Jack in November

毎年11月11日、神戸市中央区の歓楽街、三宮のとあるクラブで大規模なブラックジャックの大会『Jack in November』が開催される。

ブラックジャックはトランプを使った有名なカードゲームでルールは様々あるが、まぁYouTubeの動画なんかでどういうゲームかは確認してもらうことにして、この大会では二人の人間が毎回ディーラーとプレイヤーとに分かれて1対1で対決することになる。Jack in Novemberでは、クラブ内の至る所に並べられたテーブルを使って、いや、別に床でもいいしトイレでもいいのだけど。とにかく至る所で参加者がゲームを行う。

この大会のルールは下記の通り。

○勝者は、敗者から「サイン」を受け取ること。(参加者の中で「サイン」が一番多い人が優勝)
○敗者は、勝者に1度だけ再戦を要求できる。
○再選を要求された勝者は断ることはできない。
○初対決でのディーラーとプレイヤーはじゃんけんで決める。(勝った方がディーラー、負けた方がプレイヤー)
○2度目の対決では初戦の勝者がディーラー、敗者がプレイヤーとなる。
○同一相手との3回以上の対決は禁止。

大会は20:00に始まり、22:00で終了する。対戦は誰かに声をかけることから始まるが、ルールの通り、たくさんの「サイン」をもらわないと優勝できないため、優勝を目指している人たちは我先にと弱そうな人間に声をかけ、カモにしていく。しかし同一の相手との3回以上の対決は禁止されているため、大会時間が2時間ともなると、結局広範囲の参加者と対決しなければならない。優勝者には賞金21万円が与えられる。

優勝者以外には別段特典も副賞もあるわけではないので、一部、優勝に向けて血眼の参加者もいるが、だいたいの参加者は単純にブラックジャックを楽しみにきているだけ、もしくは別の目的で参加している人も多い。

同一の相手との再戦が2回までとされるルールは、この大会が『社交場』としての機能を果たし始めてから追加された。少しでもたくさんの人と対戦できるように、要するに、カードゲームをしながら、知り合いを増やしていくという楽しみ方もできるのである。異業種の仕事に従事する知り合いを増やしたり、単純に友達を増やしたり、あるいは男女の出会いの場として利用している者もいる。

僕はひょんな伝手でこのイベントについて知り、そして今ここにいるのだけど。

「めーっちゃおもろい、めーっちゃおもろい」

友人というか知人というか、顔見知りというのも恥ずかしい関係の人間、加藤時生はさっきからその科白を繰り返していて鸚鵡みたいだ。バカが露呈している。バカは露呈しているけれど、あまりの勝ちっぷりにもはや、ホールの注目の的と言っていい。

「かけるぅ、まじたまらんわ。こんなおもろいイベントなんで教えてくれへんかってん」

時生が顔を仰ぐのに扇子代わりに使っている『名簿』にはもう、40人以上の「サイン」が書かれている。開始1時間で圧倒的な勝率、ものすごい勢いで次から次へと負かせていく姿は確かに清々しいし、かっこいいと言えなくもない。けれど、そうは言いたくない。コイツをかっこいいと言ってしまったら人生負けのような気がする。

「じぶん、すごいなぁ、やるなぁ! まだ高校生なんちゃうの?」

声をかけてきたのは頭の先から足の先まで完璧なオシャレ。僕はまだこの人の足もとの爪先にも及んでないなぁとまざまざと見せつけられるような「ザ・大人の男」だった。
オシャレな帽子をオシャレな角度でオシャレにかぶった、オシャレな男の人は、片方でオシャレな女と手をつなぎながら、もう片方の腕で時生の肩を抱いて「どうやったら勝てるか教えてーや」と、そんなことを言ってしまうから、時生はもちろん調子に乗って、「じゃあそこのねーちゃんとやらせてくれたら教えたるわ」と、こう返すから、お兄さんが血色ばって一触即発、その瞬間に「ブラックジャックで勝負しようや、今日はそういう日やろ?」と調子に乗る時生に対して、やっぱり雰囲気的にこういう場所で、勝ってるヤツに因縁をつけて暴力を振るうようなことが一番かっこ悪いことを知っている、かっこいいことに敏感なオシャレなお兄さんは、誰かが噛みつぶした唾液まみれの苦虫を無理矢理口に入れられて、さらに噛みつぶさせられたような顔面になって、結局時生の申込を承諾。

んで、あっけなく負ける。


「ちょろいなぁ」


つって時生はふいにお兄さんの足に、自分のたくましい足を引っかけて、思い切りすくい上げる。お兄さんはすっ転ぶ。ブラックジャックでも勝てないお兄さんは、きっとケンカしても時生には勝てないだろう。時生は180センチを超える長身と、日本人離れした体格を誇っている、いかに高校2年生と言えども真正面から相手取って勝てる人間ではない。ケンカでも、ブラックジャックでも。結局、オシャレに敏感で、連れている女の前でもめちゃめちゃかっこつけたかったはずのオシャレなお兄さんは、アルコールだのジュースだの、あるいは唾や痰などでベタベタになった床にひっくり返って、オシャレな服を汚して沈黙している。

その脇を、時生はゆっくり抜けていく。

既に優勝を諦めたり、初めから優勝する気がなかった人たちの興味はもはや時生に集まっている。連れてきてよかったのか、連れてこなかったらよかったのか。学校でこの大会について口を滑らせてしまって以来、後悔がずっとぐるんぐるん渦巻いているのだけれど、まぁ時生に言わずに参加して、あとでばれたら何されるかわからなかったし、これでよかったんだ。

んでまぁ、十中八九、この大会は粗暴な時生に牛耳られて、蹂躙されて、もしかしたら今回で最後になってしまうかもしれないけれど、まぁそれも仕方ない。時生なんだから。

つってたら、時生が立ち止まっていて、その目がまっすぐ前に向けられていて、口角が上がっていて、要するににやにや笑ってなにかを見ているっていうか、そういう顔で時生が見る対称というのは、女だ。

加藤時生のことは嫌いだけれど、加藤時生に助けてもらったことも何度もあるし、もうずぶずぶの関係だから逃げ出せないこともわかっているし、隣で大人しく、ときどきこうやって遊びを提供したりしていたら、自分の学生生活は安泰だし、そういう状況にも慣れてきたけれど、唯一慣れないのが、時生の女性の扱いだ。

まさに鬼畜。

目をつけた女に徹底的にアプローチをかけ続け、んでまぁ時生は体格もいいし男前だし、フットワークも軽いから、わりと多くの女が時生に落ちる。んで手に入れた女を、時生は、それはもうむちゃくちゃに扱う。レイプ。暴力。パシり。金づる。時生の元カノで、まともな人生に戻れた女を僕はまだ知らない。

そんな時生が久しぶりに「あの目」になって、女を凝視している。時生の視線の先にいる女性は、あぁ、確かに時生の好きそうなタイプだ。清潔感というか透明感というか。人なつっこそうな笑顔、黒髪、華美な装飾がまったくない、「純粋」といった感じの女だ。そういう女ほど潰し甲斐がある。「あぁ、こらダメだ」と思った。僕から見たって魅力的だなぁと思うほど、その女性は確かにいい雰囲気を持ってしまっていた、残念だ。

時生に目をつけられた女性は、両手にグラスを持って歩いて行く。その先には、わりと長身の男がブラックジャックを楽しんでいた。

「男連れかぁ」

時生は「申し分ない」といった表情を浮かべると、そのままつかつかと二人に近づいていく。男はちょうどゲームを終えたらしく、相手からサインをもらっているし、一瞬見えたその『名簿』には、時生ほどではないにせよ、かなりたくさんのサインが並んでいた。

「すみませーん!」

時生が不必要に大きな声を出した。みんなからの注目を集めるための大声だ。僕は時生から少し離れて、肉食獣が草食獣をむさぼり食うシーンを眺めることにした。

男は「なに?」と振り返る。女性はそこに寄り添っている。

「ゲームお願いします!」

その一言で、既になんとなくわき上がるほど、時生の勢いは既に会場を巻き込んでいる感があった。

「いいよ」

男は快諾した。なんだか不気味な雰囲気だった。全身黒ずくめで、伸びた前髪が目と表情を隠しているけれど、肌は正反対に白い、青白い。そして線が細い。背が高くなかったら、絶対にいじめられてるな、時生に。と思った。

リストにそこそこの名前を集めている黒い男が時生の対戦申込を受けたことで、ほぼ会場中の注目が集まる。これはよくないよ、お兄さん、逃げた方がいいよ、嫌な趣味が始まるよーと、僕だけが思う。そして時生はいつも通り、趣味の悪い科白を吐くのだ。


「せっかくだから、そこのおねえさんを賭けて勝負しようよ。おねえさんを守りたければオレに勝たなければならないってことで」


その言葉に会場が湧いた。なんだかおもしろそうだなーというだけのことだけど、淡々とブラックジャックを繰り返す中で、突如発生したイベント。それだけで会場は湧いてしまう。

時生の趣味のひとつに、「年上の男に恥をかかせる」というのがある。過去になにか嫌な思いでもしたのか、さっきのオシャレなお兄さん然り、自分を年下に見下してくる男に対して、恥をかかせるという、なんとも趣味の悪い趣味が彼にはある。

今回もそうだ。ブラックジャックの大会で、ブラックジャックで女を賭けさせる。「賭けにのらないのはノリが悪い」という雰囲気を作っておいて、男に断る機会を与えない。そしてブラックジャックで勝つ。時生は勝つ。そうすると負けた男は、「冗談だよな?」という愛想笑いで時生に握手を求めたり、必死に「今の一連はジョークです」というムードを作ろうとする。けれど時生はそれに一切取り合わず、例えば男を投げ飛ばしたり、いきなり引き寄せた女をそのまま連れて行ったりする。時生はそういうことが好きなのだ。

時生が賭けを申し出たことで会場は湧いた。一旦こんな風に湧いてしまうと引くに引けなくなるのは男の方だ。ここで「いやだ」と言えるような雰囲気はもう既にないし、彼女の前でそんなかっこ悪い姿は見せたくないのが性だ。さっきのオシャレなお兄さん同様に。

だから、彼は引き受けるしかない。

だが引き受けたが最後、彼はきっと時生に負ける。まさに降って湧いた災難。いきなり彼女をわけのわからん年下高校生に持って行かれるんだから。そしてその後、むちゃくちゃに蹂躙されて返品される彼女の心の傷を背負いきれなくて、男は彼女を手放して。彼女の人生は終わるのだ。可哀想に、僕にできることは何もない。せめてあんまり関わらないことくらいだ。


「いやだ」


黒い男は普通にそう言った。だから聞き間違いだと思った。けれどはっきりとそう言った。あーやっちまったーと思った。実際、周囲も「え?まじ?なに言ってんの?」みたいな雰囲気、「空気読めよなー」みたいな雰囲気になった。

時生はその雰囲気を味方につけて、「ちょっとお兄さん、そりゃないよ。なにかっこ悪いこと言ってるの? 男なら、勝負を受けて女を守れよー、なぁ!」といって周囲を盛り上げる。「そうやぞー!」とか「びびってんのかー!」とか「情けないぞー!」とか「彼女かわいー」とか「オレにもやらせろー」などの言葉が次々と上がる。それに一層ご満悦の時生である。

もうなんか鬱陶しいわぁって思うけど、僕は思うだけで拍手とかしちゃうんだ。


「男?」


圧倒的逆風に吹かれながら、黒い男はそう呟いた。なんとなく昂揚している会場のざわつきの中で、不思議と黒い男のつぶやきは地面を這うように遠くまで届く。男はそう呟いて、そして笑った。


笑った。


「あ? こういう空気のときに勝負断るってのは、男としてどうかと思うなぁっちゅう話やろが」

「自分はなにも賭けないくせにか?」

黒い男はそう言って時生を見据えた。長い前髪の後から、なんだか冷たい眼光が時生を「見下し」ている。

「自分はなにも失わないで、相手から奪うだけのキミが、オレに『男』を語るかね、キミ、ださいな。なに?高校生?」

黒い男はやはり笑った。その言葉で場内が沈黙する。時生も相手の意外な反応に戸惑っているようでなにも言わない。いや、怒りが渦巻き始めているように見えて怖い。

黒い男の真っ白な顔に、大きな瞳。全体的に色素が薄い彼は、薄暗い照明の中でまるで亡霊のように不気味に浮いて見えた。

「別にゲームをしないなんて言ってないだろう?けれど条件がおかしすぎるとは思わないか?オレは負けたら彼女を失う。勝ってもなにも得ない。でもキミは負けてもなにも失わないくせに、勝ったらオレの彼女を手に入れる。こんな条件で誰が勝負してくれると思ったんだ?マジで言ってるのか?童貞なのか?」

僕は驚いた。

確かにそうだ。っていうのは「童貞なのか?」に対してではなくて、確かに黒い男の言うとおりだってことなのだけど、いや、確かにそうなのだけど、このときのこの雰囲気の中、圧倒的逆風の中でその空気に飲まれることなく、冷静に「勝負の不平等さ」に気付き、言及するなんて。

これまで僕は時生のこういう『遊び』を何度も見てきたけれど、そういえばそうだと今初めて気付いたぐらいなのに。

それなのに、突然目の前に身体の大きな男が現れて胴間声で「彼女をよこせ」と言ってきたら、普通は焦るはずなのに、少しは焦って、そして判断が狂うはずなのに。勝負にのらなくても、狼狽えてかっこ悪い姿を見せるはずなのに。

けれど、黒い男はそういった戸惑いを一切見せずに、時生と真正面から対峙した。

僕はそこに驚いた。


「キミにも賭けてもらおう」


男は不気味な笑みを浮かべたまま、時生に近づいていく。

「上等や。なに賭けんねん」
「まず現金で50万円」

男があっさりとそう言うので、会場がざわついた。

「ふざけんなよ」
「ふざけてないよ。オレはキミの遊びに付き合ってやろうって言ってるんだ」

時生の大声を、小さな声が抑えつける。

「ほなあれかい、自分の女を50万円で売るんか。ろくな男ちゃうなぁ、自分の女に値段つけて、それがたった50万円って」

無理矢理話の矛先を変えようとした時生を、しかし男は逃さなかった。

「妥協だよ、20億でも足りないくらいだけど、そんなこと言ったらキミがしたがってるゲームができないだろ? キミ程度なら50万円かき集めるのが精一杯だと思って、こっちは泣く泣く妥協してる。オレが自分の大事な彼女を泣く泣く50万円程度で評価してるのに、キミはそのたった50万円も用意できないのか?そんなことはないよな、高校生。さっさと飲めよ」

黒い男の声はゆっくりと淡々と、でもしっかりと時生に近づいていき、体中に絡みついているように思える。


時生が、押されていた。


こんなの初めてだった。しかしもちろん言われっぱなしの時生ではない。すぐにいつもの飄々とした表情を取り戻す。

「オレが50万を用意できへんとか、そない思って安心したな?残念やな。そんぐらいの金ならすぐに用意できるねん、ほな勝負しよ」

話は終わりだ、と言うように時生は両手を広げる。高校生の仕草には見えない。

「よし、じゃあ次にキミが今現在持っているものを全部賭けろ。家にあるもの、今身に着けているもの、キミが所有してるものは全部だ。服、雑誌、CD、財布、鞄、時計、診察券、保険証、TSUTAYAの会員証、バイクの鍵、携帯電話、教科書、シャーペンの芯まで。キミの所有物を全部賭けろ。あと今ここで全裸になれ」


「おい!ふざけんな!なんやそれ!なに条件増やしとんねん!」
「ふざけてなんかいないし、増やしてなんかいない。六楼さん、オレ、なんて言いましたっけ」

黒い男は時生から目を離さず、周囲の誰かに問いかけた。二人の様子を見ていた人たちの中で、すらりと背の高いオシャレな六楼さんであろうお兄さんが笑って、『まず現金で50万円』って言っただけだね」と答えた。

「キミが勝手に50万円の部分だけ聞いて盛り上がってただけだろう?オレの話はまだ続いてた」
「そんな無茶苦茶な賭けがあるかっ!」

時生は黒い男の胸ぐらを掴み上げて、恫喝する。威嚇する。

けれど、まるで、揺らがない。

「じゃあ辞めるか?」

男は大きな時生に胸ぐらを捕まれているというのに、一切動じることなく話し続ける。声のトーンも低いまま、小さいまま。けれど全員に聞こえるような奇妙な雰囲気で、まるで全員が黒い男のテリトリーにいるような錯覚に陥りそうなほど、その雰囲気には力があった。

「オレの彼女がほしいなら、50万円払え。挑戦料だ。破格の。そしてキミが今現在所有してるものを全部賭けろ、今持っているもの、今身につけているもの、今家にあるもの、全部だ。一切合切を賭けろ。そしてその場で全裸になれ。それで晴れて勝負の開始だ。負けたらキミからは全部なくなる。まだ実家があるだけいいだろう。オレはどっかの行軍と違って家族には手を出さないからな」

その言葉に、六楼さんと呼ばれていた男がなぜか笑った。

「いいか、それでもこれは妥協だからな。それと、最後に当たり前のことを言っておく」

黒い男が話し続ける。

「このゲームは飽くまでオレとキミとの対決。そもそもオレの彼女には関係ない。だからもしキミが勝って、キミが彼女を手に入れる権利を得ても、そのときに彼女が嫌がった場合はもちろん諦めろ。乱暴なことをするようなら、こちらも遠慮はしない」

男はいつの間にか時生の手から離れて、時生を真正面から見据えていた。

「要するに、オレが勝ったらキミの持っている全部を手に入れる。キミが勝ったらオレの彼女に告白できるってルールだ。そういうことでよかったらぜひ、ゲームをやろう。キミは『男』なんだろ?」

会場は既に冷めていた。時生のおもしろそうな提案が、黒い男の説明で、なんだかずるいってことがわかって、そこからは素っ頓狂な取引になっている。雰囲気はおもしろかったし、自分に害がないところだから無責任にみんなが時生のゲームに乗ろうとしていたけれど、ネタ明かしをされた今、会場は冷めていた。そして時生は今、黒い男に籠絡されて、流れは黒い男に向かっている。そうなれば周囲の興味はあっさりと移る。不気味なものだ。


しかし、時生はそんなに大人じゃない。だからこそややこしいんだ。ブラックジャックで勝ち続けているのは、まぁなにかしらのイカサマだろうけれど、こいつの本分は単純に「暴力」だ。駆け引きなんてものは必要ない、腹が立ったら、腹が立った相手を殴りつける。再起不能になるまで殴り続ける。それが加藤時生の本分だ。

「なんだよ、もう終わりかよ。これだから子供の相手はゴメンなんだ」

黒い男はそう漏らした。絶妙のタイミングで。
まるで挑発するように、まるで自分を殴らせようとするために。


時生は一歩で殴れる距離にいた。

だからその一歩を踏み込んだ。


振り上げた拳を、黒い男の顔面に、力任せに叩き付ける、その残像が見えたような気がするのに、拳を後に振り上げた時生は変な体勢のまま固まった。時生の腕をより太い腕がしっかりと掴んでいた。時生の脇にはいつの間にか知らない男が立っていた。

時生よりももっと大柄で、時生よりももっと屈強で──それは強かった。

一瞬で時生の腕をひねり上げる。あの時生が全く抵抗できていない。強い男は時生の足に、自分のたくましい足を引っかけて、思い切りすくい上げる。時生はすっ転ぶ。アルコールだのジュースだの、あるいは唾や痰などでベタベタになった床にひっくり返って、さっき自分がオシャレなお兄さんにしたことを全く同じようにされて、驚きのあまり目を見開いている。

しかし強い男は時生に手をさしのべて身体を起こしてあげる。体勢を立て直す機会を得た時生は素早く後ろに下がって、なんとなくだろう、キックボクシングの構えをとった。それはブラックジャック大会の会場の中でとても異質で、とても浮いていて、正直「珍妙」、つまりとてもダサかったけれど、そうせざるを得ないぐらい、直感で危機に瀕していることがわかる。

強い男は「へぇ、キックかぁ。デカいのになぁ」と笑って、笑顔のままどんどん時生に、時生の間合いに、なんの躊躇もなく入っていく。なんなんだこいつ。

たぶん時生は完全に無駄のない、絶妙のタイミングで強い男に殴りかかったと思う。しかしその拳は強い男に当たることはなかった。強い男は小さな動きで身体をひねると、まるですれ違うように時生の横を通り抜けたように見えた、けれどたぶんそのとき「なにか」をしたんだと思う。時生の身体をなでたようにも見える。結果、時生は突然、糸の切れた操り人形のように脱力し、その場にずさんと崩れ落ちた。右肘があり得ない方向に曲がっているし、右足が股関節のところから真横に伸びて折れている。

けれど悲鳴は聞こえなかった。
すでに時生は気絶していたのだ。

圧倒的に強い男、要するに高校生レベルでは話にならないほど強い男はその場にしゃがみこむと、乱暴に時生の服を脱がせ始めた。ジャケットを脱がせて現れたシャツの、両腕にはトランプが数枚仕込まれていた。

「イカサマはっけーん。全裸でやってたら伊月には勝たれへんかったやろなぁ」

強い男がそう声を上げる中、主催者側の数人が駆けつける。

僕は少し離れたところで見ていた。頭でも身体でも完全に敗北し、気絶したまま運ばれていく加藤時生を僕はただ黙って見つめていた。時生が負けた、そう考えてみてもなんの気持ちも沸かない。胸の中が冷めていた。


会場に目を向けると、黒い男と強い男が話をしていた。ふたりは知り合いらしい。強い男の登場に会わせて、黒い男が時生を挑発したようだ。スタッフが何人も頭を下げていて、そして封筒を手渡すのを見た。そのときはどういうことなのかわからなかったけれど、後々僕が知るのは、あの二人は単なる客だったわけじゃなくて、今回のイベントでイカサマを働く時生のような人間を見つける仕事を任された、いわゆる「便利屋」の人間だったらしい。

手にしている自分のトランプを見つめながら思い出すのは『ブラックジャック』の由来。

ブラックジャックで一番強い数字の組み合わせは『21』だけど、その中でも特に、最初に配られたカードが『スペードのエース(11点)』『ジャック(10点)』だった場合に、高い配当をつけるようにしたことからこのゲームはブラックジャックと呼ばれるようになったという説がある。

手元でカードを広げ、52枚のカードの中からスペードのエースとジャックを抜き出して眺めてみる。

差し詰めあの強い男は『スペードのエース』、刹那で殺す、一瞬で決着をつける剣みたいな存在。

そして、あの黒い男は『ジャック』『ジャック』には本来の「召使い」といった意味の裏に、「悪党」とか「ならず者」といった意味もある。弱そうに見せておいて、実はしたたかに頭脳的に周囲をやりこめていく。

二人のそんな雰囲気がトランプの意味とぴったりだった。

そして僕は直感的に思っていた。なんとなく、ああいう人とは仲良くなっておいた方がいいなと。いつものように、これまでそうしてきたように、一番被害の少ない場所である程度楽しみながら世の中を渡っていくために、そして今日わかった。高校レベルというのがあまりにも陳腐で意味がなく、今目の前の二人のような『大人』こそ、これから自分が付き合っていくべき人間なんだと、直感でそう感じた。

だから二人に挨拶に行こうと思った。知り合いになってもらおうと思った。持たされていた時生の鞄をベタベタの床に捨て、トランプをポケットにしまって顔を上げ───


目の前に『ジャック』が立っていた。
伸びた前髪の向こうからまっすぐに僕を見つめている。



「キミは安全な場所から見ているだけでなにもしないんだね。あのお友達とキミ、どちらが腐ってるんだろうね」



時生にだって笑いかけていた『ジャック』の、冷え切った両眼に鋭く見据えられた僕は、気持ち悪い愛想笑いを貼り付けた顔面のまま動けない。胸の奥で自分の心臓がでたらめに鳴っているのが聞こえるだけで動けない。

『ジャック』はそんな僕の脇を影のように抜けていった。




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