11.09.2010

ばあちゃんの深み。

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齢、九十三になるばあちゃんの話がいちいち面白く、また含蓄があって飽きない。考えようによっては、九十三の老婆になら何を喋らせても面白いし、全てが深いのかも知らんが、だとすれば尚更、彼女が九十三まで生きていてくれたお陰で、こんな楽しい話を聞かせてもらえるわけだから、輪をかけて感謝したい。

ばあちゃんは今、週に2日、デイケアサービスに通っていて、そこでは毎回趣向を凝らした催し物が行われるのだけど、趣向を凝らしているのは飽くまでスタッフサイドであり、少なくともうちのばあちゃんは、そういった類いが大嫌いで、催し物への愚痴、罵詈、雑言を吐かせたら2時間、重複なく簡単に喋れるんちゃうかと思うほどである。

ある日、そんな気乗りのしない催し物に際して、年齢別にチーム分けをする必要があったため、年を訊かれたばあちゃんは堂々と「七十歳」と答えて表情ひとつ変えなかったという。

うちのばあちゃんは、そのデイケアサービスセンター内でも最高齢であり、齢九十を超えていることは周知の事実、なんなら、「90歳を超えて、体の中で悪いのが膝だけっていうのがスゴい」と驚かれるほど心身ともに元気な、ある種のアイドルなのだけど、当の本人はそーゆーことではなく、女として、おもっきりサバを読んだのだという。

バレバレの嘘を、一切の躊躇いもなくついたという豪胆さ、嘘をつくにあたり、一気に20歳もサバを読んだという勇気、20歳もサバを読んだのにまだ70歳だという凄まじい事実、僕はばあちゃんの色々に感動し、無表情でそんな話を聞かせてくれるばあちゃんに「オレが20歳もサバ読んだら8歳やで」と言うたところ、「あんたはまだいいで、若いから」と不服そうにテレビに目を向けたから、余計面白かった。

28歳の人が、22歳の人に「君はまだ若いから良いよ」と言うような、そんな感じで、ノリで、顔で、93歳の人が、28歳に言うているのである。

僕は笑って「そっかぁ、オレってまだ若いんやなぁ」と口にする。ばあちゃんはそんな僕をやっかむように見ている。楽しいな、楽しいな。


ばあちゃんは、客間にある仏壇に毎日、朝晩念仏を唱えている。実家では僕は客間に寝泊まりするので、ばあちゃんのお勤めと遭遇することも多く、その時は隣で手を合わせるのだけど、過日、手を合わせ終えたあと、ばあちゃんに「いつも何をお願いしてるの?」と尋ねてみたら、ばあちゃんが停止した。あ、死んだ、と思った。少しして、ばあちゃんは「あんた、何を言うの?」と、心底信じられないものを見ているような目で問いかけてきた。

婆曰く。

「お願いなんてしとりゃせんよ、感謝をしとるんよ」

とのこと。

朝は「今日も新しい一日を迎えることができました、ありがとうございます」、夜は「今日も一日、無事過ごすことができました、ありがとうございます」と言うているのだそうだ。

「そうなんや、てっきり『見守ってください』とか『みんな元気に過ごせるように』みたいなこと言うてるんかと思ってた」と言うと、「そんなこと、こちらに言うても仕方ないが」とだけ、ばあちゃんは言ったから、僕はハッとして、なるほどなーと思って、「そうか、じいちゃんやもんなぁ」と返すとばあちゃんは「ザッツライト」的な顔になっていた。

あー愕然とした。

毎日念仏を唱えるくらいだから、何かを願っているのだと思ったら、願っているのではなく、感謝していると聴いた。つまり、念仏に対する効果なんて期待していなくて、むしろ「お陰様で生き長らえました」と報告、つまり「生き長らえさせてもらったこと」への『効果』について「感謝」を返しているのであり、先攻と後攻が逆だったのである。

ばあちゃんは、仏壇の向こう側になんの期待も願いもしていない。仏壇の向こう側からの行為を創造して、それに感謝している。「なぜ願わないのか?」と訊くと「お祖父さんにお願いしたって仕方ない」と、死んだ爺さんを生前のままのスケールで認識し、つまり、爺さんごときに「救う」「見守る」もできるわけがないと、ばあちゃんは判断しているのである。

何より、なにかにつけて都合よく、行く末の願いや祈りといった投資的未来像ばかり仏壇にぶちまけていた僕の隣で、ただ純粋に、現在までの自分の来し方を毎日欠かさずひたすら感謝しているばあちゃんは美しく、「何をお願いしてるの?」と訊いたときの、あの純度100%の「何を言われたのかわからない」という顔、一点の曇りもない感謝の表情を浮かべる93歳を前に、こら勝てねーわっつって。

ばあちゃんは、毎回別れの際に「もうこれで最後だ」と言う。もちろん僕は「それ、何回目?」と返すけれど、93歳である。年々、それもない話ではなくなってきている。

ばあちゃんはきっと近いうちに死ぬだろう。来年かもしらんし、5年後かもしらんけど、30年は生きられるわけがないし、今からさらにそんなに生きさせたるのもなんか可哀想な気がする。

つまり、人生をきちんと生きてきた人なのである。生きたくても生きられなかった人もいるし、死にたくて死んでいった人もいる。優劣の話ではなくて、事実、ばあちゃんはそのどちらとも違い、まぁ生きた人なのである。ばあちゃんが死んだら悲しい。みんな泣くだろう。でも、ばあちゃんはきっと死ぬだろう。

周りから、そう思われることの凄まじさが、そこにはあるような気がする。全て乗り越えて、本当に、字義通りの「余生」を送る姿、今、まさにこの日記を書いているとき、ばあちゃんは連結する自分の部屋で、暴れん坊将軍を見ていて、襖が開け放ってあるので、僕から、その尊い存在、ばあちゃんの姿は丸見えなんだけど、そんなばあちゃんをジッと見ていたら、ばあちゃんはばあちゃんで、なんか急にこっちを見てきて、先にギョロ見したのはこっちやけど、あれ、ばあちゃん、なんかめっちゃこっち見てきてる、あれ?なんで?

つって、たっぷり2分は見つめ合い、ようやく我慢できなくなった僕が「どしたん?」と訊いたら、「その、携帯電話でパチパチするのが終わったらでいいから、おじいさんに挨拶させてもらっていいかな?毎日しとるもんで」っつって、ばあちゃんが、物凄く申し訳なさそうに言うてきた。

僕は「いやいやいやいや、ごめんごめんごめんごめん、全然やって、全然やって」と謝って、そしたらばあちゃんは笑顔満点になって、膝が悪いからゆ~っくり今、こっちの部屋に入ってきて、仏壇を開いて、そろそろ毎日お勤めが始まりそうやから、こんな下らない日記はおしまいである。



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