短編:『ディア・スリム』

偏頭痛がする。
一息で飲み干したビックルをゴミ箱へ。分別回収が当たり前になった昨今ではビンを「燃えるゴミ」 に捨ててはいけない。ビンは燃えない。そう、ビンは燃えないから「燃えるゴミ」に捨ててはいけない。極めて簡潔、スタイリッシュな理由。曖昧模糊が美しいとされる日本で、その潔さには共感を覚える。いいぜ、ゴミ分別。
私はビックルの空ビンを、丸い穴が2つあいたゴミ箱の右側、“ビン”と書いてある方の穴に放り込んだ。正解。ビンはビン箱に。こういう時、なにか社会人としてとても偉いことをしたような気になる。私はビンをきちんと捨てられた達成感に満たされながら、しばらくそのゴミ箱を見ていた。2つある穴のもう片方には“カン”と書かれている。カンは左に、ビンは右に、分別回収が当たり前になった昨今、取り立てて珍しいものでもない。
思えば、そのときゴミ箱を凝視してたのがいけなかった。
ビンの穴とカンの穴は、あろう事かゴミ箱の内側で1つに繋がっていた。放り込んだビンとカンはその向こう側で一カ所にまとめられてしまう。捨てた側の善意は無視されたのだ。
猛烈に腹立ってきた。ファッキン。イヤホンから大音量でエミネムが流れてくる。
かつて大人気となった白人ラッパーエミネム。本名マーシャルマザーズ。イニシャルM&M(エムアンドエム)で『エミネム』。自らを「スリムシェイディー」と称し、くだらないポップミュージックを一刀両断、彼の曲は8割方「オレは最高、オレに勝てるヤツなんていねぇぜ」という曲が占めている。良くまぁそんなに手を変え品を変え自分を賞賛できるものだと感心する。

「本物のスリムシェイディーさん、お立ちになってください。繰り返します。本物のスリムシェイディーさん、お立ちになってください」

OKわかった。神戸のスリムシェイディーはここにいますよ!なんてテンションがアナーキィに上がっていく。立ち止まる私を横切っていく人達、全員しばきたくなる。エミネムはよくない。道徳的に良くない。アメリカのPTAは偉い。
私はゴミ箱の前でエミネムのせいでイライラしていた。約束の時間までは若干あるし、なんかいきなりおもっきり雨降ってきたし、ともかくJR三ノ宮駅のハートインの前でイライラしていた。
そんな私の脇を横切る姿があった。汚いホームレス。とてつもなく香ばしい匂いをまき散らしながら彼は私になど目もくれず、問題のカン・ビン用ゴミ箱に腕を突っ込んだ。似合う。ゴミ箱をあさる姿がとっても様になっている。
ホームレスは俊敏に手を引き抜くと、何のためらいもなく取り出したビンに口を付け、雫をすすり始めた。
それは私のビックルだった。
踵を返して歩き始めた私を襲う猛烈な吐き気、偏頭痛と相まって酷い。
私は雑踏を逆行していった。

「俺とお前等の唯一の違いは俺は面と向かって言うだけの度胸があるっていう事。俺は嘘をつく必要もないし体裁も全く気にしない。ただマイクを握ってラップするだけ」

エミネムはそう言うが、現実はなかなかに難しい。ホームレスに「このクソジジイ、なに勝手にあたいとキスしてんだよ!」なんてことは言えるはずもない。ミスター・スリム、あんたはすげぇよ。私みたいな大企業の社長秘書じゃあんたにはかなわんよ。
早歩きで進む。雑踏は私と真逆を目指して進んでいく。バーキンのケリーバッグをしっかりと両手で抱えながら私は前に進んだ。
日曜日の神戸に人は増えた。昔はさほど気にならなかったセンター街も、今はもう歩くことも難しい。今日のように、にわか雨が降ったりするとさらにひどい。空の下を歩く人達はもれなく地下街を行くようになる。『The Real Slim Shady』が終わり『kim』のイントロが静かに流れ出した頃、腕を組む一組の恋人同士とすれ違った。すれ違いざま「そんなやつおれへんやろ」という言葉が耳に飛び込んできた。どんな奴なんだろうと考えてみても、既に確かめる術はない。人の流れは速い。毎日数多の一期一会の中で生きているくせに「座右の銘は一期一会です」なんて平気で嘯く人が多い。んならおまえ、すれ違う人、1人1人に「こんにちは、あたし、出会いを大切にしているんです。よろしくお願いします」ぐらい言ってみろってんだ…
ってダメだ、すっかりエミネムにやられている。イヤホンからは相変わらず『Kim』。彼の元妻、キムをひたすら罵倒する曲。最後には妻を絞め殺してしまう、やりすぎなのよ、あんた。架空の人物Slim Shadyと化した彼は自分の妻、自分の母親、大統領をも罵倒する。邪悪の化身Slim Shady。
スリム・シェイディーは今、「嫁を殺したい」と叫んでいる。
Santica を下りながら国際会館に出る直前で右折、階段を少し上がると右手にセンター街へ出られる階段が出現する。そこを上がらずに三井住友銀行の出張所を過ぎて左折。そのまま緩やかなスロープに従っていくとサンプラザに出る。ここまで来ると人の量がグッと減ってしまう。いつになっても大人しいサンプラザ。目的地まではもうすぐだ。
慣れていないと迷路のように思えるサンプラザも私にとっては庭みたいなものだ。何度か角を曲がると、一度も迷うことなく喫茶店『湖』に到着した。
ドアを開けるとき、今や化石と同程度に古代視されているカウベルの音が鳴り、室内からは眠気を誘うアメリカンオールディーズが流れている。いつ来ても、いつまでたっても
変わらない店。
驚いたことに、もうそこに彼がいた。慌てて腕時計を見る。約束の時間まであと10分ある。溜息に苦笑いを浮かべながら彼の座る席に近づいた。エミネムは既に停止し、イヤホンごとケリーに収納されている。立ち去れ、エミネム。
3度唱えると、私は彼の前の私に戻っていた。

「申し訳ありません、お待たせしてしまいました」
「休日ぐらいもう少し砕けた感じで話せないのかな?座って」

恭しく頭を下げる私を制して、苦笑いを浮かべる彼の向かいに腰かけると、一瞬目を見開かれた。

「髪切ったの?随分短くなったね」
「湿気が増えてきてますから」

良いながら黒縁メガネを直す。なれないモノをかけているせいで距離感がイマイチ掴めない。

「雨にやられなかった?」
「はい、地下を通ってきましたから」

こめかみを押さえる。雨の日は頭痛が酷い。

「にわか雨は戦争と一緒だ」

彼は唐突にこういった話を始めるのが好きだ。

「どういうことです?」
「得るモノはなく、失うモノは大きい」
「失うモノ?」
「家族の時間とか…」

そう呟いて下唇を噛む彼は可愛らしい。また偏頭痛。
そのとき厨房からここまで来るのに必死ですといった老婆が、震える盆に水を載せて運んできた、距離は10メートルもないが時間は1分ほどかかった。コップの水はテーブルに置かれた時点で随分減っていた。

「アイスコーヒー」

無言で差し出されたメニューを受け取らずに応えると、何の反応もないまま老婆は立ち去った。

「社長は濡れませんでした?」
「タクシーで来たからね。日曜ぐらい“社長”はやめてくれよ。仕事の話じゃないんだし」
「ある意味仕事の話じゃないですか?」
「もし“仕事”であるとしても、この場合はボクは社長じゃない」

テーブルに両肘を突いた状態から体を起こすと、彼はタバコを取り出し素速くライターを振った。業務中は一切吸わないので秘書としても彼の喫煙姿を見るのは久しぶりだった。様になっている。アルマーニのスーツをさりげなく着こなして、ネクタイ代わりに巻かれたスカーフはエルメス。カラーコーディネートも抜群で、ギラギラした宝石類は一切身につけていない。腕時計さえ黒の革ベルトというシックなものだった。

「休日もスーツなんですね」

彼の元で働きだして3年。こうやって休日に会うことは一度もなかった。

「ジャージでも着てきて欲しかったかい?」
「持っていらっしゃるんですか?」
「君はボクを根本的に誤解してるみたいだね。部屋着はジャージだし、寝る時はパジャマだよ」

そう呟いてから彼の顔に後悔の色が浮かんだ。取り出したくない話題だったのだろう。アイスコーヒーはすぐに運ばれてきた。美味いのか不味いのか分からない。珈琲の味がする、それで充分だ。短くなった煙草を灰皿で押しつぶす様子を眺めながら、来る前に一本吸っておけば良かったと悔やむ。まさか彼の前で吸うわけにも行かないし…やっぱりさっきのファッキンホームレスのせいでついてない。
ついてないのはここら辺までにしといてね。
祈りの相手、神はエミネムの顔をしていた。エミネム(神)は「知らねぇよ、アンタのことになんか、興味ないね」とだけ呟いて中指を立てられてしまった。あんたね、ちょっとはうちの社長見習いなさいよ。
心の中だけで大きく響き渡る怒号が鳴りやむのを待って、とりあえず関係のない話を振ってみた。

「日曜日の三宮は出歩けたものじゃないですね」
「そうだね。いつからこんな風になったんだろう。休日の人混みを見るたびに神戸は失敗したと思うよ」
「失敗ですか?」
「そう。神戸はね、こんなにメジャになってはいけなかったんだ。ガヤガヤした部分は大阪に任せておけば良かった。金を浪費して作り上げた空港が今はどうだい?滑走路がどんどん減ってきてる」

突然饒舌になる彼。良い話題を振った、そう思うとなんだか誇らしい気持ちになる。これはもう職業病なのかもしれない。

「ボクは何度も提案した。首都になるのではなく、首都の隣でかゆいところに手が届く街にするべきだってね。観光名所にない面で勝負するべきだとも言った」

半年ほど前まで、我が社「ペドロ・アンニュイ」は経営コンサルタントとして神戸市の観光都市化計画に参加していた。若干畑の違う業務ではあったけれど、詰まるところ「観光客は何を求めているか」という顧客のニーズに行政というサービス団体が何をするべきかという部分や、そのための戦略の練り方など、本来「ペドロ・アンニュイ」が果たせる役割は大きいはずだった。
だが観光都市化計画の最終案に目を通してもペドロの足跡は見つからないだろう。我々の発案は最終段階で軒並み却下を受けた。保守的な行政に思い切った行動に出る推進力はなく、観光客との認識のギャップに対する理解力もなかった。
もちろん、その程度で傷つくようなペドロ・アンニュイではない。従業員は2万人を超える。今や全世界に支社をもち、様々な企業を大躍進させた実績は小さな街の都市化計画でおじゃんになるようなものではない。むしろこのことはペドロ・アンニュイが観光都市化計画にまで手を広げ始めたという広告になり、全世界の町や村から仕事の依頼を受けるようになった。
一代にしてペドロをそこまで躍進させた社長は今、忙しい真っ只中にあって、休日も平日もないような立場にあって、寂れた喫茶店で私と向かい合っている。

「ないものがある街」

彼はそう呟いた。会議の場で提案したキャッチフレーズである。

「大切なのはオリジナリティなんだ」

心からそう思う。
アルマーニとエルメスを身に纏っていながらも、しかし彼にはオリジナリティへの並々ならぬこだわりがあった。今の仕事は結局彼にとって、天職なのだろう。

「準備の方は、進んでるのかな?」

一向に本題に入りそうにないことに焦ったのか、彼は唐突に話題の舵を切った。

「大丈夫ですよ」

私は満面の笑みで応えた。心配そうな表情が一気に崩れる。

「すまないね」
「なぜです?」
「少なくとも秘書に頼むことではない」

思わず吹き出してしまった。

「じゃあ辞めますか?」
「意地悪はよしてくれ」

苦笑いのまま二本目の煙草に火をつけると、再び彼はテーブルに両手をつく姿勢になった。

「で、どういうふうにするんだい?」

苦笑いを浮かべたまま、それでも興味津々といった表情は隠せないままでいる。「男の人っていつまでたっても子供なのよ」という友人の言葉は間違いではない。世界を相手に戦う企業のボスですら、非日常的な話題、それも自分に関わる問題なのに目を輝かせている。可愛いったらありゃしない。

「社長のスペイン行きに合わせます」
「ほぉ、じゃあ明後日か、明後日は記念日ということだ」
「はい、祝杯でも挙げますか?」
「いや、すまない、不謹慎だった」

私の言葉にトゲでも感じたのだろうか?気にすることでもないのに…
彼を手玉に取っているような感覚が沸いてくる。いかんいかん。

「とりあえず社長が疑われるようなことだけは避けたいので、社長が出発してからにします」
「しかし君はどうなる?君が疑われることを、ボクは望まない」

目に悲哀の表情を浮かべる彼に私が返すのは微笑みだけだ。

「当たり前ですよ、私だって捕まりたくない。その辺はきっちりやります」
「どういう風に?」

少しだけ躊躇する。

「お教えできません」
「なぜ?」
「知ってしまえば、社長に嘘を付かせることになります」
「そんなこと…それぐらいするよ」
「そうではありません、嘘を付く人が増えれば増えるほど、ウソはばれやすいんです」

私の言葉を噛みしめるようにして社長は紫煙を吐き出した。

「わかった。それでは全部任せる。ただし、絶対に捕まらないでくれ」
「わかってます。こんなことで会社に、社長に迷惑はかけられません」
「そうじゃない。ただ、君にこれ以上の迷惑をかけたくないんだ」

今さら彼の顔に浮かぶ戸惑いの表情、それを本音と取るべきか、それとも礼儀と取るべきか、少しだけ迷った。しかしどっちでも良い、結局どっちも同じコトだ。
1ヶ月前、社長室に今と同じ顔をした彼がいた。その時の彼の気持ちだって推測する必要はない。

「出ようか」

短い話が終わり、立ち上がると、私が荷物を持つ間に彼は会計を済ませた。今日はご馳走になろう。

「トイレに行きたいんですけど」
「いいよ、どっち」
「こっちです」

サンプラザはやはり閑散としていて人けがない。私たちはその中のさらに人の少ない通りを進んでいく。

「それにしても、自分の秘書に妻を殺してくれと頼む人間なんて、なかなかいないだろうね」

短い会話でも緊張が解けたのだろうか、そう言うと彼は可愛らしく笑った。オリジナリティへのこだわり。男の人はいつまで経っても子供なのよ。角を曲がる。そこからはもう人っ子1人いない。ディア・スリム。本物のスリムシェイディーはここにもいますよ。
少し歩みを緩めて彼の背中を見ながらさりげなくカツラの位置を整え、黒縁の伊達眼鏡を外した。バッグに右腕を突っ込み、そこにある拳銃の感覚を確かめる。


「旦那の秘書に、旦那を殺してくれと頼む奥様は、
もっといないと思いますよ」


拳銃のグリップを握る。鞄から引き出す。彼が振り返るのが見える。照準をその頭に合わせる。

また偏頭痛がしたが、無視をしてそのまま引き金を引いた。
梅雨がいよいよ始まりを告げていた。



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