人生を笑え。

だいたいこういうことは森博嗣が言うてた気がするので、確証はないけども、森博嗣の言葉に、こんな感じのものがある。

「人間は確かめながら怒り、確かめながら泣く、でも笑うときは確かめない」

つまりは、例えば怒り心頭、怒髪天を衝いてるような状態において、人間はどこか冷めた部分で「あー、オレ今怒ってるなぁ」と自覚していたり「これ、もうちょいデカい声でもいっぱつ怒鳴っとこかいな」とか、逆に「ここはいっちょ、いきなり沈黙を決め込んで、相手に不気味感を与えたろかいな」とかを確認しながら怒っているということであり、感情の100%が純粋な、澱みない、一番搾りの『怒り』に支配されるようなことは決してなく、ある程度の冷静な自分が、少し離れたところから冷めた目で見ている。泣くときも「あー、オレ今泣いてもてるわぁ」とか「やばい、左の鼻の穴から鼻水出かかってるなぁ」とか「さりげなくティッシュで鼻をかむにはどないしたらいいかなぁ」という阿呆を考えてしまっている自分がある程度存在しているため、純度100%の、屈託のない、雲ひとつない『泣き』なんてことはなかなかできたものではない。
しかし『笑う』ときだけは別なのであると、氏は言うとるんやと思う。確かに爆笑してる最中に「家のガスの元栓切ってきたかしら」とか「貯金額が家賃に足りないのだけど、手の打ちようがないなぁ」などと考えてる人はいないだろう。

人間、笑ってるときだけは感情の色を100%、無地の、混じりっけなしの、『笑い』に染め上げることができるのである。
で、僕にはこれが単に現象を言い当てているだけの言葉であるとは思えないのである。
笑ってるとき、人間は『笑いの化身』『ワラシス』になることができるし、ワラシスには他の感情が入る余地がない。ワラシスは『笑い』で満席なので、ワラシスにストレスを与えることは難しい。爆笑が止まらず「えぐっえぐっ、ぐふふふひひひひひーひーひひー」となっとるワラシスに「世界には食べたくても食べられない人がいるんだよ」と諭してもダメ。ワラシスは『笑い様でご満席』だから、そんな言葉を受け入れるスペースもなければ、そんな言葉を理解できる冷静な思考経路も働かない。
考えようによっては、ワラシス状態は対精神用ストレスに『満席』『阿呆』という2枚壁で立ち向かう『免疫』となってるんじゃなかろうか。
笑うことは大切である。上記のような『免疫機能』はもちろんのこと、なにより笑ってると、ほら、やっぱ、なんつうか…

楽しいもんな。

僕もワラシス・トランスに陥りたいものである、確かめずに爆笑して、鼻水たらしながら、大声張り上げてるワラシスのように。


ところでワラシスって誰ですか?

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