我々人間どもが魚を食う理由、それは美味いから。
食欲というものがある以上、人間は食わなやっとれんわけで、食わんかったら死ぬ。んなことはわかっている。
だけども永い歴史を経た今、人類はなんちゅうか、ただ生きるためにメシを食うにとどまらず、食事を楽しむことを覚えていった、なんともしらこい生き物だな。
近年のグルメブーム。ミシュランがなんちゃら言うてみたり隠れ家的にしてみたり、そんな世相を見るにつけ、いつもぶり返す疑問があって、それは長年僕の心を時々くすぐってはどっかへ消えて行く。なんともイケズな感情である。
僕が長年疑問に思い続けていること。
「刺身は、なぜ美味いのか」である。
以前から、何度も申し上げてはいるのだけど、僕には魚が美味い理由がホントにマジわかんねー。
長くなりたくないので、先を急ぐと、魚は別に美味くなくていいのである。
種の保存。
これが則ち生命体の義務でして、「生きたい!」というモチベーションを全ての生命は持っている。生きたいからこそ、イタチは屁をこくし、針ネズミはトゲトゲになるし、あのナマケモノでさえ一応ぶら下がることは諦めない。
生きて、子を残す。
それは形ない命のサーフィスに刻まれた、原始的契約書のごたる命題と言ってもいいと思う。
そこへきて魚が美味い。これはなんでや。
そう思うのです。
そう思いません?
我々人間どもが魚を食う理由は、美味いから。
魚は美味いから食われるわけで、美味くなければ食われない。種の保存、子孫繁栄、生命の伝承、この契約に基づいて生きているならば、魚サイドは「ボクらかてやっぱし、なるたけ食われたくないっすよ」と思っていて当たり前で、死ぬために生まれてきたわけじゃないんやから、んなら魚たちよ、美味くてどうすんねん。
鮭や、蟹、蝶鮫の類に至っては「卵が美味い」っつって、子孫までおもくそ食われてしもてるやないかい、ちゃんとせぇ。
不味ければ食われない魚の生きる道は「不味くなる」に尽きるわけで、「天然が美味い」だの「獲れたてが美味い」だのと、むしろお前ら「美味化」に対して必要以上に積極的やないか?
新鮮であればあるだけ、生命であればあるだけ美味い、そんなことを言われてるようでは、これは魚世界の怠慢である。これは魚たちの怠慢なのだと思う。
加えて、たとえば魚は脳みそが小さいし、人によっては「魚はそこまで考えてないんじゃない?」みたいな? 魚派? 魚擁護派? そういうことを言うてくる人もいる。いてます。知ってます。
でもね、魚がね、ホンマにね、純粋にね、単純に阿呆なだけなら僕も得心いくんやけども、魚の中には「実は賢いんじゃないか」と思わせる存在がいて、それが僕を余計に悩ませている。
フグとカサゴである。
フグは皆さんご存知の通り「毒持ち」であり、フグの毒っつったら相撲力士が卒倒して死ぬくらいなわけで、こりゃすげぇ防衛装備だ。侍でいやぁ、名刀大般若長光と脇差しに五郎入道を呑んでいるようなもの。やっぱフグも生きたいんやなー、生命を後生に残してゆきたいんだなーって思ったあたりで、はたと気づくのは、フグの毒は内臓にあるっていうことなわけ。
お前の毒、「食われるのが前提」になってるやないか。『毒』問題は、お前が食われた上での話やないか。なんでそんな体の奥まったところにひっそりと猛毒を持っとんねん。お前の底力が発揮されたとき、お前は既に死んでもてるやないか、ツッコミが長いねん、オレは。
その点、カサゴはまだちゃんと毒の使い方を知ってる。ヒレや皮膚に毒を持ち、ちょっと触れるだけでピリピリやっちゃう。鋭く尖ったナイフである。さらにカサゴ先輩の場合は表面の毒だけでなく、あの外見である。見てよ、アレ。むっちゃ顔怖いやん。みんななかなか近づかん。
やっぱこのあたり、勉強できそうや。フグも、カサゴ先輩をもっと見習わなアカンのちゃうかなーって思ったあたりで、また、はたと気づくことがある。
食べるとむっちゃ美味いんです。
なんでやねん。
外見いかつくて表面に毒を持っている、そんなカサゴ先輩ですが、 その美味のお陰で器用にさばかれて、今や煮付けの代名詞みたいになってもてるやないか。
ってこと。
これまで僕が発し続けてきたこの問いの解として、一番有力だったのは
「魚が自分から人間の味覚に合わせてるわけじゃなくて、人間が魚の味を美味いと思うようにできている」
っていう、『味覚後発説』なんやけど、それもなぁーって思う理由があって、それは「事実、不味い魚も存在している」ってことで、世の中には釣り上げられても食卓に並ぶことなく海に捨てられる魚は五万といる。
ハマチやカツオたちは、やっぱそういうクズたちを見て、「自分になくて、アイツにあるもの」、つまり「不味み(まずみ)」を学んで然るべきなのに、一向に改善されない。
その理由はきっと、釣り上げられた仲間たちがどんな目に遭っているのか、知らないからなんだろなー、まな板の上に載せられた時、初めて「げ、マジで?」って思うのだけど、時既に遅し。「まな板の鯉」ってよくできた言葉だな、でも「鯉」ってチョイスは微妙だなーなんて思ってるうちに、魚食うのが悲しくなってきて、今日は肉を食うた。
肉も肉じゃい、なんであんなに美味いねん。
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だけども永い歴史を経た今、人類はなんちゅうか、ただ生きるためにメシを食うにとどまらず、食事を楽しむことを覚えていった、なんともしらこい生き物だな。
近年のグルメブーム。ミシュランがなんちゃら言うてみたり隠れ家的にしてみたり、そんな世相を見るにつけ、いつもぶり返す疑問があって、それは長年僕の心を時々くすぐってはどっかへ消えて行く。なんともイケズな感情である。
僕が長年疑問に思い続けていること。
「刺身は、なぜ美味いのか」である。
以前から、何度も申し上げてはいるのだけど、僕には魚が美味い理由がホントにマジわかんねー。
長くなりたくないので、先を急ぐと、魚は別に美味くなくていいのである。
種の保存。
これが則ち生命体の義務でして、「生きたい!」というモチベーションを全ての生命は持っている。生きたいからこそ、イタチは屁をこくし、針ネズミはトゲトゲになるし、あのナマケモノでさえ一応ぶら下がることは諦めない。
生きて、子を残す。
それは形ない命のサーフィスに刻まれた、原始的契約書のごたる命題と言ってもいいと思う。
そこへきて魚が美味い。これはなんでや。
そう思うのです。
そう思いません?
我々人間どもが魚を食う理由は、美味いから。
魚は美味いから食われるわけで、美味くなければ食われない。種の保存、子孫繁栄、生命の伝承、この契約に基づいて生きているならば、魚サイドは「ボクらかてやっぱし、なるたけ食われたくないっすよ」と思っていて当たり前で、死ぬために生まれてきたわけじゃないんやから、んなら魚たちよ、美味くてどうすんねん。
鮭や、蟹、蝶鮫の類に至っては「卵が美味い」っつって、子孫までおもくそ食われてしもてるやないかい、ちゃんとせぇ。
不味ければ食われない魚の生きる道は「不味くなる」に尽きるわけで、「天然が美味い」だの「獲れたてが美味い」だのと、むしろお前ら「美味化」に対して必要以上に積極的やないか?
新鮮であればあるだけ、生命であればあるだけ美味い、そんなことを言われてるようでは、これは魚世界の怠慢である。これは魚たちの怠慢なのだと思う。
加えて、たとえば魚は脳みそが小さいし、人によっては「魚はそこまで考えてないんじゃない?」みたいな? 魚派? 魚擁護派? そういうことを言うてくる人もいる。いてます。知ってます。
でもね、魚がね、ホンマにね、純粋にね、単純に阿呆なだけなら僕も得心いくんやけども、魚の中には「実は賢いんじゃないか」と思わせる存在がいて、それが僕を余計に悩ませている。
フグとカサゴである。
フグは皆さんご存知の通り「毒持ち」であり、フグの毒っつったら相撲力士が卒倒して死ぬくらいなわけで、こりゃすげぇ防衛装備だ。侍でいやぁ、名刀大般若長光と脇差しに五郎入道を呑んでいるようなもの。やっぱフグも生きたいんやなー、生命を後生に残してゆきたいんだなーって思ったあたりで、はたと気づくのは、フグの毒は内臓にあるっていうことなわけ。
お前の毒、「食われるのが前提」になってるやないか。『毒』問題は、お前が食われた上での話やないか。なんでそんな体の奥まったところにひっそりと猛毒を持っとんねん。お前の底力が発揮されたとき、お前は既に死んでもてるやないか、ツッコミが長いねん、オレは。
その点、カサゴはまだちゃんと毒の使い方を知ってる。ヒレや皮膚に毒を持ち、ちょっと触れるだけでピリピリやっちゃう。鋭く尖ったナイフである。さらにカサゴ先輩の場合は表面の毒だけでなく、あの外見である。見てよ、アレ。むっちゃ顔怖いやん。みんななかなか近づかん。
やっぱこのあたり、勉強できそうや。フグも、カサゴ先輩をもっと見習わなアカンのちゃうかなーって思ったあたりで、また、はたと気づくことがある。
食べるとむっちゃ美味いんです。
なんでやねん。
外見いかつくて表面に毒を持っている、そんなカサゴ先輩ですが、 その美味のお陰で器用にさばかれて、今や煮付けの代名詞みたいになってもてるやないか。
ってこと。
これまで僕が発し続けてきたこの問いの解として、一番有力だったのは
「魚が自分から人間の味覚に合わせてるわけじゃなくて、人間が魚の味を美味いと思うようにできている」
っていう、『味覚後発説』なんやけど、それもなぁーって思う理由があって、それは「事実、不味い魚も存在している」ってことで、世の中には釣り上げられても食卓に並ぶことなく海に捨てられる魚は五万といる。
ハマチやカツオたちは、やっぱそういうクズたちを見て、「自分になくて、アイツにあるもの」、つまり「不味み(まずみ)」を学んで然るべきなのに、一向に改善されない。
その理由はきっと、釣り上げられた仲間たちがどんな目に遭っているのか、知らないからなんだろなー、まな板の上に載せられた時、初めて「げ、マジで?」って思うのだけど、時既に遅し。「まな板の鯉」ってよくできた言葉だな、でも「鯉」ってチョイスは微妙だなーなんて思ってるうちに、魚食うのが悲しくなってきて、今日は肉を食うた。
肉も肉じゃい、なんであんなに美味いねん。
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