無人島に、ひとつだけ持って行けるとしたら。
先日、mixiニュースの中で、「無人島にひとつだけ持っていきたい野菜ランキング」というものが発表されており、1位がじゃがいもだった。なんじゃそれ。なんでもええわ。
そんなことよりも、巷間を度々騒がせているこの問題。いわゆる『無人島問題』について私は言いたい。
「無人島に○○をひとつだけ持って行けるとしたら」という問題について、それを聴く度に僕は、毎回違和感を感じている。
「なんで1個だけしかダメなんだ」ということと、「逆にどうして1個だけは好きな物を持って行けるか」ということが引っかかるのである。
そもそも無人島に行く経緯はふたつ。
ひとつは「無人島に行こう!」と決めて無人島に行く場合である。この場合は、無人島に行く前から、無人島に行くことが決まっているのだから、万全な準備がいくらでもできる。出発前にスーパーマーケットやホームセンター、オーシャンパシフィックなんかに行って、バッシバシ準備ができる。
今回に関しては特に慎重になって然るべきである、だって無人島みたいな怖い場所に行くとわかっているのだから、いつも以上に十全なる準備が求められてくるのは大人だったら誰でもわかる。
となると、例えば「野菜を持っていく」という準備にしても、野菜が1個だけなんて発想にはならない。そんな奴は阿呆である。だってタマネギと人参とジャガイモがなければカレーができないし、トマトとか茄子とかがないと、豪華なカレーができない。んで、ガラマサ…ガランマン…グランマ…グランドマザー…、とにかく、「ガランなんちゃら」みたいな香辛料がないと、本格カレーにはならない。はっ、阿呆みたいなことを言うてしまった。
とにかく、誰だって無人島に行くことがわかってたら、野菜にしたって肉にしたって、それ相応に準備していくだろう。つまり予め「無人島に行く」と決まっていた場合、「1個だけしか選べない」というくくりの意味がわからなくなるのである。
無人島に行くことになるふたつめの経緯は「漂流」である。本来は何処か別に目的地があって、途中で船が難破もしくは爆発してしまい、気付いたら島に漂着していて、そこは無人島だった、ヒゲが、伸びていた…
という流れである。この場合、「好きな野菜」もへったくれもない。こちとら大パニックになりながら難破してんだから、グラングラン揺れる船内で、調理場にある冷蔵庫を開けてアゴをさすりながら「うーむ…どの野菜で行ったろかな」なんてことは絶対にやってられない。
いつの間にか漂着して、砂浜に倒れていたその時、自分が手に持っていたものがその人の全てである。
もちろん、もしかしたら、船がいよいよ難破してしまうという状況になって、土壇場で自分の「絶対に持っていきたいもの」に、死ぬ気になって手を伸ばして1個だけ懐に入れられるということがあるかもしれないけれど、その場合、それが「野菜」である確率は絶望的に低い。そんな状況における野菜の優先順位は正直かなり低い。野菜よりも、もっと持っていきたいものがある。『家族の写真』とかね。
さらに、無人島に漂着してしまったら、いつ来るとも知れない救助を待たなければならないサヴァイヴァル期間が待っているのがセオリーである。
無人島は、着いてからが大変なのだ。救助が来るまで、或いはイカダができるまで、我々は生き延びなければならない。
そうなってくると、じゃがいも1個握りしめていたって、あまりに非力だ。難破してゆく船の中で、木片とかガラス片とか誰かのパンツとかが顔面にバッシバシ当たってる中、死にものぐるいで手を伸ばしてジャガイモをいっこだけ持ってきてしまった人は完全に負け組である。あまりの絶望感に、そんな、たったひとつのジャガイモさえも海へ全力投芋してしまうかもしれない。
僕がオススメするのは、やはり「種」だ。ジャガイモ1個分が入る袋があれば、その袋には、野菜各種の「種」が山ほど入るじゃないか。だから、いろんな野菜の種をいっぱい持っていけばいい、船が難破したら、何を置いてでも「種」だけはゲットして欲しいものである。ジャガイモの場合でも成人した大人のジャガイモではなく、種芋にしておいた方が良い。
漂着してから当面は、船に残っている食料で凌げるだろう、その間に開墾、種植え、水やり、虫退治などをして、サンシャイン牧場を完成させるのだ。
人々は食糧危機に怯えながらも、必死になって苗を育てる。
いつ芽吹くとも、いつ実るとも知れない小さな命を必死になって、身を挺して守るだろう。するとやがて、小さな双葉が芽吹き、少しずつ成長し、やがて瑞々しい野菜が実るようになる。乗組員たちは喜びの雄叫びを上げる。
ここまでくると今度は、救助隊が来たら来たでややこしくなる。
だって、その時は畑作業が結構いい感じに進むようになっていて、鍬の入れ方とか、堆肥の作り方とかもわりとわかってきて、当番制とかが導入されて、「無理はしないように」みたいな雰囲気もできあがって、「野菜の歌」みたいな自作の合唱曲が生まれていたりするだろう。乗組員はみんな艱難辛苦を味わいながらも、土仕事に汗をかくことを、いつの間にか至福の時間と感じるようになっているから、そこへ救助隊員がやってきて、「おまたせっ☆」っつって手を差し伸べたとしても、たぶん乗組員たちはその手を振り払って、「やめてくださいぃ!今いいところなんですぅ!」とキレるんじゃないだろうかと思うのである。
そうなってくると面白くないのは救助隊員である。そもそも手前らが勝手に難破しといて、こっちはわざわざ忙しい中を助けに来てやったというのに、「マジかよ、キレられたよ」っつって、ふてくされて、「お前ら死んでも知らねぇからな、つうか死ねよ」と捨て台詞を吐いて帰って行くだろう。
しかし残った乗組員達はめげない。救助隊員の後ろ姿に「イエーイ!」と喝采を浴びせ、半ケツを叩きながら「あっかんべー」をしてたり、互いにハイタッチをして散々喜んで、畑仕事は俄然盛り上がってくる。こうなってくると、こいつら一体なにやってんの? 漂流してんじゃないの? っていう外野の声もなんのその、乗組員たちはジャガイモに「ポテトさん」などと命名したり、「ポテトさん」に頬ずりしたり、「ポテトさん」の写メを撮りまくったり、自分の「ポテトさん」が一番可愛い、この「ポテトさん」はお前に似ている、えーマジか? そんなことねぇよ、でも嬉しいよ、ふふ。
みたいなやりとりが発生したり、そうこうしているうちに月日が経ち、彼らはその土地に住み着き、根付き、無人島は、『有人島』となった。
こういう経緯を経て、太平洋に浮かんでいた、それまで無人だった日本列島と呼ばれる島には、「日本」という国家が建国されたのである。
今から気の遠くなるほど昔の話である。
僕は一体何を書いているんだろう。
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そんなことよりも、巷間を度々騒がせているこの問題。いわゆる『無人島問題』について私は言いたい。
「無人島に○○をひとつだけ持って行けるとしたら」という問題について、それを聴く度に僕は、毎回違和感を感じている。
「なんで1個だけしかダメなんだ」ということと、「逆にどうして1個だけは好きな物を持って行けるか」ということが引っかかるのである。
そもそも無人島に行く経緯はふたつ。
ひとつは「無人島に行こう!」と決めて無人島に行く場合である。この場合は、無人島に行く前から、無人島に行くことが決まっているのだから、万全な準備がいくらでもできる。出発前にスーパーマーケットやホームセンター、オーシャンパシフィックなんかに行って、バッシバシ準備ができる。
今回に関しては特に慎重になって然るべきである、だって無人島みたいな怖い場所に行くとわかっているのだから、いつも以上に十全なる準備が求められてくるのは大人だったら誰でもわかる。
となると、例えば「野菜を持っていく」という準備にしても、野菜が1個だけなんて発想にはならない。そんな奴は阿呆である。だってタマネギと人参とジャガイモがなければカレーができないし、トマトとか茄子とかがないと、豪華なカレーができない。んで、ガラマサ…ガランマン…グランマ…グランドマザー…、とにかく、「ガランなんちゃら」みたいな香辛料がないと、本格カレーにはならない。はっ、阿呆みたいなことを言うてしまった。
とにかく、誰だって無人島に行くことがわかってたら、野菜にしたって肉にしたって、それ相応に準備していくだろう。つまり予め「無人島に行く」と決まっていた場合、「1個だけしか選べない」というくくりの意味がわからなくなるのである。
無人島に行くことになるふたつめの経緯は「漂流」である。本来は何処か別に目的地があって、途中で船が難破もしくは爆発してしまい、気付いたら島に漂着していて、そこは無人島だった、ヒゲが、伸びていた…
という流れである。この場合、「好きな野菜」もへったくれもない。こちとら大パニックになりながら難破してんだから、グラングラン揺れる船内で、調理場にある冷蔵庫を開けてアゴをさすりながら「うーむ…どの野菜で行ったろかな」なんてことは絶対にやってられない。
いつの間にか漂着して、砂浜に倒れていたその時、自分が手に持っていたものがその人の全てである。
もちろん、もしかしたら、船がいよいよ難破してしまうという状況になって、土壇場で自分の「絶対に持っていきたいもの」に、死ぬ気になって手を伸ばして1個だけ懐に入れられるということがあるかもしれないけれど、その場合、それが「野菜」である確率は絶望的に低い。そんな状況における野菜の優先順位は正直かなり低い。野菜よりも、もっと持っていきたいものがある。『家族の写真』とかね。
さらに、無人島に漂着してしまったら、いつ来るとも知れない救助を待たなければならないサヴァイヴァル期間が待っているのがセオリーである。
無人島は、着いてからが大変なのだ。救助が来るまで、或いはイカダができるまで、我々は生き延びなければならない。
そうなってくると、じゃがいも1個握りしめていたって、あまりに非力だ。難破してゆく船の中で、木片とかガラス片とか誰かのパンツとかが顔面にバッシバシ当たってる中、死にものぐるいで手を伸ばしてジャガイモをいっこだけ持ってきてしまった人は完全に負け組である。あまりの絶望感に、そんな、たったひとつのジャガイモさえも海へ全力投芋してしまうかもしれない。
僕がオススメするのは、やはり「種」だ。ジャガイモ1個分が入る袋があれば、その袋には、野菜各種の「種」が山ほど入るじゃないか。だから、いろんな野菜の種をいっぱい持っていけばいい、船が難破したら、何を置いてでも「種」だけはゲットして欲しいものである。ジャガイモの場合でも成人した大人のジャガイモではなく、種芋にしておいた方が良い。
漂着してから当面は、船に残っている食料で凌げるだろう、その間に開墾、種植え、水やり、虫退治などをして、サンシャイン牧場を完成させるのだ。
人々は食糧危機に怯えながらも、必死になって苗を育てる。
いつ芽吹くとも、いつ実るとも知れない小さな命を必死になって、身を挺して守るだろう。するとやがて、小さな双葉が芽吹き、少しずつ成長し、やがて瑞々しい野菜が実るようになる。乗組員たちは喜びの雄叫びを上げる。
ここまでくると今度は、救助隊が来たら来たでややこしくなる。
だって、その時は畑作業が結構いい感じに進むようになっていて、鍬の入れ方とか、堆肥の作り方とかもわりとわかってきて、当番制とかが導入されて、「無理はしないように」みたいな雰囲気もできあがって、「野菜の歌」みたいな自作の合唱曲が生まれていたりするだろう。乗組員はみんな艱難辛苦を味わいながらも、土仕事に汗をかくことを、いつの間にか至福の時間と感じるようになっているから、そこへ救助隊員がやってきて、「おまたせっ☆」っつって手を差し伸べたとしても、たぶん乗組員たちはその手を振り払って、「やめてくださいぃ!今いいところなんですぅ!」とキレるんじゃないだろうかと思うのである。
そうなってくると面白くないのは救助隊員である。そもそも手前らが勝手に難破しといて、こっちはわざわざ忙しい中を助けに来てやったというのに、「マジかよ、キレられたよ」っつって、ふてくされて、「お前ら死んでも知らねぇからな、つうか死ねよ」と捨て台詞を吐いて帰って行くだろう。
しかし残った乗組員達はめげない。救助隊員の後ろ姿に「イエーイ!」と喝采を浴びせ、半ケツを叩きながら「あっかんべー」をしてたり、互いにハイタッチをして散々喜んで、畑仕事は俄然盛り上がってくる。こうなってくると、こいつら一体なにやってんの? 漂流してんじゃないの? っていう外野の声もなんのその、乗組員たちはジャガイモに「ポテトさん」などと命名したり、「ポテトさん」に頬ずりしたり、「ポテトさん」の写メを撮りまくったり、自分の「ポテトさん」が一番可愛い、この「ポテトさん」はお前に似ている、えーマジか? そんなことねぇよ、でも嬉しいよ、ふふ。
みたいなやりとりが発生したり、そうこうしているうちに月日が経ち、彼らはその土地に住み着き、根付き、無人島は、『有人島』となった。
こういう経緯を経て、太平洋に浮かんでいた、それまで無人だった日本列島と呼ばれる島には、「日本」という国家が建国されたのである。
今から気の遠くなるほど昔の話である。
僕は一体何を書いているんだろう。
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人生は沢山の可能性から一つしか選べない事がほとんど、仕事や恋愛に悩んでいてキーワード検索してみたらこのブログが出てきました。凄く笑えて心が明るくなりました!どうもありがとう! (魚座 B型 もうすぐ三十路。)
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