人を呪わんとして墓穴掘る。

僕の朝はいつも、「鍵、どこ行ったんじゃい!ボケェェェ!!」で始まる。出立ぎりぎりで余裕がないときにいつも鍵がないことに気付く僕は、本来家を出なければならない時間から2、3分遅れて家を出ることになる。朝の2,3分、これはでかい。命取りになる。ので、結果「絶対、昨日、あんなとこに、鍵置いてなかったわぁぁぁぁぁぁぁ」と叫びながら駅までをダッシュしなければならなくなるのでとても疲れる。

とても疲れるから、せめて電車では座りたいと思うのだけれど、どうにもこの辺りの社会人は、みんな大阪で働くことをハイソサエティのステータスだとでも感じているのか、僕が乗る電車はいつも混雑している。混雑はしているのだけれど、満員でギュウギュウというわけではないので、ついつい「あわよくば感」を感じてしまう僕は毎日電車に乗るなり周囲をキョロキョロと見渡して、電車が駅に到着する度に、どこかの座席が空かないかと目を光らせている。

昔は誰かが席を立ったと見るや、ダッシュでその空席を確保しようとしていたのだけれど、電車の中でダッシュをしようとしてもなかなか加速できないとわかってからは、空席に向かって持ち物を放り投げ、まず持ち物が空席に着地してから着席するという暴挙に出ていた時期もあった。しかし、一度その一部始終を目撃していた老婆にこっぴどくしかられてからは持ち物放り投げ作戦を諦め、封印し、新しい作戦、その名も「僕もこの駅で降りる人なんです…と見せかけて作戦」を決行していてこれがわりと功を奏している。

「僕もこの駅で降りる人なんです…と見せかけて作戦」の説明は難しいのだけれど、とりあえず、混雑する電車の中でも、必ず長座席の前に立つように心がける。ドア付近ではだめ。8人掛けの座席の真ん中あたりまでぐいぐい進んで、とりあえずつり革を握って立っておいて、座っている8人の頭を厳しく監視しておく。
すると電車が駅に近づくにつれ、いそいそと電車を降りる準備を始める人が現れる。それを見つけた僕は、まるで自分もその駅で降りるかのような感じで「すません」とか言うたりして、座席で降りる準備をしている人間に近づいてゆく。

基本的に、座席が空いたとき、次にその座席に座って良さそうな人ナンバー1というのは、その席の真正面に立っていた人である。目の前の人が席を空けたら、そこに座る。これをとがめる人はいない。しかし、「誰にもとがめられずに座れる」ということが、逆にその人の心に隙を生む。

僕はその隙をつくことにしているのである。


座席に座っていて、次の駅で降りる人をAさん、その真正面に立っている人をBさんとしよう。


Aさんの真正面で、「あ。目の前の席が空くわ。じゃあ次はあたしが座ってやろうかしらん」ともくろんでいるBさんの隣に、徐々に僕は近づいてゆく。

電車が止まると、まずAさんが席を立つ。
でもBさんはすぐには動かない。なぜなら、次に座るのは当然自分だと思っているからである。

そのとき僕はすでに、Aさんにぴったりくっついて、まるで「僕もこの駅で降りるんですよ」という感じでAさんの後ろをついていき、Bさんと座席の間に体を入れて、ドアを目指すような雰囲気で進んでいこうと見せる。そうすると、Bさんは少し後ろに下がり、Aさんと、そして僕をやり過ごしてから、悠々と空席に腰掛けよう、そう思っているのだろうけれど、僕はBさんと空席の間で立ち止まり、ニヤリと笑ってそのまま空席を占拠するのである。

とうぜんBさんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして僕を見下ろしている。僕はむふふんと笑って読書や睡眠に興じるのである。わはは。

ただし、この「僕もこの駅で降りる人なんです…と見せかけて作戦」は、視界の範囲で降りる人がいない場合、まったく機能しないという弱点がある。

そこで最近はオーソドックスに、「いつもあの駅で降りる人」に目を付けておいて、その人の真正面に立って、その人と入れ替わるように座るという方法に落ち着いていた。

本日もいつも通り、次の駅で降りるCさんを見つけたので、Cさんの前に立った僕はもう安心。「あー、今日から5日間会社行くなんて絶対に無理やなぁ」などと心の中で弱音を吐いているうちに、電車のスピードが落ちてきたので、「お、そろそろCさんが降りよるな」と思ったら、案の定、Cさんも降りる準備を始めていて、いやいや、いつもご苦労様です。あなたのおかげで僕はここから座って大阪まで行けまっさぁ。

と心の中で謝辞を述べながら、Cさんが立ち上がる時に立ち上がりやすいようにちょいと後ろに下がって、そんでもって「座席に座ったらちょっと寝ようかしら」と思った僕は、寝るのに心地よい音楽でも聞こうかとiPodを取り出して、チョチョイといじっていて、そしたらCさんはいよいよ立ち上がり、僕の左に抜けていったから、じゃあ座ろうかいな、と思ったのだけれど、そしたら右からCさんの後ろに並ぶようにして、変なオッサンがやってきたので、僕はストップ。おほほん、ちょっと急いでもたな、恥ずかしいな。なんて照れながら、じゃあそのオッサンが前を通り過ぎたあと、席に座ろうと、オッサンが行ってしまうのを待って…いや待て! こ、これは、違うっ!

やられたっ!


案の定、オッサンは、目の前に誕生していたはずの空席を陣取ってニヤリと笑っている。


これ、わしの「僕もこの駅で降りる人なんです…と見せかけて作戦」やないけっ! 憤怒ぅ!!! こなくそ!むっさ腹立つ!なんじゃい、お前、ここで降りるんちゃうんかい!!見せかけたな!見せかけやがったなぁ!!

あまりにも悔しかったので、大阪に着くまでの間、オッサンがウトウトし始めるたびにオッサンの膝を軽く蹴るという空しい行為を続けてやりました。

人の振り見て我が振り直せ。こんな悔しいとは思わなかった。「僕もこの駅で降りる人なんです…と見せかけて作戦」の被害者…。

今まで不快な思いをさせてきた『真正面に立ってた人』全員にお詫びしたい。

あと、明日、Cさんに会ったら、「座席譲渡契約書」でも交わそうかしらんと僕は思っている。



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