12.25.2011

芦屋市某町で最も栄誉ある音楽賞、ヒロニー賞2011発表。

Check  
さて、今年もやってまいりました。ヒロニー賞2011の発表を行いたいと思います。
ヒロニー賞は、2011年1月1日以降に僕のパソコンに追加された曲の中から、年間を通じてiTunesおよびiPodでの再生回数の最も多かったアーティストに贈られるという、芦屋市某町における最大の音楽賞です。

受賞資格は下記の通りです。
1)僕のパソコン(iTunes)に入っていること。
2)追加日が2011年であること(発売日が2010年以前でも追加日が2011年以降であれば受賞資格有り)
3)プロ、アマ問わず。

昨年は「楽曲」に対して贈られたヒロニー賞ですが、今年を集計したところ、10位以内に同一アーティストの楽曲が7曲も入ってしまうという異常事態になってしまったため、今年は再生回数ベスト100に入った楽曲の再生回数を、アーティスト別に集計し、『最も再生された10アーティスト』の発表に変更しました。

では早速発表に移ります。本場グラミー賞とは違い、ヒロニー賞はランキング形式でベスト10をお送りいたします。

それでは、参りましょう。

第10位:Mat Kearney

【合計再生回数:86回『Sooner or Later』(12月21日 追加)

《寸評》
突如として現れた、正体不明の男性シンガーソングライター、Mat Keaney。なんと読むのかもわからない。前情報も全くなく、このまま彼を知らずに年を越しても不思議ではなかったはずなのに、まさかのランクイン。それもそのはず、2011年デビューのぴっかぴかの剥きたまご。デビューアルバム『Young Love』も別段iTunesランキングに入ってきたわけではない。それなのにどうしてここまでの再生回数を記録したかというと、それはGoogleさんが年末に発表した『Zeitgeist 2011- Year In Review』という動画のおかげである。この動画のBGMがMat Kearneyの『Sooner or Later』なのである。僕はこの動画に衝撃を受け、そして、なんだこの素敵な音楽は…と感動し、そしたらもう、キャプションに書いてあって即購入。そこからは伝家の宝刀「1曲リピート」で聴くに聴きまくったら、たった5日間でベスト10入りしたのである。

声が、ColdplayのChris Martinに似ているのがよかったのか、この心揺さぶるコード進行がよかったのか、久しぶりに聴いた、こういうオルタナ系が気持ち良かったのかわからないが、今後に期待できるアーティストである。アルバムもなかなかよかった。8点。


第9位:Avril Lavigne

【合計再生回数:98回『What the Hell』(4月1日 追加)

《寸評》
アヴリル・ラヴィーンのアルバムは毎回クソだけど、1曲だけ必ず中毒性のある曲があって、それがシングルカットされて、その売り上げだけで、スタッフは食っていける─それが僕の考察である。この、潔いまでの「1曲以外、全部捨て曲」というスタンスは、賛否両論だろうが、僕は音楽をアルバム単位ではなく、楽曲単位で聴く、音楽ファンの風上にも置けない人間なので、気にしない。


第8位:DAVID GUETTA

【合計再生回数:101回『Where Them Girls At』(8月7日 追加)

《寸評》
2011年最もブレイクしたDJつったら、このおっさんだと思う。デイビッド・ゲッタ。Will.i.amやNicki Minaj、Ne-yo、Madonnaなんかともコラボしちゃって、もう大御所達をすっかり丸め込んでいる。ビデオクリップなんかに出てくる本人の映像を見ると、なんか、オタク臭というか、小室哲也的な感じ、「運動でけへんねやろなぁ」って感じがする。まぁただの悪口やけど。
中でもNicki Minaj&Flo-Ridaとのコラボ、『Where Them Girls at』という曲はとても格好良かったと思う。ものすげぇ聴いた。


第7位:Lady Gaga

【合計再生回数:151回『The Edge Of Glory』(5月17日 追加)

《寸評》
ベスト100の中に『Born This Way』『The Edge Of Glory』『Judas』の3曲がランクイン。Lady Gagaは、そのパフォーマンスやライフスタイルで「新しい」とか「斬新」と評価されるけれど、曲のメロディラインは別に真新しくもなんともないし、どちらかというと古臭いぐらいで、彼女も公言してるように『Born This Way』はほぼMadonnaの『Express Yourself』まんまであるが、まぁそういうのはええやん。


第6位:Bad Meets Evil

【合計再生回数:170回『Fast Lane』(7月1日 追加)

《寸評》
EminemのRoyce Da 5'9との新しいユニットBad Meets Evilがランクイン。それにしてもRoyce Da 5'9ってなんて読むんやろね。Hip-Hop界はイタい名前、DQNネームが多いなぁ。そういえばBad Meets Evilっていうユニット名も、イタさ満点、いわゆる『厨二病』って感じがする。ラップする人たちってのは、永遠の「クソガキ」たちなんだなぁ。
Bad Meets Evilはベスト100の中に『Fast Lane』『Welcome 2 Hell』、そして、2010年大ブレイクのブルーノ・マーズとコラボした『Lighters』の3曲がランクイン。永遠のクソガキなのに、売れっ子とのコラボを忘れない見え透いた経営戦略的な部分が少し鼻につくけど、まぁ食っていかなアカンから仕方ないし、Eminem自体もビッグネームだから許そう。僕が許しても仕方ないけど。
この『Fast Lane』は、Royce Da 5'9のラップから始まって、Eminemに入れ替わった瞬間の、Eminemのラップのキーがとても気持ちいい。それだけ聴きたくて聴いてるところがある。


第5位:Coldplay

【合計再生回数:176回『Every Teardrop Is a Waterfall』(6月5日 追加)

《寸評》
もう少し上位かと思ったけれど、Coldplayがここへランクイン。アルバム『Xylo Myloto』は前半が最高で後半が意味不明だけど、ここ最近発表するシングルカットはどれも秀逸な気がする。ベスト100には他に『Paradise』がランクイン。これも良い曲。調子いいなぁ、Coldplay。このバンドは、なんかもう『完成』って感じがする。ボーカルはボーカルっぽいし、ピアノ弾けるし。んでギターはギターっぽい、ベースはベースっぽい、ドラムはドラムっぽい。なんか「ザ・バンド」という感じがする。ブレイクしてからだいぶ経つけど、クオリティを保ってるなぁと思う。


第4位:Nicki Minaj

【合計再生回数:177回『Check it out (feat. will.i.am)』(2月23日 追加)

《寸評》
Nicki Minaj。僕は彼女のことを「コラボ・ヤリマン」と呼んでいる。実際、ベスト100にランクインした3曲のうち『Check it out』はBlack Eyed Peasのウィル・アイ・アム、『Roman's Revenge』はEminemとのコラボだし、今回は集計に数えなかったが、先述のDAVID GUETTAの『Where Them Girls at』にも思いっきりコラボっている。どこにでも出てくる。「お?いいやんこの曲」って思ったら「またお前か…」みたいな気分になることが多い。
でも、魅力的ではある。こういう女性ラップって今まで見たことないし、まぁなに言ってんだかわかんないけど、技術がある気がするし、あと、表情がいい。


第3位:Sixpence None the Richer

【合計再生回数:180回『Angels We Have Heard on High』(12月11日 追加)

《寸評》
これはもう、この一曲のみ。今年のベストクリスマスソングを探していて、たまたま懐かしいバンド名を見つけたので聴いてみたら、完全にハマった。このバンドは『Kiss Me』という曲でブレイクし、そして消えた。
しかしながら、この曲には本当に鷲掴みにされた。12月11日追加で、たった2週間で3位につけるぐらい聴いた。聴きまくった。
なにが良いって、まず声がいい、掠れたり揺れたりしてるのに音程から外れないのは、歌が上手い人に共通する部分だと思います。NokkoとかPaula Coleとかかな? GAOとか? うーん、あんまよく知らん。
んでこの曲はサビが良いのです。「ぐろーおおおおおーおおおおおーおおおおおーりあ」の最中にバックで「グローリィア、グローリィア、グローリィア」と3発コーラス入れてくるやり口がまず憎い。そして、なによりそのあとの「in Excelsis Deo」の部分の、下から上がってくるコード進行は、まぁ憎たらしい。すげぇ憎たらしい。だって完全に狙っています。編曲者の「ええでっしゃろ」って顔が思い浮かびます。憎い、憎たらしい。踏んづけてやりたい。踏んづけてやる!


第2位:ASKA

【合計再生回数:288回『あの鐘を鳴らすのはあなた』(5月4日 追加)

《寸評》
集計してみて一番ビックリしたのがここである。
僕はASKAが好きだ。CHAGE and ASKAの頃から、「世の中のミュージシャンは2つに分けられる。CHAGE and ASKAか、そうじゃないかだ」と思ってきた。けれど、解散してからというもの、パッとせず、カバー曲ばかりリリースして「ちゃんとせぇよ」と思わせられ続けてきた。そして、別段1曲をヘビーリスニングしたわけでもなく、ベスト100の上位にASKAの名前はない。しかし、その100曲の中に、なんとASKAの曲は13曲も入っているのである。僕のASKA愛は、僕の知らないところで、まだ息づいているようだ。


さて、2位までを長々とご紹介してきましたが、ついに栄えある第1位、つまりヒロニー賞2011の発表です。

今年1年、ひろ兄が一番たくさん聴いたアーティスト、第1位はこちらです!


第1位:RADWIMPS

【合計再生回数:1753回『君と羊と青』(3月8日 追加)
《寸評》
ベスト100に19曲がランクインし、合計回数1753回。2位のASKAに1500回近い差をつけて、圧倒的な大差でRADWIMPSが第1位。
これはもう、アルバム『絶体絶命』のラインナップによるところがとても大きい。楽曲別ベスト100で見ても、1位に『君と羊と青』、2位に『ものもらい』、4位に『DADA』来て5位に『π』、8位の『G行為』と、見事に『絶体絶命』の楽曲が並んでいるし、7位もシングル『狭心症』のカップリング『寿限夢』である。圧倒的に強かった。もう、圧倒的だった。今年はライブも観に行けたし、やはりRADWIMPSは強かった。


ということで、今年のヒロニー賞2011はRADWIMPSが獲得しました。
皆さんはどうですか? iTunesで音楽管理をしている方は、スマートリストを作成し、『追加日』『2011/01/01』より『後』である」『メディアの種類』『ミュージック』である」、選択方法を「再生頻度の最も高い項目」としてみてください。今年一年を振り返るのに良いかもしれませんよ。



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12.21.2011

どうしてこうなる?

Check  
Facebookを見ていて、大好きなバンド、Coldplayがなんか動画をアップしていた。こんな感じで。




説明の欄に『Feist: How Come You Never Go There. Beautiful. Will』と書いてある。
iPodのCMソングを歌って一躍人気になったカナダの女性シンガーソングライターに「Feist」という人がいるので、どうやらこの動画は自分たちの新作とかではなく、Feistの『How Come You Never Go There』という曲のPVかなんかであり、それが「Beautiful」なのだと言ってるんだなぁというとこまではなんとなくわかったのだけど、最後の「Will」ってなんだろうと疑問に思った。

そこで、説明書きの下にある「翻訳を見る」をクリックしてみる。最近のFacebookはなんとも気遣いができるというか、痒いところに手が届くなぁ、僕らのように外国語を解さない三流階級のために、外国語を『翻訳』してくれるだなんて、嬉しいなぁと思ってクリックしてみると、こんなことになった。




唐突に現れた「安室奈美恵」


どうしてこうなる?


追伸、もちろんFeistは安室奈美恵ではない。





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10.24.2011

言葉は人を救わない。

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賢人達は皆、「言葉とは、どういうつもりで発したかではなく、どう受け取られたかである」と仰る。まさに慧眼、すげぇええこと言うなぁと思う。

僕には他人の発する言葉に対して必要以上に懐疑的であったり、深読みをしすぎる傾向があるため、「言葉」というものに対して平均以上に敏感であると自負している。「自負」の使い方が間違ってるような気がするけどもね。

さて、先に書いたとおり、「言葉とは、どういうつもりで発したかではなく、どう受け取られたかである」、蓋し正論である。
たとえば「あなたの言葉に勇気づけられた」と言われた場合、それは間違っている。言葉にはそんな力はない。もしもあなたが僕の言葉で勇気づけられたのだとしたら、それは僕の言葉に「力」があったのではなく、あなたに僕の言葉を「理解」し、そしてそれを「消化」し、その上で自分を奮い立たせるだけの「力」があったということでしかないのだと思う。

というのも、もし万が一、『言葉そのもの』に力があるのだとしたら、「薬」のような効能があるのだとしたら、世界中のどんな人でも救えるような「魔法の言葉」があるはずだし、誰がその言葉を口にしてもたちまちに相手を元気にさせることができるはずではないか?

しかし、実際は違う。

片想いの相手にフラれた程度の相手に「世の中そう言うこともあるよ」と言って、相手が「そうだよな」と元気になったとする。しかし、末期癌を宣告された人に「世の中そう言うこともあるよ」と言って、相手は「そうだよな」となるだろうか? ならないだろう。前者は、まだ心に余裕があり、相手の言葉に「聞く耳」を持ち、それを「消化する力」があり、自分を奮い立たせる「力」が残っているだろうが、後者にはまず相手の言葉に「聞く耳」がないだろうし、あったとしても、「それはそうだけど…」と消化できないだろうし、そもそも「お前にオレの何がわかるんじゃ」となるだろう。

言葉とは全て、「受け取る側」のモチベーションに依拠しているのである。

それなのに、世の中には「発する側にイニシアティブがある」と信じて疑わない人がいて、そういう人たちがいるせいで、たくさんの「嫌な言葉」というのが生まれている気がする。

例えば、「オレは、お前のためを思って言っているんだよ」だとか、「心を鬼にして」だとかがそうであると思う。

「お前はオレのことを思ってくれてるのかも知れないけれど、オレはお前に、オレのことを思ってもらいたいと思わない」と思うことが多々ある。「心を鬼にして」と言われると、「オレのせいでお前が苦労してるみたいな感じになってるの?」と思う。

自殺を考えている人に、「生きてればいいこともあるさ」という言葉があるが、「それはお前の主観だろう」と思う。死のうと思っている人は、そもそも「生きていても良いことはない」「死んだ方が良いことがある」と判断したから自殺を考えるのである。自殺ナメんな、と思う。

「頑張れ」とか「ちゃんとせぇ」とかも随分曖昧模糊としていて好きではない。

今回のこの件について、何を、どういう風に、どうこなしていくことが『頑張る』になるのか教えて欲しいし、『ちゃんと』っていうのはいったい何をどうすることを指しているのか、そう言った説明責任を一切無視して「ちゃんとして頑張れ」と平気の平佐で言うてくる人間のいかに多いことか。


言葉は人を救わない。


その人が救われたと思ったとしても、それは、その人にまだ自分で立ち上がれるだけの力が残っていたからである。

同様に、「言葉は人を傷つけない」とも思う。確かに、配慮の足りない、無慈悲な言葉で傷つく機会は多いかも知れない。しかしそれも、相手との関係であったりしないだろうか。「この人には何を言われても良い」と思えるほど、相手を信用していれば、少々の言葉に傷つくことはない。けれど、「お前には何も言われたくない」と思っている相手からの言葉であれば、「今日は良い天気だね」という言葉さえ不快に思えるかもしれない。

言葉は人を救わないし、言葉は人を傷つけない。言葉は単なる「きっかけ」でしかない。辛辣な言葉を受けて、傷つくのも受け流すのも、相田みつをの言葉を読んで、救われるのも唾棄するのも、全ては受け手の裁量なのである。

言葉を発する側は驕ってはならないし、言葉を受ける側は相手のせいにしてはいけないのである。
そして発する側も、受け取る側も、全てを「言葉のせい」「言葉のお陰」にしてはいけないのである。

人を傷つけてしまった人は、言葉のせいにするのではなく、自分と相手の関係において、あの言葉は適切だったか、自分は相手にあの言葉をかけられるほどの信頼があったかを、関係性を反省するべきだと思うし、言葉で救われた人は、言葉に感謝する暇があったら、立ち上がることができた自分自身を褒めてあげて欲しいと思う。

昨今、名言集みたいなのが流行している。言葉が持ち上げられている。上記の理由から、僕は少し違うなーと思うのである。

少し違うなーと思いながらも、この「言葉は人を救わない」という言葉が名言集に載らないかなーってちょっと思ってしまってる自分もいるので、そういう煩悩まみれの僕は明日にでも白装束に身を包み、滝に打たれてこなければと思っている。



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10.07.2011

東京が、攻めてくる。

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通っている職業訓練校に、夜場さんという方がいる。55歳で、以前は繊維系商社にお勤めで、上海に9年住んでいらっしゃったのだけど、僕は夜場さんと喫煙所で和談するのをとても楽しみにしている。
この方の話はとにかくおもしろいのである。ものすごくおもしろい。こんな55歳になりたいと心から思うし、会社勤めの時、この人が上司だったら、僕のサラリーマン生活も変わっていたかもしれないとさえ思う。まぁ、上司のせいにするのはよくないが。

この方には、持論がある。持論はあるのだけれど、年齢が半分しかない僕の意見にもきちんと耳を傾けてくれる。たぶん、知識欲が豊富な方なのだろう。若輩の意見に対しても「あぁ、そうか、そういう考え方があったかぁ」と共感してくれるし、意見が食い違っても、年齢にかこつけて頭ごなしに否定するようなことは絶対にしない。

今日、そんな夜場さんと、神戸についての話をした。僕も夜場さんも神戸に住み、基本的に神戸を愛している。僕は神戸が好きだ。独特の雰囲気があって、地方都市だけれど、全国区の知名度がある。「兵庫県」という県名よりも「神戸」という市名が先に出てくるのは、横浜か神戸ぐらいのものじゃないかという手前味噌な認識がある。

ということで、僕はそのとき、夜場さんの前で神戸を絶賛していた。神戸愛について熱弁していた。夜場さんも同じく、神戸を愛する人であるので僕の話をうなずきながら聞いてくださっていた。

しかし、その雰囲気が少し変わった瞬間があった。それは僕が「神戸は、東京へのあこがれみたいなものが薄くて、地方都市としても自立しているのが誇らしい」という話をしたときである。僕は神戸に対し、そういう認識を持っていた。

夜場さんは「でもね」と言って、このような話を切り出した。

かつて、神戸に限らず、地方都市は、どこでもそれなりに自立していて、その土地その土地ならではの特色があった。しかしそれがある時期を境に、変わっていった、地方都市が東京にお伺いを立てるようになり、地方都市の「独自性」が失われていったと思うと夜場さんは言うのである。


そして夜場さんはこう言った。

「ある時期」というのはね、『新幹線が通ってから』なんだよ、と。


新幹線が開通して以来、地方都市の独自性が、すべて東京に奪われていったと夜場さんは言う。その昔、神戸や大阪に本社を置く企業はとても多かった。大手7大商社のうち、東京に本社を置く会社はせいぜい2つほどで、伊藤忠を始め多くの商社の本社は関西にあった。また、松下電器やサントリーなど、関西発の大企業も多かった。でも、今は全部が東京に行ってしまった。大阪の伊藤忠ビルなんてひどいものである。

その元凶が、新幹線が来たことじゃないかな、という意見なのである。

昔の地方出張は宿泊が当たり前だった。でも今は、21時に出張業務が終わっても、新幹線で東京に帰ることができる。そうすると、観光産業的にも地方にお金が落ちにくい。そういう意味でも、新幹線が東京だけにお金を運んでいると言えるような気がするし、東京発のチェーン店が、地方都市の地元の飲食店を軒並み飲み込んでいるのも、見ていて残念だと思う。

という話であった。夜場さんが指摘する、神戸が変化した時代、僕はまだ中学生か、もしかしたらそれ以前のことなので、当然リアルタイムでは知らないのだけど、それでもこの意見を聞いたとき、そういえば僕も昔、神戸にがっかりした経験があったのを思い出した。

あるとき、僕は久しぶりに神戸一番の繁華街、三宮(さんのみや)に遊びに行って、そしてなんとなく落胆したのである。

好きだった個人経営の喫茶店がつぶれて、全国チェーンのカフェに変わっていた。味のある居酒屋が和民になっていた。レトロ感あふれる公衆トイレが改修されて、没個性的なトイレになっていた。

神戸は突然、激烈に変化していたのである。

当然新幹線はもう開通している。ではなぜか。

実はその頃、神戸に、神戸空港が開港したのである。

神戸空港が完成し、たくさんの人を神戸に誘おうとなったとき、神戸はなんとなく没個性的になったような気がした。画一的なカフェ特集の雑誌に掲載されている、個性的ではないインテリアの飲食店が増え、歴史的な、レトロ感のあるお店は次々に淘汰されていった。テレビで見たことのある「東京のお店みたいなお店」が山のように増えた。
反対に、東京に「大阪発」だとか「神戸発」というような店が増えたというニュースをテレビで見るようになった。いつしか、大会社の本社はすべて東京にあるような錯覚に陥り、たまに「大阪本社」だとか「神戸本社」というのを聞くと、物珍しさを感じるほどになった。

こういった印象を、夜場さんは新幹線の開通で、僕は神戸空港の開港で、感じたのである。

新幹線や高速道路、空港網が整備されればされるほど、東京の人たちは日帰りで地方を訪れることができるようになった。東京の文化は簡単に地方に輸出できるようになった。地方都市の中で独自に成長していた文化よりも、テレビや雑誌で取り上げられる、東京の最新の文化こそがイケてるという認識が広まり、東京文化がもてはやされるようになった。かつては、宿泊するのが当然だった観光地も、宿泊する場所ではなく、日帰りで手軽に通り過ぎることができるようになり、旅館は集客に苦慮するようになった。

上海に9年駐在していた夜場さんの話では、今、中国でも同じことが起こっているのだという。

上海万博だの、昨今の経済成長だので、今、中国では交通網が急速に整備されているのだけれど、そのせいで地方都市のアイデンティティが危機に瀕している。
たとえば上海から少し離れたところに、蘇州市という街がある。歴史的にも様々な味のある建造物がある観光地だそうだ。また『蘇州夜曲』という名曲のテーマになった街でもあるのだけれど、この街ではずっと、蘇州語という言語が話されていた。中国には様々な言語があり、地域によって話す言語が全く違っている。それもひとつの文化であった。
しかし、交通網が整備されて、街同士が近くなったことで、たくさんの上海人が蘇州を訪れるようになった。

その結果どうなったか、現在、蘇州市での言語は、上海語が標準語になったし、それだけでなく「蘇州市」という名称さえも危うくなり、「蘇州地域」「蘇州区」というような扱いになりつつあるのだそうだ。

話を戻そう。交通整備のせいで、新幹線のせいで、地方都市の独自性が失われていて、地方都市に落ちていたお金が落ちなくなったという説を夜場さんがぶちあげたのである。

この説はとてもおもしろいと思う。

というのも、田中角栄の時代から、地方に新幹線を引くことは、地方のために重要な政策であると考えられていた。東北新幹線ができたことで喜んだ東北地方の方は多くいらっしゃったと思う。

しかし、新幹線は人を運んでくるだけでなく、その人をもれなく連れて帰る、またお金も連れて帰る。交通網は、首都の文化を地方都市に広め、地方都市ならではの文化は東京に持ち帰られ、東京的にアレンジされ、「東京の文化」と同化される。

「新幹線は東京をつれてきて、お金と文化を連れて帰る」

夜場さんの説は、つまりこういうことである。

のであれば、気になるのは先頃開通した九州新幹線である。

九州新幹線が開通したことで多くの九州人は喜んだと思う。「新幹線が地方にまで伸びる」というのは、良い現象だと信用されているからだ。もちろん、良いことだ。たくさんの、今まで九州に足を運ばなかった人が遊びに行けるようになるのは悪いことではない。

でも、その反面、九州新幹線によって、九州の南端へ出張しても、日帰りで帰れるようになってしまうのではないか。するとお金は落ちず、文化は吸い取られていってしまうのではないか。

神戸市が没個性的になっていったように、福岡市も同じ憂き目に遭いはしないだろうか。

乱暴に言えば、新幹線が伸びると、それに乗って東京が攻めてくる。新幹線を信じることが必ずしも良いことではないのかもしれない。

夜場さんのそういう認識はおもしろいなと思った。
もちろん、こういった会話は喫煙所の他愛のない和談である。
だからといって、アンチ新幹線を唱え、JR本社の周りを旗を持って歩き回ろうなんて腹はない。

大切なのは、「こういった発想ができること」だと思うのである。
与えられたものを、盲信するのは簡単だ。そして、極端にアンチになることも簡単である。あら探しをすれば、誰だって簡単にアンチになれる。

難しいのは、「あれは確かにいいことだけど、ひょっとしてこういう問題点があるんじゃないか?」という発想である。

信じながら疑い、疑いながら信じる。

そういったポジショニングが、喫煙所の他愛ない談話であっても、興奮を生むのだと思う。楽しい話をするというのは、こういうことなのではないかと思った。

明日も夜場さんとの会話が楽しみである。楽しすぎて、つい煙草の本数が増えてしまうのが難点なのだけれど。



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3.07.2011

なにをそこまで。

Check  
カンニングの事件だけれども、一体何でこんなに大騒ぎになっているんだろう。例えば、試験中に隣の席の人間の答えを覗いたとか、カンニングペーパーを使用したとかで、それらが発覚した場合、絶対にこんな大騒ぎにはならなかっただろう。
ということは、カンニングのやり方が問題だったということになるけれど、時代を考えれば、今時の学生にとって、これはカンニングペーパーと同じレベルのモノであり、時代が変わってカンニングペーパーが携帯電話になったというだけのことであると思う。

そう考えると、なにが悪いかって、今回のようなカンニングのスタイルを予想できなかった古い考え方の大学サイド、あるいは、予想していたとしてもそれを発見できなかった甘い大学サイドっていう結論にしか落ち着かないじゃないか。

1年に何万人もの大学受験生がいる中、彼以外にカンニングをした人が一人もいなかったと考えられるだろうか。僕は少なくともそこまで楽観できない。カンペや、前後左右の席の回答を覗いている人間だって絶対にいただろう。

そういった人間は咎められて失格になったか、あるいは見つかることなく逃げ切ったかしているだろう。受験生も人間であれば大学サイドも人間である。

であるなら、彼一人に全てを押しつけて「わたくしどもは完璧でした」なんて方便は最も苦しいし、非現実的じゃないだろうか。「わたくしどもにも責任がある」という一言もないというのはなんだか不気味である。大学サイドが繰り返すのは「来年の入試では改善する」ということばかり。カンニングをしたとはいえ、一人の人間の将来なんかお構いなしに、ただひたすら「糾弾すべし、徹底的に調べて欲しい」などと生け贄のように扱うのは、これ大人のすることなのだろうか。

カンニングはアカンことである。そんなことはみんな知ってるし、彼自身も知っている。でも、罪刑法定主義というのがこの国にはあって、罪には、その罪にあった罰が下されるべきで、罪以上の罰も罪以下の罰も許されない。また、罪に対する罰はすでに刑法で定められているというのが罪刑法定主義、この国の刑法の根本である。
正直、今、彼に与えられている罰は、もはや死刑に近いようなものだと思う。大学の合格を取り消されたのは仕方ないにせよ、社会的にも抹殺されたも同然だ。匿名にされているとはいえ、個人情報なんて簡単に手に入る。なによりも、事態がここまで大きくなっていることに、本人が怯えてしまっている。

例えば、ある大学でカンニングを見つかって不合格になった。でも、マスコミに取り上げられなかったとする。そいつは一年勉強して、今度は分相応な大学を受ければいいし、受験の際に怯える必要もない。でも、彼は違う。自分が犯した罪を日本中の人が知っているような気がしてしまうのではないだろうか。そうすると、来年、どの大学を受けるにしたって当日頭をよぎるのは一年前のこと。試験官全員が、受験生全員が自分のことを知っているのではないかという恐怖で怯えきってしまうかも知れない。

なによりも恐ろしく悲しいのは、現状と、この先を悲観した彼が、自らの命を絶ってしまうことである。人間は、案外簡単に死を望む。自分が行ったことがメディアを通じて日本中に知れ渡ってしまった恐怖に日々怯えながら生きるより、死んだ方が良いと考えたって不思議ではない。

そして、彼がもし自殺したとして、それを報道するメディアはどれだけいるだろうか。前述の通り、彼を追い詰めたのはどう考えてもメディアである。「自殺の恐れがあったから」「社会的に大きな問題になったから」、逮捕の理由はたくさん挙げられているけれど、すべてメディアが報道したからである。個人と大学の間だけで「こら!」「ごめんなさい」で済んでいれば、リセットできたであろう可能性をメディアが完全に断ってしまっている。

自分たちが悲劇に追い込んだ人間の末路をメディアは報道しないだろう。どういう言葉で締めくくればいいのかわからないだろうから。

あるいは「自責の念に駆られて」などと、わけのわからぬ結句で終わらせるのだろうか。いずれにしても、ネットニュースに「入試ネット投稿事件」なんていうカテゴリを作るのはもうやめて、その分、それと同じだけの熱意を込めて、今年の桜がいつ咲くのかについてを、是非とも報道してもらいたいものである。



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2.14.2011

Bullet in a Bible.

Check  


今まで観てきたライブビデオの中で、客が一番デカい声で歌ってるのがGreen Dayの『Bullet in a Bible』ツアーである。
歌い出しのサビに合わせて、観客が一斉に歌い始める。マイクなんてついてないのに、ボーカルに匹敵するような大音量で客は絶唱する。
こんなライブを提供できるGreen Dayというバンドはやっぱすげぇんだなぁと思うし、こういうライブに参加したいなぁと思う。

日本で外国人のライブを見ると切ない。
MCの英語を全く理解できないから、なんか、変な空気になる。

僕も決して英語ができる人間ではないけれど、それでも、MCが呟く一言二言くらいはわかる。というか、それぐらいわからないと、失礼じゃないかと思うのである。「音楽に言葉は要らない」という人がいるが、それはウソである。たとえば、外国のバンドに影響を受けて、人生観を変えられたと豪語するくせに、「世界一のバンドだ」と豪語するくせに、その世界一のバンドが何をどう歌っているのかを全く知らないでいる「ファン」が多い。

自分の大好きな人が、尊敬する人が英語を話すなら、英語を理解できるように努力すべきだと思うし、フランス語を話すなら、フランス語を理解できるよう、努力すべきだろう。その努力を怠って、「音楽に言葉は要らない」などと嘯いている人間は、「偽物」だと思う。

どれだけモッシュの仕方に詳しくても、ダイブの仕方に詳しくても、或いはそのバンドのヒストリーやバンドメンバーが使っている楽器類についての知識が豊富でも、お前がそのバンドの話者が話す言葉を解さないのであれば、それは「偽物」である。その努力をしようとしないで、「オレの人生を変えてくれた」なんて嘯くのは、やはり「偽物」である。

本物は、バンドの話者が話す言葉を、英語を、或いはフランス語を、或いは中国語を、或いはスペイン語を理解した上で、その上で「音楽に言葉は要らない」と胸を張るのである。

あなたはどっちだ?



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2.13.2011

ええ女の条件。

Check  
日付の変わる少し前まで、大学時代の旧友達と中華料理店にて、美味い酒、旨い食事を飲みかつ、これを食らい、和談に花を咲かせていた。僕としては珍しいというか久方ぶりの友人達との触れあいの場であり、とても楽しかった。

さて、そんな楽しい酒宴の席で、僕は「ええ女」というものに出会ったので、忘れないように、酩酊してはいるけれど、ここに記しておこうと思う。

ええ女は突如現れた、というと、さっきまでいなかったええ女が、遅参もしくは呼んでもいないのに現れたと受け取られるかも知れないが、そういう意味ではなく、その女は酒宴中ずっと僕の隣にいて、ずっと和談に参加していたのだけれど、その女が「ええ女」であるということが、突如判明したという意味である。もちろん学生時分の旧友である。全員皆ええ人、ええ友達、女も皆ええ女である。しかし、僕がその女友達に対して抱いていた「ええ度」が飛躍したのである。

話はちょうど僕が「デアゴスティーニやないねんから」というツッコミを入れたところから始まる。酒宴も佳境を超え、そろそろ最終電車が近いという折、なにかの拍子に僕は「デアゴスティーニやないねんから」とツッコミを入れたのだけど、そしたら隣に座っていたY氏がいきなり、それはもう、本当に「いきなり」と言う他ないくらいいきなり、「私、デアゴスティーニ買ってるねん。『チキュウノコウブツ』と言い放って、場は消沈した。

その時その場にいた全員が、一瞬にして同じことを思っていた。


「チキュウノコウブツってなんじゃぇ?」


するとY氏はまるで、「世界中のみんなが知っているのに、あなたたちだけはそれを知らないのか?」とでも言いたげな、不思議そうな顔で、言った。

「石、隔週で、石が送られてくるやつ」と。


デアゴスティーニを知らない人はさすがにいないと思う。2週間に一度、デアゴスティーニ社より、おまけ付きの雑誌が送られてくる。例えば「週刊フェラーリ」みたいなものだと、毎号毎号フェラーリの概要、詳細、歴史などを記した雑誌と共にフェラーリのプラモデルを構成する部品がひとつびとつ送られてきて、最後まで購入したものは、フェラーリの精巧なプラモデルの完成形を手にすることができるというものである。僕もかつて、『隔週刊 Xファイル DVDコレクション』なるものを定期購入していた時期があり、その節は毎号毎号、Xファイルという海外ドラマの2話分が収録されたDVDが送りつけられてきていた。

デアゴスティーニには多種多様な「週刊もの」がある。『隔週刊 パッチワーク』『隔週刊 NHK 名曲アルバム CDコレクション』『週刊 戦国甲冑をつくる』『隔週刊 日本の古寺・仏像DVDコレクション』『週刊 マクラーレンMP4-23』『隔週刊 鬼平犯科帳DVDコレクション』『週刊 航空母艦 赤城を作る』『週刊 江戸』『隔週刊 東宝特撮映画 DVDコレクション』『隔週刊 Xファイル DVDコレクション 改訂版』『週刊 ディズニー・ドリーム・ファイル』『週刊 エヴァンゲリオン・クロニクル 新訂版』『週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版』『隔週刊 落語百選 DVDコレクション』などなど挙げればきりがない。

そんな中、Y氏は『チキュウノコウブツ』なるものを定期購読しているというのである。Y氏によると、「1ヶ月に2回、石が送られてくるねん。ルビーの原石とかあるねん。」とのこと。調べてみれば、あったよ、『隔週刊 地球の鉱物コレクション』てのが。

隔週刊 地球の鉱物コレクション

そこからのY氏の話は、にわかには信じがたいものであった。

Y氏曰く。

「1ヶ月に2回、鉱物(石)の入った雑誌が送られてくるのだけれども、最初の方こそわりかしキレイな石が送られてきてやったー、うれしいな、うれしいな、と思っていたのに、最近は『黒いマグマ』『白いマグマ』『白黒はっきりしないマグマ』など、全然華やかではない石ころが次々と送られてきていて残念で仕方がなく、また、届いたときに石にきちんとシールを貼っておかないと、黒い石などは山のように届くから、それがどの鉱物なのか、わからなくなるし、ルビーの原石が届いて嬉しかったけれど、大部分は真っ黒の普通の石で、そこに申し訳程度に赤いホクロのように、石が佇んでいるから残念だった」

とのこと。

僕らは彼女の話を聴きながら思った。

「この子は何を言うているの?」と。

そもそもY氏が鉱物に興味があるなんて、付き合いも10年になるが全く知らなかったというのが1つ。あと、デアゴスティーニにありがちな現象として、「最初の方は買ってたけど、段々買わなくなって、最終的に忘れる」というものがあるし、そんな、『黒いマグマ』『白いマグマ』『白黒はっきりしないマグマ』なんかが送られてきたら、これはもう完全にデアゴスティーニサイドに「いいようにされている」状態であり、黒い石、黒い石、黒い石、白い石、黒い石、灰色の石、と続いて送りつけられたら、通常の神経であれば激怒。「こんなもんはもう要らんわい!」と言うて、解約。浮いたお金でファッションを充実させましょかしら、それともおいしいモンを食うてこましたろかしら、となりそうなところを、なぜ解約しないのだろうというのがもう1つあった。

絶句する僕らを不思議そうに眺めるY氏の目線から逃げつつ、残された僕らはこの2つの疑問に、強引にでも納得できる理由をつけようというアイコンタクトをとり、ひとまず「鉱物が好きだっただなんて知らなかった」という点については、「いかな友達と言えども、知らないことはある」という理由をつけて落ち着けて、次の「なぜ解約しないのか」に話を進めることに、無言で合意した。

そこでXファイルを購読していた僕が「そっか、あれやろ? クレジットの自動払いになってるんやろ? あれって解約しにくいんよな」とY氏に、内角低めで投げかけたところ、Y氏はそれをいともたやすくジャストミート、打球はそのままレフトスタンドに突き刺さった。


「いや、毎号ついてくる振込用紙で、その都度支払ってるよ、コンビニで」


僕達は思った。

「この人、ホントになに言ってるの?」と。


人には人の好きなものがあって、Y氏は鉱物が好物である、それはいい。でも、自分の口で、『黒いマグマ』『白いマグマ』『白黒はっきりしないマグマ』と続くとつらい」と言うのだから、だったら解約すればいいじゃないか、それが解約しにくいもの、手続きが煩雑で、ついうっかり解約し損ねているものなのであればまだしも、コンビニ払いという、むしろ支払いの方が煩雑な作業なのであれば、支払わなければもう送られてこなくなるわけで、じゃあそうすればいいじゃないか、だいたい…

くらいのタイミングで、Y氏は続けるのである。

「なんかさ、もう80個ぐらい、石があるから、置き場所に困ってるねん」と。


僕達は思考を遮って、声を揃えた。

「はちじゅっこ!!」

Y氏のもとに毎月届く石の数は2個である。石が80個届いているということは、すでにY氏は40ヶ月、つまり3年と4ヶ月、Y氏は石を受け取り続けているのである。そして、そのうちのほとんどは、『黒いマグマ』だとか『白いマグマ』だとか『白黒はっきりしないマグマ』だとか、その辺に転がっている石とほとんど変わらない石なのだという。ちなみに、このシリーズは100号まで続くんだという。

というか、というか、というかさ…

「というか」

僕はあわてて訊いた。

「この3年4ヶ月の間、オレら、何回か会ってるよね? その時、そんな話いっこも出てけぇへんかったやん?」と。

するとY氏は「うん、言うてないよ」とニコニコしている。

言わね? 普通、言わね? オレだったら言うなぁ。「オレさ、今、石買ってんだ、石。んでさ、『黒いマグマ』『白いマグマ』『白黒はっきりしないマグマ』が届いて参っちゃってんだよ」って、オレなら言うよ。

すでに、弁護士のI氏が笑いすぎて腹を押さえて泣いている。

雲母
Y氏からはさっきまで、バイオリンを習い始めたこと、婚活がうまく行かなくてげんなりしていること、マンションを買おうと思っていることなど、たくさんの話を聴いてきた。けれど、僕が「デアゴスティーニやないねんから」とツッコミを入れなければ、『隔週刊 地球の鉱物コレクション』の話は絶対に彼女の口からは出てこなかっただろうし、だからといって彼女は意識的に黙っていたわけではなくて、本当に、自然に、当たり前のように『隔週刊 地球の鉱物コレクション』を受け取っては、コンビニで支払いをし、給料日前には「この2,000円はイタイ」と嘆きながらも、それでもコンビニで支払いをし、『黒いマグマ』『白いマグマ』『白黒はっきりしないマグマ』などを、同梱されてきた収納棚に収納しているのである。しかしながら、彼女は鉱物にハマっているわけでは決してない。知識も僕らとほとんど変わらない。曰く、「雑誌を読んだそばから忘れる」のだそうだ。無理もない、興味がないのだもの。「雲母(うんも)とか、送られてくるんやで、もう…」と嘆く彼女。「雲母なんて、理科ぶりやわ」と驚く僕達。

Y氏は言った。

「マンション買ったら、石を飾れる棚を買うんだ」と。

その棚には、アメジストやルビーの原石が並び、それよりも圧倒的多数で黒と白と灰色の、雲母やマグマが並ぶのだろう。100個。


驚くと同時に、僕は思った。
「この女、ええ女や」と。

わかる人にわかれば、それでいい。



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1.17.2011

お部屋計画。

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来月の中旬に、友達がたくさん遊びに来てくれるのだけども、部屋の現状を目の当たりにすると目眩がする。僕の部屋は今、あまりに散らかっているのである。しかし、1日をかけて完膚無きまで部屋を片付ける体力がないことは以前、証明されている。そこで、今日から当日までの1ヶ月をかけて、ゆっくりと部屋を片付けていこうと思う。

僕の部屋はほぼ正方形と言って良い形をしているので、それを「田」の字形に4分割して、1ヶ月(4週間)の1週間ずつをそれぞれのパートに専念するのである。

ただし問題がないわけでもなく、僕の部屋を「田」の字にした場合、「田」の右下がものすごく汚いくせに、「田」の左下はほぼ掃き掃除で終わるという点である。勢いに乗っている序盤に右下を攻めるのが良いのか、最初は左下を掃除し、右下は最後まで残しておくのが良いのか。

そしてなにより、1ヶ月も集中力が続くのか、そして、前半に片付けた部分を、約1ヶ月間、友人が来るまできれいなままキープし続けられるのか。

そういうことばかり考えてしまって、一向に掃除に取りかかることができないでいる。難儀なものである。



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語り継ぐべき人やもの。

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阪神大震災から16年が経った。
当時、僕は中学2年生で、友人の言葉にハッとしたのだけど、震災前の人生より、震災後の人生の方が長くなった。もちろん、日が経つにつれ、月が経つにつれ、当時の記憶は薄らいでいるし、そもそも僕が暮らしていた街は、神戸市ではあったけれど、被害は少なく、けが人もほとんどでなかった。
だから、震災当時の僕も、学校が休みになったことが嬉しかったし、夜になってようやくつながるようになったテレビが倒れた阪神高速道路を映し出していても、「映画みたいやなぁ」という感想しか持たなかった。

高校に上がり、震災で友人を亡くしたとか、家族を亡くしたという友人が増えたことで、「怖かったんだなぁ」と少し身近に感じられるようになった程度である。

とても中途半端な立ち位置にいると思う。毎年1月17日の午前5時46分に起きて、黙祷を捧げるほど震災に心理的に近いわけではないけれど、神戸に住んでいたものとして、あの朝の突然の揺れは体が覚えているから、被災者ではない人よりは震災に近い。

この時期になると、「リメンバー・阪神大震災」というドキュメントが深夜にずっと流れている。テレビには決まって仏壇に手を合わせる老婆や、息子の遺影に手を合わせる両親が映し出されている。いかに震災が悲惨だったかを、そして残された者の悲しみは今も癒えないということを繰り返し流している。それを見るにつけ、なんだか不思議な気持ちになる。不思議な気持ち、結局は違和感なのだけど。

結局、悲しむ人は、誰に何を言われようと、なにも言われなくても、悲しむし、悼むし、震災を忘れないと思うのである。マスコミが家に来ようが来まいが。
一方で、忘れたい人だっていると思う。震災のことを思い出したくない人もいるだろう。その人が震災を忘れようとしたとして、それを誰が責められるだろうか。

要するに、各々が、各々のやり方で震災を受け止めている。ある人は大切に毎年毎年思い出そうとするだろうし、ある人はきちんと消化しようとしている。外から入ってきた人間がそれをコントロールするべき事ではない。

もちろん、『防災』という意味では、語り継がれなければならないことだろう。でも、それ以外に、義務的に語り継ぐ必要はあるのだろうかと思う。

今年、ついに小学校1年生から中学校3年生まで、全員が震災を知らない世代になったそうだ。そこで、学校は震災についてきちんと知っておくためのカリキュラムを組んで、生徒に震災経験者へのインタビューなどをさせ、そこから覗いた震災について語らせるという授業を行っていた。

とても大きな違和感が残った。



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1.14.2011

伊達直人の不気味。

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最近、往年の覆面プロレスヒーロー、タイガーマスクの正体である伊達直人? 緒方直人? を自称して、施設にランドセルを贈る者が現れ、それに追随する形で矢吹丈やらなんやらが相次いで施設にランドセルを送りつけていて、日本列島津々浦々「こらええこっちゃムード」になっているのが僕にはどうにも気持ち悪い。なんというか、据わりが悪い。その、据わりの悪さについて考えてみたところ、いくつかの「なぜ?」が据わりの悪さの要因になっていることがわかったので、ひとつずつ潰していこうと思う。

幸いなことに、現在の僕には、そういう無為なことに費やすだけの時間は、腐るほどに、ある。

さて、僕が「なぜ?」と思うのは下記の通りである。

1)なぜ、正体を隠すのか?
2)なぜ、ランドセルなのか?
3)なぜ、模倣者が続出しているのか?

まずひとつめの「なぜ正体を隠すのか?」についてだけれど、これにはふたつの仮説が立っている。ひとつは、日本古来の「秘匿する美」に基づいた、無意識的な行動だという説である。「こういう世のため人のため的なことは、コッソリやるべきだし、実名を公表するなんて不粋の極み。調子に乗ってると思われて石礫ぶつけられてもかなわんし」という気持ちから正体を隠しているのではないかという説である。あるいは「こういうことをやるときは、正体を隠すものだ」という思い込みにすらなっているのかもしれない。

もうひとつの仮説は先の説とは相反して、「目立ちたい」というものである。「おいおい、なに言ってんだ、このチンカス野郎、目立ちたい奴が正体を隠すかよ」とお思いの方もあるかも知れないが、どうだろう、本当にそうお思いか?

例えば、茨城県の佐藤和夫さんが近所の施設にランドセルを寄付したとする。そんなものがニュースになるだろうか? せいぜい地元新聞の「人と街〜つながる絆〜」の紙面を埋めるぐらいのものだろう。少なくともテリー伊藤や小倉さんの口上に登るようなことにはならなかっただろう。今回の事件は、3つの要素で構成されている。これは僕の「なぜ?」と合致するけれど、『正体不明の人間』が施設に『ランドセル』を贈り、『模倣する者』が続出している、という事件なのである。

そして、その中でも「正体不明の人間が行った」からニュースになったのである。佐藤和夫さんが全国の施設にランドセルを配っていたとしても、ニュースにはならない。佐藤さんに倣って、たくさんの人が正体を明かした状態でランドセルを配り初めても、取り上げるのはニュースではなくアンビリバボーとかの番組だと思う。

この、妙な「匿名性」が話題を呼んでいる以上、当事者に「目立ちたい」という気持ちがあったということを否定はできないのではないかと思う。

さて、次の「なぜ?」、つまり「なぜランドセルなのか?」という点である。模倣者の中にはランドセル以外のものを贈っている人がいるようだけど、少なくとも一番最初の『伊達直人』はランドセルを贈った。でも、なんで『ランドセル』なのだろう。鉛筆百本やノート千冊ではダメだったのだろうか。きっと、ダメだったのだと思う。最初の伊達直人にとっては、ランドセルでなければ意味がなかったのだと思う。

でも、受け取る側にすれば、ノートや鉛筆の方がありがたいだろう。施設に入っているのは、なにも孤児だけではないし、入居している「ランドセルを買えない子供の数」「届けられたランドセルの数」が合致しているとは思わない。余ったり足りなかったりするランドセルの処遇に困る施設関係者も多いだろうと思う。

なぜ、そんな面倒くさいランドセルを贈ったのか、答えは明白で、それは、初代伊達直人が「ランドセルじゃなきゃイヤだった」、つまり伊達直人の『好み』、もしくは『願い』だったのであろう。そもそもランドセルというのは、小学校の6年間をずっと一緒に過ごすもので、人間の小学校時代におけるシンボリックなものである。子供達はランドセルと共に色々なものを見、成長していく。そのため、そもそもランドセルというのは、「親から、もしくは祖父母から、つまり血縁者から贈られる」という儀式を経て、一種、神秘的なものに変貌する。血縁者からの「社会を見て回っておいで」というメッセージと共に与えられるのがランドセルであると僕は考える。

そう考えたとき、初代伊達直人がやってることは、はっきり言って、「出過ぎた真似」だと思うのである。そして、「お前、なんかあったんか?」と思ってしまうのである。

正直、一番初めに施設にランドセルを送った伊達直人は、例えば自分に子供ができなかったとか、小学校に上がる前に自分の子供と別れなければならなかったとか、何かの悲劇に見舞われて、先述の「血縁者から子供にランドセルを贈る」という儀式を行えなかった人間なのではないかと考えている。

「孤児」「タイガーマスク」「無償」という言葉で彩られているため見えなくなっているかも知れないが、「見ず知らずのおっさんかおばさんかもわからん人からもらったランドセル」なんか使いたいだろうか? 僕ならイヤだ。それであれば、面倒を見てくれた、親代わりとも呼べる施設の所長から「おめでとう」と言ってもらいながらもらった方が嬉しいだろう。

たとえば、赤子が生まれたばかりの家に、ある日突然おしゃぶりがたくさん置いてあったらどうだろう? ご両親は嬉しいだろうか? それよりは紙おむつがたくさん置いてある方が嬉しいだろう。

僕は、どれだけ慈善事業でも、正体も明かせない人間が、ランドセルを贈るべきではないと思う。それならそれ相応のお金を置いておく方がよほど誠意ある行為だと思う。ランドセルではなく、お金を置いてしまうことで「目立てなくなってしまっても」、本来はそうあるべきである。

正義の味方だからなにしても良いというのは、暴論である。

そして模倣する者の出現に対する「なぜ?」
僕は今回の件の模倣者の平均年齢は「高め」だと推測している。ヒーローのチョイスの古さや、垣間見える、押しつけがましい『願い』に触れるにつれ、そう思う。20代や30代ではない。そして、人生において、子供との間に何かしらの悲劇があった人間、初代伊達直人が始めた行為に感銘を受けた模倣者も同じく、年齢層の高い人間だと思う。子供を失ったほどの悲劇ではないにしろ、自分の子供はもう成人したり高校生だったりして、全然可愛くなくて、小学生の頃の息子や娘は可愛かったなぁと懐古的になっている人たちの行っている、自己満足だと思うのである。

自己満足は悪いことではない。でも、自己満足というのは、自己の不満が満たされた時点で達成されてしまう。こういった慈善行為は継続されなければ意味がない。僕はこの件について、月光仮面の例を出さなかった。昔から、いきなり月光仮面の格好で政治的メッセージを看板に掲げて現れて、金を撒き散らして帰っていくあの月光仮面である。

(彼女)は確かに正体不明であるが、まず姿を現している。そして、配るものは「現金」である。そして、なによりもその行動が「継続されている」という点で、僕は「真である」と思うのである。「真である」つまり、「信念がある」と感じるのである。

今回の伊達直人騒動にそこまでの信念があるのか、それとも、心の傷を癒すための一時的な自己満足なのか、僕は後者に思えて仕方なくて、だからこそ不気味なのである。

僕はもうじき30になるが、職もなければ金もない。そんな僕の所には伊達直人も矢吹丈もルパン三世も、江戸川コナンも誰一人やってこないのだから。


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1.04.2011

渡部陽一への恐怖。

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渡部陽一
2010年、テレビ業界を席巻し、一気にお茶の間の人気者になった戦場カメラマンの渡部陽一氏のことは、僕もご多分に漏れず、すごく好きで、ザッピングしていて彼がでている番組を見つけると、つい手を止めてしまうようになっている。
今日も、ザッピングをしていたら、脳科学者の茂木先生監修のクイズ番組に渡部陽一氏がでていたので「お?おもろそやなぁ」と思わず手を止めた。
番組自体はさまぁ〜ずと優香が司会をしている単なるクイズバラエティで、番組内ではインテリ芸人、ロザンの宇治原が3連覇なるか、というのがメインテーマであり、渡部陽一氏もメインで登場と言うよりは、「今、旬だから」みたいな出方をしていた。そんな中、意外に健闘する渡部陽一氏がピックアップされ、茂木先生に脳に関する質問をするという場面になったときの、渡部陽一氏の質問にちょっと冷や汗が出た。



「どうしても、戦場に戻りたくなってしまうのですが、

 これは職業病でしょうか?」


という質問だった。

それを見た時、僕は背中がひやっとしたのである。

なんのことはない、ただのバラエティ番組で、あの木訥な口調にくわえ、画面の下にはテロップがゆーっくり出てきて、完全に『ネタ扱い』されているし、渡部氏がそれを言い終わると、みんな笑い出して「出た、渡部節」という感じになったのだけど、それにもかかわらず、僕の背中はなんかゾゾゾっとした。

「どうしても戦場に戻りたくなってしまう」という、聞きようによってはとても怖い言葉をニコニコした表情とゆっくりした口調で茂木先生に投げかける雰囲気が、正直不気味だったのである。

また、渡部陽一氏自身を見ても、笑顔ではあるが、心から「よくわからなくて困っている」という感じで茂木先生に質問しているような気がした。まるで、自分の中で今は息を潜めている、行動的で攻撃的で、刺激を求める人間性が暴れ出しそうになっていて、それを止められなくて困っているというように見えたのである。そして、その質問を受けたときの、茂木先生は一瞬、張り付いたような表情になったように見えた。なんというか、茂木先生だけは、口調や外面ではなく、渡部陽一氏の質問、困惑の意味をきちんと理解し、その不気味さに「ぞっ」となったように見えたのである。

その後の、茂木先生の回答はこうだった。

「1で生きてきた人間が、100を経験すると、もう100でしか満足できなくなる。渡部さんにとって、戦場が唯一100になれる場所、日本では100を経験することができないから、戦場に戻りたくなってしまうのではないでしょうか」

というものだった。

渡部氏は、ニッコリと笑うと「ありがとうございました」と頭を下げ、そのあと、ただニコニコと回答を繰り返し、淡々と決勝に進出し、淡々と決勝戦で敗北し、淡々と準優勝をしていた。エンディングでは、出演者が舞台中央に集まり、優勝したやくみつるがコメントをしているのを隣で渡部氏がニコニコ見ていた。渡部陽一氏以外の全員が、その時画面の中で、芸能人としての仕事をしていた。けれど、当の戦場カメラマンはただ独り、そこで休息しながら、「退屈だなぁ」と感じながら、次の戦場に向けて束の間のレクリエーションに時間を潰しているだけのようにも見えた。

昨年かに子供が生まれたという渡部陽一氏、それでも戦場に戻りたくなってしまうと言う。
テレビでブレイクし、「可愛い」だのなんだのと言われているけれど、そして別にそれは悪いことだとは思わないけれど、彼にとって、テレビ出演は戦場への旅費稼ぎであり、退屈しのぎであり、完全な「オフ」なのだろうと思う。

それをニコニコと「これは職業病でしょうか?」と訊いた彼の底知れぬ感じに僕は少しだけ、恐怖を覚えたのだと思う。



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1.03.2011

火星人マイナスの2011年

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火星人マイナスの2011年の運気
<総合運>
〈乱気〉で苦しみを味わった火星人(-)ですが、〈再会〉を迎えた2011年は、晴れやかな気持ちで過ごせるでしょう。
これまでやりたいと思っていても手が出せなかったことや、やむを得ず中断していたことにもう一度挑戦するチャンスです。
やってみたい仕事があるなら、思い切って異動を願い出たり、企画の提案をしてみましょう。今までと違い、開放感に満ちあふれている2011年は、何をしても生き生きと取り組めるはずです。
そうした姿は、周囲の人の気持ちも動かすにちがいありません。とくに、1月4月5月は自分で思っている以上の成果が得られそうです。
火星人は、自分から初対面の人に心を開くことはない一方で、多くの人をひきつける魅力は持っています。2011年はそうした面にも磨きがかかるので、多くの人があなたに接近してくるでしょう。
その目的はさまざまですが、相手の本質を鋭く見抜く力に恵まれているのも火星人の特徴ですから、自分の直感を信じ、付き合いを深める人、そうでない人を区分してください。
また、これまでなんとなく話が合わないと敬遠していた人がいるなら、思い切って話しかけてみましょう。
引っ越しや、転職を考えている人は3月や9月がチャンス。新しい場所で、あなたの今後の人生に大きく影響を与えそうな人との出会いが待っていそうです。
思っている以上の成果が得られるのが1月って…なんにもやってへんやんけー、せめて2月まで待ってつかぁさいよぉ。「なんにもやってへんなりに、得たやん?」つって、お隣さんから蜜柑もらってハイ終了、みたいなんイヤやで。今、オレ、大事な時期なんやから。
んで、引っ越しするなら3月かぁ、ここはふむふむです。
<恋愛運>
愛情面も、今までと違って順調です。パートナーの言動にイライラすることの多かった人も、2011年は相手の立場や気持ちを推し量る余裕が生まれ、おだやかな態度で接することができるでしょう。
交際中の人は、足踏み状態が続いていた結婚話が一気に進展しそうです。恋人がいない人は、出会いのチャンスはあちこちあるのですが、問題はそれに気づくかどうか。他の誰かと比べたりすることのばかばかしさはよくわかっているはずですから、自分の心の目でしっかりと相手を見ることです。
パートナーの言動にイライラすることの多い一年だったので、2011年に期待したいと思いますし、パートナーには僕以上に2011年の僕の優しさに期待していてもらいたいと思います。
<健康運>
健康面でも心配はありません。今まで、食事や間食にストレスのはけ口を求めていた人は、食習慣を正すだけでなく、本格的なダイエットに取り組んでも成果が期待できます。
自分の生活サイクルに合った方法を見つけさえすれば、人に急かされたりごほうびを用意したりしなくても、目標の数字に向かって行動できるはずです。
持病のある人は、体質改善や根本的な治療に、腰をすえて取り組むといいでしょう。
なんで、「太ってる人」前提で話を進めるんかなぁ。「痩せすぎの人」はいつも裏を読まないといけないので大変です。ただ、裏を読むとなるほど!と思います。
<金銭運>
2010年は予定外の出費に頭を悩ませた火星人ですが、〈再会〉を迎えた2011年は落ち着きを取り戻せそうです。目に入るものすべてが欲しくなっていた前年とは違い、気持ちに余裕があるので、要不要をしっかり見分けることができます。そのうえ、"ついうっかり"といった失敗が少なくなるので、余計な出費もしなくてすみます。
友だちや知人から頼まれたことは、よほど無理なことでない限り気持ちよく引き受けてあげましょう。感謝されるだけでなく、お金やちょっとした品物がお礼としてもらえるかもしれません。
また、家計にゆとりが生まれた分は、たとえ少額でも貯金に回すことを意識してください。火星人はもともと貯蓄が上手ではないので、毎月決まった日に自動的に積み立てられるようにしたり、給料日前日の小銭を貯金箱へ入れるなど、気軽にできるものがいいでしょう。無理に節約をしようとするとストレスが溜まってしまうため、あくまでも気軽さを重視してください。好運気が始まる3月からさっそくスタートを。
1人暮らしを始めたい人や、独立や開業を考えている人は、金銭面での計画を具体的に考えてください。4月、11月は、思いもかけないスポンサーがあらわれ、一気に実現に向かう可能性もあります。
友人や知人に頼まれたことを、お金やちょっとした品物というお礼目的でやるのってどうなんでしょう(笑)
2011年は僕のメインバンクは三井住友銀行から三葉銀行になります。三葉さんに金銭の運用全てをお願いして、僕はもう莨とジャンプが買えたらそれでいいと割り切ることに決めました。まぁさっそく携帯の機種変で揺れてますが。

それと、なんだか全体的に幸運期が3月から来そうですね。3月は誕生月でもあるのでなんかホンマにそうなりそうな気がします。僕ももうじき30歳になります。

30歳になったら、20代にあったことは全て忘れようと思っています。
<その他>
やりたいことにはチャレンジしましょう。これから3年間で結果を出すつもりで取り組んでください。仕事も人間関係も、苦手意識を捨て、まっさらな気持ちで向かうこと。意外なほどスムーズに進み、成果もすぐに得られそうです。
「3年間で結果を出す」ってのがナマいですね。生々しい。
でもまぁ、30歳から3年間で結果を出すことを始めると、もう33歳ですからね。いい年だし、僕はたぶん49歳で死ぬので、それでも遅いぐらいですね。わかりました。何かを頑張ります。まだ何を頑張るか決めてないですけど…。
★開運ポイント★
新しいことを始める時に、具体性に乏しい火星人(-)。そんなあなたの役に立つアイディアをタイミングよくもたらしてくれるのが、2011年〈種子〉を迎えている水星人(-)です。また2人でいることで、将来プラスになる人物と出会うことができるでしょう。
「お客様の中に、水星人(-)の方はいらっしゃいませんか?
 いらっしゃいましたら、しばらくそばにいてくれませんかぁ?」
〈達成〉にあたる北北東の方角に出かけてみましょう。仲間と一緒にアウトドアを楽しんだり、計画を立てない気ままな旅が良さそうです。旅先では思いがけなく恋がはじまる可能性も…。
神戸から北北東って…能勢

ということで、今年の運勢、そこまで悪くなさそうです。
もし今年末、昨年と同じ轍を踏むようなことになっていたら、僕は細木某を…許すまじ。


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火星人マイナスってなんなのか。

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新年明けましておめでとうございます。
一年の計は元旦にありとはよく言ったもので、一年の計を元旦に立てておくと、その一年の自分の行動スケジュールを、全てその「計」に基づいて行うことができるので、ぶれない。人間とはなかなか有機的なもので、「ああしたいなぁ」とか「こうしたいなぁ」と思っていても、直後にすれ違った女の乳がデカかったら、それだけで「グフフ」と笑ろて、今し方、何をどうしたかったのかをいきなり忘れてしまったりする。そういうときに備えて、「計」を立てておくことが大切である。

僕なんかはその辺をきちんとわきまえているので、昨年も一年の計として「平穏無事」をかかげ、一年を平穏無事に送るための様々な作戦を立てて来た。元旦に「計」を建てているので、僕はぶれずに、往々にして、折に触れて「平穏無事、平穏無事」と唱え、それが実現するよう、善処に善処を重ねてきた。
その結果どうなったか。上司からのパワハラは悪化し、心神は耗弱、思いがけないトラウマの発見で、両腕をカッターナイフで切り裂き、精神疾患用薬物の同時大量摂取にて救急車に運搬され、精神の崩壊、現在も職場とは戦争中という、想像を絶するような「激動の一年」となってしまった。なんでじゃ。

一年の計を元旦に立てたというのに、このていたらく、目標達成率2%みたいな状況になってしまったのはなぜなのか、僕は年末真剣に考えた。なぜなら誰も会う人がいなくて、暇だったから。その結果、1つの結論に達した。

「僕はまだ、自分のことについてよくわかっていないのではないか」

ということである。自分自身のことがよくわかっていない分際で、自分自身の一年の計を立てたところで、よくわからぬ自分がそのように行動できるかどうかなどわかるはずがない。慧眼、慧眼。

そうなれば話は早い。
僕は、なんだか忘れたけれど、「火星人マイナス」という人間だという。
細木某という人間が僕をそう定義しているらしい。細木某という人間についてはよくわからないけれど、細木某は、地球人に宇宙人の名とその陰陽を与えることで財をなした傑人だそうで、そこまでの人間が僕を「火星人マイナス」と呼ぶのだから、僕はまぁ、間違いなく「火星人マイナス」なのだろう。「ひろ兄」ならぬ、「火星人マイナス兄」なんだろう。

ということで、細木某のウェブサイトで月額525円というえげつない会費を支払い、「火星人マイナス」という人間がどういうものなのか、教えてもらった、下記、細木某の指摘と、それについて思い当たる節についてコメントをしてみた。

○火星人マイナスについて

<特徴>
プライドが高く、なかなか人に本音を見せようとしません。シャイで人見知りすることも多く、交友関係はそう広くはないのですが、ひとたび心を許した相手とはとことん信頼して付き合います。外見や第一印象で人を判断せず、その人の本質を見抜く洞察力に長けているのも火星人の特徴。
ただ、フィーリングで行動し、マイペースで事を進めるため、周囲からは、「気分屋、わがままな人」と見られがちです。だからといってそれを気にしたりはしません。「人は人、自分は自分」と割り切っているので、周囲の反応や批判にも動じないのです。
気に入ったものを見つけると衝動的に買ってしまうので無駄使いが多く、貯蓄は思うようにいかないでしょう。
プライドは高いと思います。めっっさ高いと思います。身の程以上のプライドを持っているような部分もあります。イチローぐらいが持ってちょうど良いプライドを持てあましています。なかなか人に本音を見せようとしないのかどうかはわかりませんが、初対面の人は、基本的に「イヤ」です。イヤなので、その人が本当に信頼に値する人なのかを徹底的に見抜こうとする癖はあります。洞察力というよりは、もう保身が生んだ病的なまでの自衛術ですね。
ちなみに「人は人、自分は自分」なんて全然割り切れていません。基本的に他人が羨ましく、他人に遠く及ばない自分が疎ましいです。
衝動買いについては、返す言葉がありません。
<恋愛面>
異性相手に限ったことではありませんが、自分の本心をなかなか明かそうとしない火星人。そんな謎めいた一面に惹かれる異性も多いでしょう。
しかし、プライドの高さが邪魔となり、気に入った異性がいても、自分から声をかけることはほとんどなさそう。恋のチャンスを目の前にしながら、みすみす逃してしまうことも少なくありません。思いどおりに行かないことがあると、つい我がままを言ってしまう傾向があります。
恋愛面については、なにより、恋愛経験がなさすぎてよくわかりません。声をかけられないのも、火星人マイナスのせいなのか、単に恋愛経験が少なすぎてビビってるだけなのか、わかりません。
<結婚面>
結婚生活はおおむね順調。火星人は男女ともに、家庭を第一に考えて行動します。ただ、子どもとの関係がうまく行かない傾向があります。いずれにせよ、結婚するときの運気が家庭生活に及ぼす影響が大きいことを、肝に銘じておくことです。
「結婚生活はおおむね順調」…ほぉ、まぁオレ、バツイチやけどな。結婚してたった半年で結婚生活を終了させることができたのは『順調』なのでしょうか、細木様。
<仕事面>
火星人の意欲のもとになるのは、「自分がその仕事を好きか嫌いか」です。職業を選ぶときにも、収入や社会的な立場より、生きがいが感じられる仕事かどうか、それによって自分のプライドを満たせるかといったことが重要になります。好きな仕事であれば、遊ぶ時間を削っても不満を感じませんし、高いプロ意識をもって取り組むでしょう。
ミュージシャンや画家、作家、カメラマンなどのような芸術関係の仕事はおすすめです。
また、火星人に幸運をもたらすのは「水」なので、水産、海運、水道、飲料関係なども性に合っています。
ただし、考えていることが他の人から見るとわかりにくいので、人の協力や支援を受けにくい一面があります。
いやぁ、この項目は現在の自分にとって最もホットな話題だったということもあり、冷や汗ものでした。大当たりでしたね。生意気を言うつもりはないのですが、僕はこれまで、自分の人生を自分で決めたという実感がないのです。ミュージシャンをやっていたときも、誘ってもらったから何となく…という感じでやってましたし、その後ライターを始めたのも、ちょうどミュージシャンを辞めたタイミングでお声をかけていただいたからですし、それを辞めてサラリーマンになったのも、当時の恋人との結婚を考えたら、サラリーマンにならなアカンやろという気持ちからで、その中のどれをとっても「自分で決めた道」という実感がないのです。だから「好き」とか「嫌い」という以前の問題でした。
また、ミュージシャンという、経験したことのある職種、作家というやってみたい職種がガッツリ適正職業に入っているのも揺さぶられますね。僕はどんな占いをやっても「作家が向いている」と言われるんです。あの時、彼女をとるか、ライター人生をとるかの選択を迫られたとき、ライターをとっておけばよかったなぁ。彼女にはどうせその後、結婚してすぐ捨てられるわけで、それがわかってたら、僕はあの時彼女を思いきり道頓堀に捨ててたなぁ。
あと、火星人マイナスに幸福をもたらすのが「水」とのことで、水産だなんだと書いてありますが、僕、名字に「水」が入ってるんですよ。これって、デカくないですかねぇ?

なんとなく、光明が差している気がします。

ちなみに水道はごめんです。一度、浄水器の会社の面接をウケたことがあるのですが、4日後に摘発されてました。
<金銭面>
欲しいものを目の前にすると、後先を考えずに買い物をしてしまう浪費家。
貯蓄も苦手なので、身のほど知らずの高い物をローンで買ってしまったり……。
ただ、プライドが高いので、お金に困っていても人に頼ることはないでしょう。感受性が強いだけに、精神的な起伏が激しくなりがちで、ストレスをためてしまうことが少なくありません。
それが体調に悪影響を及ぼす恐れがあるので、こまめに気分転換をはかること。バランスのとれた食生活を心がけて。
金遣いに関しては本当に仰るとおり。返す言葉が本当にないです。また「借財借金の類がストレスとなって体調に影響を及ぼす」って、今の僕のそのままです。

さて、次項では、そんな「火星人マイナス」の僕の2011年を占ってもらいます。




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