名を『クオリア』という
「クオリア」という概念がある、エアコンの名前ではない。徳永英明のヒット曲でもない。
トマトや苺やりんごを見て、「赤いやつ」と思ったり、空を見て「青い」と思ったりする、「感覚に伴った鮮明な質感」のことを「クオリア」と呼ぶらしい。
トマトや苺っつったって、ヘタは緑だし、りんごも下半分は意外に白かったり緑だったりする。そういったとこらへんを度外視して直感的に「赤いの」と思う。空だって白い部分もあれば、黄色、赤の部分、夕空もあるのに、「青」と言えてしまう感じ。
この仕組みをクオリアと呼ぶんだそうだ。
たぶん「青い海」と感じるのもクオリアによるものなのだろうし、「マシュマロみたいなおっぱい」という言葉を聞けばだいたい、その感じがわかるのも、クオリアによるものなのだろう。
さて、そんなクオリアなんだけども、色んな賢い人が今、懸命に研究をしている。それこそなぜ、「赤いだけじゃないリンゴを見て『赤』と認識するのか」について、叡智が必死に研究をしている。中には父親参観だとか、炊事洗濯だとかも省みず、日夜各々のやり方で研究をしているのであろう。
それなのに、実は、クオリアの仕組みについては、もう全っ然わからないらしいのである。
リンゴを見て「赤いやつ」と考えてしまう理由が、もう全然わかんないのだという。
また「わかる」だけではなく「説明できる」というのも研究には大切な部分であり、今まで多くの学者が何度もわかった気になって「論文発表」という形で説明を行なってきたのだけど、今度はその説明が、よくわからない、穴が多い。みたいなことになってきちゃって、いよいよクオリア研究は暗礁に乗り上げた。
すると、研究があまりに進まないせいで、議論が矛先を変え始めて、例えば「ってゆーか、オレの専門ちゃうし、は?マジで、は?」みたいなことを言い出す輩が出現してきたのである。
「クオリア」というのは素人目には脳科学の扱う分野に見えるのだけど、なんだったか、詳しいことを度忘れした…というか、理解できなかったのだけど、それこそ物理学とか、なんちゃら科学みたいな分野にも当てはまらないこともない、そもそも、「クオリア」自体の正体が全くわからないのだから、逆にどんな分野にも当てはまっておかしくないのである。
最初は、我先にと名乗りを挙げて、自分の専門分野でクオリアを解き明かそうと躍起になっていた人たちも、あまりの手応えのなさに、どんどん意欲をなくして、「知らんし、脳科学の人がやれや、は?は?」と言い出した。悲しい話である。
そんな中、とある学者が、「完全に元も子もない」みたいなことを言い始める。
「我々が人間である以上、我々はクオリアを理解することは不可能である」
つって。
曰く、「なぜ認識するのかについて、認識させられている側にはわかるわけがない。認識させられてるものがクオリアを理解してしまうのは、認識させている側からすれば不都合なことだから、理解できないようにしてる」的なことである。
つまり、認識させている側を『脳』と考えたら、クオリアの正体について考えるのは各自の脳なわけで、その脳がクオリアの正体を隠したがっているから、脳に鍵をかけている、みたいなことを言うている。ドグラマグラみたいやな。
ちなみにあの有名な脳科学者、茂木健一郎氏もクオリアの研究者であるが、彼がどんな学説を支持していたかとか、そもそもそもどんな学説があったかさえ、僕は覚えていない。だって難しいんだもん。
ただ、「リンゴを見て赤いと思うのは何故だろう」と想い、そういった現象に「クオリア」と名付けた一連が素敵じゃないか。
この先、万が一金田一、「クオリア」が少しく有名になってきたりしたら、音楽とかロールプレイングとかのタイトルで、『夏のクオリア』っつって、あの夏、僕は何故だろう、彼女に急に恋をした、みたいなラブソングだったり、『テイルズ・オブ・クオリア』つうシリーズ最新作が出たりするかもね。でも、最前線で研究している人にだって、クオリアがなんなのかわかってないのだから、安易にクオリアには手ぇ出さん方がいいような気もする。
安易なクオリアは身を滅ぼすぜ。
※クオリアについて、さらにはクオリアを取り巻く現状については、なんかとにかくややこしくて、自分で理解できてるとは思えないので、たぶん誤解が散在しています。
そこんとこは自分で調べてください。
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トマトや苺やりんごを見て、「赤いやつ」と思ったり、空を見て「青い」と思ったりする、「感覚に伴った鮮明な質感」のことを「クオリア」と呼ぶらしい。
トマトや苺っつったって、ヘタは緑だし、りんごも下半分は意外に白かったり緑だったりする。そういったとこらへんを度外視して直感的に「赤いの」と思う。空だって白い部分もあれば、黄色、赤の部分、夕空もあるのに、「青」と言えてしまう感じ。
この仕組みをクオリアと呼ぶんだそうだ。
たぶん「青い海」と感じるのもクオリアによるものなのだろうし、「マシュマロみたいなおっぱい」という言葉を聞けばだいたい、その感じがわかるのも、クオリアによるものなのだろう。
さて、そんなクオリアなんだけども、色んな賢い人が今、懸命に研究をしている。それこそなぜ、「赤いだけじゃないリンゴを見て『赤』と認識するのか」について、叡智が必死に研究をしている。中には父親参観だとか、炊事洗濯だとかも省みず、日夜各々のやり方で研究をしているのであろう。
それなのに、実は、クオリアの仕組みについては、もう全っ然わからないらしいのである。
リンゴを見て「赤いやつ」と考えてしまう理由が、もう全然わかんないのだという。
また「わかる」だけではなく「説明できる」というのも研究には大切な部分であり、今まで多くの学者が何度もわかった気になって「論文発表」という形で説明を行なってきたのだけど、今度はその説明が、よくわからない、穴が多い。みたいなことになってきちゃって、いよいよクオリア研究は暗礁に乗り上げた。
すると、研究があまりに進まないせいで、議論が矛先を変え始めて、例えば「ってゆーか、オレの専門ちゃうし、は?マジで、は?」みたいなことを言い出す輩が出現してきたのである。
「クオリア」というのは素人目には脳科学の扱う分野に見えるのだけど、なんだったか、詳しいことを度忘れした…というか、理解できなかったのだけど、それこそ物理学とか、なんちゃら科学みたいな分野にも当てはまらないこともない、そもそも、「クオリア」自体の正体が全くわからないのだから、逆にどんな分野にも当てはまっておかしくないのである。
最初は、我先にと名乗りを挙げて、自分の専門分野でクオリアを解き明かそうと躍起になっていた人たちも、あまりの手応えのなさに、どんどん意欲をなくして、「知らんし、脳科学の人がやれや、は?は?」と言い出した。悲しい話である。
そんな中、とある学者が、「完全に元も子もない」みたいなことを言い始める。
「我々が人間である以上、我々はクオリアを理解することは不可能である」
つって。
曰く、「なぜ認識するのかについて、認識させられている側にはわかるわけがない。認識させられてるものがクオリアを理解してしまうのは、認識させている側からすれば不都合なことだから、理解できないようにしてる」的なことである。
つまり、認識させている側を『脳』と考えたら、クオリアの正体について考えるのは各自の脳なわけで、その脳がクオリアの正体を隠したがっているから、脳に鍵をかけている、みたいなことを言うている。ドグラマグラみたいやな。
ちなみにあの有名な脳科学者、茂木健一郎氏もクオリアの研究者であるが、彼がどんな学説を支持していたかとか、そもそもそもどんな学説があったかさえ、僕は覚えていない。だって難しいんだもん。
ただ、「リンゴを見て赤いと思うのは何故だろう」と想い、そういった現象に「クオリア」と名付けた一連が素敵じゃないか。
この先、万が一金田一、「クオリア」が少しく有名になってきたりしたら、音楽とかロールプレイングとかのタイトルで、『夏のクオリア』っつって、あの夏、僕は何故だろう、彼女に急に恋をした、みたいなラブソングだったり、『テイルズ・オブ・クオリア』つうシリーズ最新作が出たりするかもね。でも、最前線で研究している人にだって、クオリアがなんなのかわかってないのだから、安易にクオリアには手ぇ出さん方がいいような気もする。
安易なクオリアは身を滅ぼすぜ。
※クオリアについて、さらにはクオリアを取り巻く現状については、なんかとにかくややこしくて、自分で理解できてるとは思えないので、たぶん誤解が散在しています。
そこんとこは自分で調べてください。
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