね。

んで、「じゃーさー、マジ生きモンいねぇのか、見てやろうぜー」つって、アナーキーな専門家達が、いい年こいた大人達が、大枚叩いて高性能マシンを買って、そいつで史上初、その硫化水素帯を見に行ったんですけど、そしたらもう、アホほどいたんですよ、


生物が。

なんや知らんが、全長5メーターにも及ぶイソギンチャク的なやつとか、全身真っ白なエビ型生物、全身真っ白な魚型生物、全身真っ白なヒトデ型生物が「うぃーっす」「イェイイェイイェーイ!!」つって生活してたもんやから、さすがのアナーキーな専門家達も、モニターに映し出された後継に「ウソヤン…」と言うていたそうなんですね。

僕の、本当にドシロウトの目線で恐縮なんですけど、その上で思うんですが、「生命は硫化水素地帯では生きていけない」なんて、誰が決めたん?

確かに、我々ヒューマン・ビーイングは「酸素」「水」「テリヤキマックバーガー」がなければ生きちゃいけませんが、僕達の知らないところで、逆に「硫化水素がなくちゃ生きていけない生物」がいたっていいじゃないか。そもそも、遥か昔に習ったのでうろ覚えだけども、たしか酸素だって猛毒物質なはずなのである。

そういった…

安田さんとこの事情は知らんけども。

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まだ僕がちゃんと働いていた頃の話。
僕は企業の広報部に在籍していたのだけれど、そこに、安田さんというおっさんがよく出入りしていた。

印刷会社の営業マン、50そこそのおっさんなのだけど、先日うちの会社が発注した大量のチラシを納品したところ、なぜか風俗のチラシを間に挟み込んでしまうという、通常考えられない大失態をしでかしてしまい、自分は悪くないのに30ほども年下の僕に平謝り、その後諸悪の根源である工場長を連れて謝罪にきたものの、一番謝らなアカンはずの工場長がジーパン&ふてぶてしいというツワモノだったせいで僕の上司を激怒させ、結果、全責任を一手に引き受けてなぜか突如クビになるという不遇。
不遇が服を来て歩いているようなおっさん、安田さん。

その安田さんが今日、新しい担当者2人を連れて来社したのだけど、連れて来られたおっさんと若い女、そして安田さんの名字が、全部「安田さん」だった。

右から安田さん安田さん安田さん


お前らなんやねん。

話してみるとなんのこっちゃない、新しいおっさんはクビになる安田さんの兄さんで、女は新しいおっさんの娘とのこと。
つまり、クビになる安田さんは新しい担当者っつって兄貴と姪を連れてきたわけで、僕は思うた。


「正月かぇ」、と。

実は先日の会議で、今後安田さんとことはお取引しないことが決定していたので、安田さんがどれだけたくさんの安田さんを連れてきても、もう無理だったのでした。



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脱・インポテンツ。

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勃起には前半と後半があると考えている。前半は、徐々に硬度を増していく状態、後半は軌道に乗って後は野となれ山となれという状態。

最近の僕はもうなんていうか、オナニーをしていても前半で失速し、「オレは何をやっているんだろう」と、愁訴を訴えることが多く、若くしてもうインポテンツになってしまったのではないかと夜な夜な泣いていたら近所から苦情が来た。嘘だけどね。

確かに最近の僕はオナニーどころの話ではないくらい、異常事態に見舞われている。常識人の方から見れば「おいお前、自慰行為に耽っている場合ではないだろう」と言われるような状態ではある。しかし、そういうときだからこそオナニー、自慰、つまり自分を慰める行為が必要なのではないかと、声を大にして言いたい。

そこで僕は、現在自分に起きている異常事態をやや楽観的にとらえてみた。つまり、僕が何となくインポテンツっぽいのは決して精神的なストレスからくるのではなく、僕のPCに所蔵されている100を超えるわいせつ動画、これを見過ぎて、こいつらに飽きが来てしまったからではないだろうか、そう考えたのである、なんたるポジティブ。

そこで、新規にわいせつ動画をゲットするべく、違法ダウンロードソフトを立ち上げてみたのだけれど、欲しい動画がなんか全然落ちてこない。「残り時間 16日」などと表示されている。おいボケ、16日後のオレが、その動画を今と同じ気持ちで見たいだなんて保証がどこにあんのじゃ。
僕は憤慨した。憤慨すると結構頭って冴えて来るもので、ひとつの解決策に行き当たった。そう、TSUTAYAである。

早速とるものとりあえず、家を出発。偉いもんでTSUTAYAに到着したときには既に半立ちの状態であった。階段を駆け上がり、「ここから先はエロい物しかありません」という注意書きのカーテンをくぐると、そこには本当にエロいものしかなかった。先客が一人居たのだけど、彼は僕が入室する瞬間まで股間を触っていたような気がする。若いって良いよね。

さて、僕は早速物色を始めた。レンタルビデオ屋でアダルトビデオを借りて、それがしょうもなかったときの悲しさと言ったら、フォアグラがそんなに美味くなかったときのそれに似ている
そんな憂き目に遭いたくなかったので、僕はもう必死に物色をした。

熟女コーナーに『デリ夫人』という、デヴィ夫人そっくりの女が股を開いて笑てる作品があった。誰…

短編:『アンナ・ブルー』

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そのレストランは、店内奥が全面ガラス張りになっていて、神戸の夜景がまるで一枚の壁紙のように見えることで有名だった。今日はあいにく雨だったけど、それでも窓硝子に吹き付ける雨粒が、街のネオンを拡散させて、夜景をまるで抽象画のように見せてくれている。

絶景だった。

特等席に腰かけた僕らは、誰もがそうするようにしばらくその夜景に見とれた。サオリはうっとりと窓の向こうを見つめている。彼女からはかすかに香水が匂う。ロマンチストとはほど遠い僕は、この景色を「綺麗」と称する以外の言葉を持ち合わせていなかったので、ずっと黙っていた。店内にはジャズが静かに流れ、その遠くからはほんの遠慮がちにノイズのような雨音が流れてくる。

僕たちの時間はまるで止まってしまい、サオリはただ黙って窓の向こうを見つめていた。

「最高」

やがてその小さな唇から不注意のようにこぼれた言葉を合図に、時間は動き始める。

「気に入った?」
「うん」

視線をこちらに向けずに答える仕草がまた、様になっている。勿論僕は彼女のそういった仕草があまり好きではない。

「食前酒をお持ちいたしました」

顔を上げると、僕と同い年ぐらいの男性が銀の盆に小さなシャンパングラスを2つ載せて立っていた。背筋は伸び、凛としている。

「ポメリー・ロゼ・シャンパンと、イタリアのブラッド・オレンジでございます」

給仕は、滑らかな舌で紹介しながら、僕の前にシャンパンを、アルコールの飲めないサオリの前にはブラッド・オレンジを静かに置いた。真っ赤なオレンジジュース、「ブラッド・オレンジ」だなんて、洒落てる。

「ありがとう」

最小の音量で礼を言うと、給仕は静かに立ち去った。それを見届けたあと、僕らは何も言わずにグラスを重ねた。

『カフェ・ド・パリ』だね」

オレンジジュースに口を付けながら、サオリは呟く。さっきの映画を思い出しているらしい。

「アンナを気取るにはちょっと身長が足りないんじゃないか?」

僕の言葉に頬を膨らませながら、サオリは飽きもせず夜景に視線を走らせた。

「素敵な映画だったと思わない?」
「そうだね」

正直なところ、退屈な映画だった。でもそんなこと言ってしまえば、彼女の機嫌を損ねるに決まってる。

僕らが見たのはフランス映画、シネ・リーブルで2週間だけ上映されるような、無名の監督による注目もされない映画だった。でも、フランス憧れの強いサオリは、めざとくそれを見つ…

兄さんのiPadがiOS4.2にアップデートされて、夢、膨らんで。

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iOS 4.2 で可能になった事の感想まとめ(iPad編)
http://applembp.blogspot.com/2010/11/ios-42-ipad.html

 iPod touchやiPhone、iPadには「iOS」というOSが入っている。「OS」というのを「脳みそ」にたとえる人もいれば、「指揮官」にたとえる人もいるけれど、「オペレーション・システム」の略だと言えば、なんとなくわかるんじゃないかなぁといつも思っている。Windows 7やMac OS 10.6みたいなやつもOSであり、つまり昨今利用者うなぎ登り中の皆さんのお手元にあるiPhoneなんてのは、もはや携帯電話ではなく、ちゃぃちぃのコンパソなのであるよ。
さて、そんな「iOS」のバージョンが4.1から4.2にアップグレードした。

ちなみに、iPhone 4を手にしながら、「なんで4なんだ?」と首を傾げていたあなたへ。
iPhone 4の「4」はiOSが「4.x」だからだぞ! 全く、大丈夫かな。
ということで、今回iPod touch、iPhone、そしてiPadのOSがバージョンアップした。OSがバージョンアップすると言うことが何を意味するか、つまり「できることが増える」と考えて良い。

んで、iPad。誰も使てないiPadもその恩恵を受けている。
こういった情報はたくさんの人が拡散させておかなければ、のちにiPadを持つ人間が困るようになる。マイノリティの使命として、記しておこうと思う。

『iPadで新しくできるようになったこと》

記事によると、iPadでは下記の点が新しく追加された機能だそうだ。

『フォルダ』ホーム画面でのアプリ管理が楽
『マルチタスキング』アプリ間の移動が便利
『AirPrint』iPadからプリンタが無線
『AirPlay』iPadからApple TVやAirPlay対応デバイス
『iPhoneを探す』の無料化
『50音キー』キーボードの追加
1)『フォルダ』ホーム画面でのアプリ管理が楽に

iPadのホーム画面には、iPod touch、iPhone同様たくさんのアイコンが並んでいるのだけれど、それらを自分の好きなグループごとに「フォルダ」に格納して画面を整理できるようになった。これはありがたい。ゲーム系のアプリは「ゲームフォルダ」を作成し、そこに全部放り込ん…

短編:『ディア・スリム』

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偏頭痛がする。
一息で飲み干したビックルをゴミ箱へ。分別回収が当たり前になった昨今ではビンを「燃えるゴミ」 に捨ててはいけない。ビンは燃えない。そう、ビンは燃えないから「燃えるゴミ」に捨ててはいけない。極めて簡潔、スタイリッシュな理由。曖昧模糊が美しいとされる日本で、その潔さには共感を覚える。いいぜ、ゴミ分別。
私はビックルの空ビンを、丸い穴が2つあいたゴミ箱の右側、“ビン”と書いてある方の穴に放り込んだ。正解。ビンはビン箱に。こういう時、なにか社会人としてとても偉いことをしたような気になる。私はビンをきちんと捨てられた達成感に満たされながら、しばらくそのゴミ箱を見ていた。2つある穴のもう片方には“カン”と書かれている。カンは左に、ビンは右に、分別回収が当たり前になった昨今、取り立てて珍しいものでもない。
思えば、そのときゴミ箱を凝視してたのがいけなかった。
ビンの穴とカンの穴は、あろう事かゴミ箱の内側で1つに繋がっていた。放り込んだビンとカンはその向こう側で一カ所にまとめられてしまう。捨てた側の善意は無視されたのだ。
猛烈に腹立ってきた。ファッキン。イヤホンから大音量でエミネムが流れてくる。
かつて大人気となった白人ラッパーエミネム。本名マーシャルマザーズ。イニシャルM&M(エムアンドエム)で『エミネム』。自らを「スリムシェイディー」と称し、くだらないポップミュージックを一刀両断、彼の曲は8割方「オレは最高、オレに勝てるヤツなんていねぇぜ」という曲が占めている。良くまぁそんなに手を変え品を変え自分を賞賛できるものだと感心する。

「本物のスリムシェイディーさん、お立ちになってください。繰り返します。本物のスリムシェイディーさん、お立ちになってください」

OKわかった。神戸のスリムシェイディーはここにいますよ!なんてテンションがアナーキィに上がっていく。立ち止まる私を横切っていく人達、全員しばきたくなる。エミネムはよくない。道徳的に良くない。アメリカのPTAは偉い。
私はゴミ箱の前でエミネムのせいでイライラしていた。約束の時間までは若干あるし、なんかいきなりおもっきり雨降ってきたし、ともかくJR三ノ宮駅のハートインの前でイライラしていた。
そんな私の脇を横切る姿があった。汚いホームレス。とてつもなく香ばしい匂いをまき散らしながら彼は私になど目もくれず、問題のカン・ビン…

言葉は人を救わない。

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賢人達は皆、「言葉とは、どういうつもりで発したかではなく、どう受け取られたかである」と仰る。まさに慧眼、すげぇええこと言うなぁと思う。

僕には持病もあって、他人の発する言葉に対して必要以上に懐疑的であったり、深読みをしすぎる傾向があるため、「言葉」というものに対して敏感であると自負している。「自負」の使い方が間違ってるような気がするけどもね。

さて、先に書いたとおり、「言葉とは、どういうつもりで発したかではなく、どう受け取られたかである」、蓋し正論である。たとえば「あなたの言葉に勇気づけられた」と言われた場合、それは間違っている。言葉にはそんな力はない。もしもあなたが僕の言葉で勇気づけられたのだとしたら、それは僕の言葉に「力」があったのではなく、あなたに僕の言葉を「理解」し、そしてそれを「消化」し、その上で自分を奮い立たせるだけの「力」があったということでしかないのだと思う。

というのも、もし万が一、言葉そのものに力があるのだとしたら、「薬」のような効能があるのだとしたら、どんな人でも救えるような「言葉」があるはずだし、誰が口にしてもたちまちに相手を元気にさせることができるはずではないか?

しかし、実際は違う。

片想いの相手にフラれた程度の相手に「世の中そう言うこともあるよ」と言って、相手が「そうだよな」と元気になったとする。しかし、自分が末期癌であることを宣告された人に「世の中そう言うこともあるよ」と言って、相手は「そうだよな」となるだろうか? ならないだろう。前者は、まだ心に余裕があり、相手の言葉に「聞く耳」を持ち、それを「消化する力」があり、自分を奮い立たせる「力」が残っているだろうが、後者にはまず相手の言葉に「聞く耳」がないだろうし、あったとしても、「それはそうだけど…」と消化できないだろうし、そもそも「お前にオレの何がわかるんじゃ」となるだろう。

言葉とは全て、「受け取る側」のモチベーションに依拠しているのである。

それなのに、世の中には「発する側にイニシアティブがある」と信じて疑わない人がいて、そういう人たちがいるせいで、たくさんの「嫌な言葉」というのが生まれている気がする。

例えば、「オレは、お前のためを思って言っているんだよ」だとか、「心を鬼にして」だとかがそうであると思う。

「お前はオレのことを思ってくれてるのかも知れないけれど、オレにはお前にオレ…

乱れるのは一晩限りの女だけでいい。

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「服装の乱れは心の乱れ」という格言がある。とても良い言葉だと思う。「心の乱れ」という複雑でデリケートな問題を「服装を正せばよい」という単細胞な解でもってねじ伏せる身も蓋も、元も子もない感じ、格言とはこうでなくてはならないと思う。

ところで、もし僕が、「服装の他に心の乱れを現す『乱れ』はな〜んだ?」と訊かれたら、間違いなく「室内の乱れ」と答えるだろう。独り住まいをされている方には同意していただけると思うのだけれど、心が乱れていると、室内が乱れる。これはもう間違いない。


「室内の乱れは心の乱れ」

である。

先述のエントリーで、別に僕はここ最近穏寧無事に生活しているわけではない旨書かせていただいたのだけれど、これは事実で、ここ2週間ほどの僕の心は荒れに荒れている。
現在、目の前にうずたかく山積している問題に立ち向かいて、1つ1つ丁寧に片付けをしているのだけれど、「1つを片付けるとなぜだか新に2つの課題が増える」という不可思議な症状に見舞われており、問題を片付ければ片付けるほど、結果、問題が増えていくという状況に身を置くうちに、僕の心は乱れ、荒み、腐乱していった。

するとどうなるか。

気がつくと、部屋が絶望的なまでに乱れていたのである。

脱いだ靴下は脱いだ場所に、飲み終えたコップは飲み終えた場所に、食い終えた皿は食い終えた場所に、読み終えた本は読み終えた場所に、読んでさえいない封書は玄関付近に、無秩序に不作法に散らばって、たとえばトイレの便器脇にステレオのリモコンが置いてあったり、珈琲を空けたマグカップに使い終えたフェイシャルペーパーが丸めて突っ込んであったり、寝床で背中が痛いなぁと思ったらベッドのど真ん中に認め印が置いてあったり。

とにかく部屋は乱れに乱れきっており、また僕は山積する課題との格闘に100%を費やしていたため、それらを片付ける心的余裕を失ったまま2週間を過ごしていた。

するとどうなるか。

コーヒーを飲むのにマグカップがない。目玉焼きを焼くのにフライパンを洗っていない。さっき買ってきたコーラだと思って飲んだコーラが3日前に買ってきたコーラの飲み残しで、ぬるい弱炭酸の液体が口腔内に入ってきてそれを吐き出して咽せた、その咳で灰皿の灰が舞い上がり、その灰を鼻から吸ってしまった僕はクシャミをした勢いで踏み出した一歩が、床に転がっているレモン味のペリエの瓶を踏んで僕は転…

ものには適正な大きさがある。

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auがandroid端末をタダ同然で配ってる件について
http://bit.ly/aXHOQP

前にIS01を電車で使てる人がいて、「アレはいったい何なんや」と驚いた。なんせデカいのである。もはや携帯電話のサイズではない。NINTENDO DSよりも一回りぐらいデカい。その時IS01を使てた人は、「ふふん、ボクは今、最先端にいるんだよ」みたいな鼻の穴のデカさで自慢げに端末をさわっていたけれど、僕は全然羨ましいと思わなかった。結果、この始末である。買ったばかりの端末が無料同然で配布されている今、彼はどういう気持ちで自分のIS01と向き合っているのだろう。きっと彼は多額の金子を支払ってこの端末をゲットしたのだろう。予約していたかも知れない。そのために艱難辛苦に耐えながら働き、働いて働いて、ようやく手にした給与の、ほぼ全額を使って購入したであろう端末が、この短期間で無料になっている。


不憫でならない。

でも、まぁ正直それはどうでも良い。あれはどう見たって、失敗作である。そういったものを見極める目を、彼が持っていなかったということである。だからどうでもいい。

ちなみに、そんな不憫な彼を、不憫な目で見ているとき、僕の膝の上にはiPadが置いてあった。iPadはIS01なんかとは比べものにならないくらいデカい。一部の心ない人からは「ただのデカいiPod touchだろ」と言われている。

しかし、iPadのよさは、その「ただのデカい部分」にこそあるということを、非iPadユーザは気付いていない。「ただのデカいiPod touch」のポテンシャルをナメてるとお前ら本当にいたい目に遭うぞ、と僕は言いたい。
いつの頃からか、日本には「小さければ小さいほどよい」という風潮が生まれていた。携帯もウォークマンも「世界最軽量」だとか「世界最小」というのが惹句になる世の中になってしまっていた。たぶんそれは、日本が持つ技術力に依拠した、それを世界に誇示したいがための一種のプロパガンダだったのではないだろうか。たしかに、持ち運ぶ必要のあるものは小さい方が良いこともある。しかし、一事が万事、全部が全部小さい方が良いわけではない。世の中には「おっきい方がいいときもある」というのを忘れてはいけない。


別にちんちんの話をしているのではない。


僕は長年iPod touchを使用してきたが、音楽を聴く以外に使っ…