『街場のマンガ論』/ 内田樹

街場のマンガ論

『街場のマンガ論』/ 内田樹

『日本のマンガはなぜクオリティが高いのか』について、『日本語』という言語が「ひらがな・カタカナ」という「表音文字(文字)」「漢字」という「表意文字(絵)」の混在で形成されていて、日本人はそれを読むことになれている。これをマンガにあてはめると、マンガのコマ内の「絵」「表意文字」で吹き出しの科白や擬音語・擬態語が「表音文字」にあたるため、日本人は絵の動きの中で文字を読むことを、漢字とひらがなが混在する日本語を読むのと同じように簡単にこなすことができるが、アルファベット(表音文字)しか使わないような国ではこういう作業ができないという論説を展開し、アメコミを例に出して、アメコミの登場人物は、派手に動くときには全然喋らないし、何かを喋るシーンでは全く人物が動かないという点を指摘している。

事実、ジャパニメーションは現在世界に広がっているが、実際に『マンガ』まで読んでいる外国人は少なく、映像による『アニメ止まり』の人が多いという部分に触れ、そこからフランスの小学6年生の非識字率が10%以上にのぼるのに対し、何かと批判される日本の初等教育ではあるが、非識字率はほぼゼロである点まで言及していく著者、内田樹は神戸女学院の先生で、フランス文学を専攻しながら合気道の師範を務めているという、よくわからない人である。

その他にも、宮崎駿の映画ではなぜ限定的な年齢の少女が主役を務めることが多いのか『借りぐらしのアリエッティ』に見るリアリティと、残念な点について。
漫画家は絵がうまくなるごとに、ストーリー制作能力が飛躍できるという説明、少年漫画と少女漫画の違いを“少年漫画では決して描かれない「あるひとつのこと」が少女漫画では描かれている”というかたちで説明し、少女漫画を読まない養老孟司との対談の中では、「世の中には少女漫画が読める人と読めないという人がいる。見分け方は簡単で、『冬ソナ』で泣けるか、泣けないか。前者は少女漫画が読める人」というとてもわかりやすい説明をしてくれている。

他にも、なぜ竹宮恵子や萩尾望都、山岸涼子や大島弓子を始めとする『名作少女漫画』にアメリカを舞台とした作品がないのかや、『ボーイズラブ論』として、潜在的反米ナショナリズムを引き合いに出して、「最も時代感覚に優れた少数の漫画家が、アメリカの否定したcultureを愛おしげに描いたのが、ボーイズラブではないか。」と言ってみたり、『井上雄彦論』として「井上雄彦は天才である」ことを説明してみるなど、目から鱗の論説がもりだくさんだった。

この人は最近世間を騒がせている池上彰に似ている。

「説明がうまい」のである。説明がうまいと、その人の考えが正しいように思えてくるのが不思議だ。実際、アンチ内田やアンチ池上と呼ばれる連中もたくさんいるけれど、彼ら彼女らの言うてることは、総じて「わかりにくい」のである。我々ドシロウトにとって、専門的知識の「厳密性」はそんなに大切なことではない。内田樹や池上彰がわかりやすいのは、彼らの言うてることが「極論だから」だと思う。

実際、この本の中で、内田樹は「即答を信条としているので、学生から質問を受けて、それが答えに窮するような場合は、とりあえず『それはね、日本人の反米ナショナリズムに由来するんだよ』と言っておくことにしていると突拍子もないことを言うているが、その後に続く説明には、「なるほどなぁ」と頷かざるを得ない。

この本も、極論に満ちている。でも、だから面白い。
何気なく読んでいた『バガボンド』『スラムダンク』『動物のお医者さん』にそこまで深い意味があったとは・・・そんなナショナリズムに依拠していたとは・・・そんな驚きばかりである。それが『間違い』かどうかなんて、どうでもいいのである。

反論したければ、徹底的に研究する必要がある。でも、そこまでナショナリズムには興味ないもの。

そういった大きな問題に興味ない人も、井上雄彦や宮崎駿や手塚治虫や少女漫画やボーイズラブが好きな人なら楽しめる本だと思う。

オススメの★5つ。

『街場のマンガ論』 / 内田樹
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