国語・ザ・レボリューション。

前々から、「つらい」「からい」が同じ「辛い」で表現されることに憤りを覚えていた。

これはどういう経緯なんだろう。

そういう会議が開かれて、「『からい』っていう漢字、どうしましょうか?」みたいなテーマが出されて、みんなもう、早く会議終わらせたくて、「なんての? からいってさ、つらいじゃん?」みたいな意見が比較的上の位置にいる人間から出されて、んなら、普段からそいつの金魚の糞みたいになってる下っ端の議事進行役が「さっすが! 慧眼! 鶴の一声!」みたいなことを言うて、「じゃあ、からいって、つらいから、『辛い』っちゅう漢字で行きましょか」ってことになって、義憤と任侠と正義感と世界平和に燃える若人がすかさず「からくてつらいっていう状況の時に漢字にすると『辛くて辛い』になってしまって、それこそ問題だと思うんですけど」と提案するんだけど、先ほどの議事進行係に「そういうことちゃうんじゃボケッ! 空気を読め! 空気を読むか、死ね!」みたいなこと言われて終わり。

爾来、「つらい」と「からい」は同じく『辛い』で表されるようになってしまったんだと思う。んで、なんでか知らんけど、十干十二支の中にも『辛』っていう漢字が出てくる。つまり『辛』っていう漢字は結構大事なはずなのに、繁雑な事務手続きとか、そういう人間関係で残念な着地をしてしまったんだろうなと思う。憤りを感じずにはいられない。

他にも。

僕みたいに、調子に乗った日記を書いてる人間にすると、たとえば「したためる」という言葉を使ってみたかったりする。「したためる」これって、なんかかっけー気がするからね。でも、「したためる」って平仮名で書いたらこれ、なんかちょと阿呆っぽいから漢字にしたいんやけど、「したためる」を変換するとなぜか「認める」になってまうんよね。
これはもう、どこからどう読んでも「みとめる」としか読めない。
つまり、どこかの権威、悪の秘密結社が「したためる」が本領を発揮するのを阻止しているとしか思えないのである。

他に使いたい言葉として「準える」というのがあるけど、こんなん読まれへん。なんで読まれへんかというと、「準」に関しては、もう「じゅん」としか読みようがないからである。ちなみにこれは「なぞらえる」と読むのだけど、なんかもっと別の? 新しい漢字で「なぞらえる」専用の漢字があってくれたって良いじゃないかと思う。

「日」「曰」がそっくりなんもどうなんやろって思う。左が「にち」で右が「いわく」なんやけど、「真ん中の横棒を最後までくっつけるかくっつけないか」でこんなに意味変わって良いの?
あと真ん中の棒っつったら、「甘」っていう漢字があるのに「廿(にじゅう)」っていう漢字を寄せてきたことに意味はあるのか? 逆だったとしてもそう。
先に「廿」という漢字があって、「二十代ってあまいよね」みたいなことから「廿」に横棒を一本足すだけ足して「甘」にしてるところとかも、会議の真剣さを疑ってしまう。

あと、千原ジュニアが言うてたことやけど、「轢く」という漢字がある。「轢き逃げ」とか「轢死」とか、なんせ交通事故に関して、対人の被害が生じたときに使用する言葉である。非常に悲しい現象を表す言葉である。
それなのに、なんで車偏に「楽」という字を充てるのだろうか。

たしかに、江戸時代とかは、大八車を「轢」いたりして、うへ、うへへ、楽しいなぁ、つって楽しかったんかしらんけれど、今はもう「轢死」とかにしか使わないのだから、車偏に「悲」とか車偏に「悪」とかを充てるべきだと思うのである。

反対に、「よく頑張ったなぁ」という漢字もあって、僕が選ぶ「世界で最も良く頑張った漢字」の1位は「虹」である。
なんといっても、「虫偏」というハンデを背負っているのに、あの綺麗なものを表しているのだから。同じ「虫偏」を見てみると、「文」を充てれば「蚊」になるし、「亡」を充てれば「虻」になる。「合」なんて充ててしまうと、「蛤(はまぐり)」つって、もう虫ちゃうやんけ、貝やんけってわけのわからんことになる。

それを乗りこえて、「工」というシンプルな文字を充てて、「虹」を完成させた人はえらいと思う。確かに七色の虫が集まって飛んで行ってるような気もするもんね。

ノーベル賞をあげたいね。

さっきの「轢死」の話で考えると、もう、現代では通用しない価値観みたいなのがあって、これも千原ジュニアが言ってたことだけど、「月とすっぽん」という言葉があるけれど、今日日「すっぽん」ってそこそこの高級食材であり、月とすっぽんつったって、その差っていうのはかなり狭まっているというか、すっぽん以下の物が山ほどあるから、例えば「月と泥水」とかに変えるべきと言ってらした。

本当にその通りで、例えば「紺屋の白袴」なんて諺があるけれど、今日日「紺屋」なんてものがこの世にはない。「医者の不養生」は、まだ辛うじて通じるけれど。「猫に小判」とか「豚に真珠」とかって、一体どういうシチュエーションで、そういう動物に高価な物を見せる機会ってどんなときやねんと思うし、「小判」って言われても、小判の価値がわからんからそれがどれだけのもんなのか、わからへんやないか。

「帯に短したすきに長し」という諺も、もう「帯」がどれくらいで、「たすき」がどれくらいなのか、ワシにはわからん。そもそも帯がたすきよりも長いってのもこの諺で知ったわってなもんである。

初夢で縁起が良いのは「一 富士、二 鷹、三 茄子」と言うけれど、なすびの夢なんて見てもたら、ガッカリしてしまうよ、僕は。
それなら「一 ペネロペ・クルス、二 天海祐希、三 吹石一恵」の方がよっぽど説得力がある。

んで、ここからは一気にシフトチェンジするけれど、物に名前をつけるときも、もっと人間は慎重にならなアカンと思う。

例えば『癌』。ガン。
もうなんていうの? こんな病名突き付けられたら、治る気せぇへんやん。漢字にしたらめっちゃ怖いし、響きも「ガーン」って感じやし。もっと、『戦えそうな名前』にすべきやと思う。

例えば「ピルチャム」とか。

「胃ピルチャム」とか「肺ピルチャム」とかやったら、なんか、なんとかまだ頑張って戦えそうな気ぃせぇへん?

実はこの件は、母親が癌病棟に入院しているときに、同じ病棟の6名の患者さんの前で披露したのだけど、そしたら当時癌の手術待ちとか、手術直後の方々から拍手喝采をいただいたのよ。ある人は「私、今日から乳ピルチャムだと思って生きていくわ」つって言うてくださって、その人は見事に退院、現在も元気でやってらっしゃるわけ。

病気っていうのは、最終的には患者のモチベーションだと思うのです。
そのモチベーションを削がない名前を慎重に選ぶべきじゃないかな。

『鬱』も同じこと。
『鬱』なんてもう、漢字で書いてたら、書いてる間に鬱になってしまいそうなくらい、禍々しいオーラが出てる。それならいっそ『慢性絶不調』とかに改名して、なんか、それ言われたら元も子もないなっていうような雰囲気にしておいたらいいんじゃないのかって思うのである。診断書にも「慢性絶不調」って書けるような、正式名称にしてやればいいと、僕は思う。

逆に、胃に住んでいるという『ピロリ菌』に関しては、胃ガン…もとい、「胃ピルチャム」を引き起こすとまで言われているものっそ怖い菌なのに、名前が「ピロリ」なんて名前なので、みんな完全にナメてしまってる。

正式名称も『ヘリコバクター・ピロリ』っていうらしいけど、なんか、茶目っ気のある正義のヒーローみたいな気しかしない。悪いことしそうにないように思える。人間で言うと「森川素直」って人くらい悪いことしそうにない。すると、ピロリ菌を体に持つ人も、全然余裕なんちゃうかって気になってしまう。

でも、それが胃ピルチャムや胃潰瘍を引き起こしたりするのだから、ここはナメないように、みんなが危機感を持って病院に通うようになるように、例えば「ベルゼブブ・アイズ(蝿王の瞳)みたいな禍々しい名前をつけて、みんなが恐れるようにした方が良いと思う。

かつて『暴走族』を『珍走団』と呼ぼうという試みがあった。
とても良いことだと思う。

『不倫』という言葉も、今や甘酸っぱくロマンティックなイメージさえつきまとってくるから、もっと犯罪色が出るように、「自壊」とか「自爆」とか「覚醒剤の代替」とか「気狂いの情事」とか、「断命」とか、そんぐらいの言葉にしたったらええと思う。

学生時代、日本史の授業で「原敬」っていう元内閣総理大臣について学んだとき、先生が恐るべきことを口にした。

「えー、ここに出てくるのが、「はらたかし」。まぁ、「はらけい」でもいいですけど

人の名前で読み方二パターンあったらアカンやろ()。
そういう不満もあるけれど、それはまた次の機会に。

ということで、国語に関しては、まだまだ改良の余地があると思うんですけど、みんなはそんなこと感じたことない?



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