11.10.2010

新説・草食系男子論。

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巷間では、異性に対して積極的ではなかったり、異性に興味がなく恋愛に能動的ではない男性陣を「草食系」と称してムーブメントが起こって久しいが、「草食系男子」について論じるとき、なんだか女性がやたら上から目線で意見しているように思うのは、ぼくが男性だからだろうか。

たとえば、「草食系の方が良い」だとか「可愛らしい」だとか「ガツガツ来られるよりいい」みたいな意見を耳にする度に「お前ら一体ナンボのもんじゃい」と思ってしまうのは、ぼくが虐げられている肉食系男子であることの証左なのだろうか。

だからということではなくて、先日とても暇な時間があったので、「草食系男子がなぜ生まれたか」について考えてみた。これは「草食系男子という言葉がなぜ生まれたのか」という意味ではなくて、文字通り、「なぜ異性に対して積極的ではない男性が生まれたか」を考えたのである。もちろん、異性に興味のない男性だって縄文時代からいたのだろうけれど、ここまでフィーチャーされているということは目立っているということで、目立っているということは、絶対数が多いということであろう。

目立つほど大量に、なぜ草食系男子が発生しているのかについて考えたとき、ぼくは「女子の未来が危ない」という結論に達し、ぼくにできることなんて皆無と言えるテーマではあるけれど、少しでも多くの女子、敢えて言うなれば「勘違いしている女子」の目を覚ますべく、ATOKを立ち上げたのである。

まぁATOKは常に立ち上がっているけれど。

「勘違いしている女子」が何を勘違いしているのかというと、それは「草食系男子からは、従来の男性が持っていた本能的な欲求が欠落している」という勘違いである。「牙を抜かれた虎=安心」というイメージを草食系男子に持っているとしたら、僕はそれは違うと思うのである。

例えばぼくが肉食系男子だとして、ぼくと草食系男子とだったらどちらが扱いにくいかというと、それは間違いなく「草食系男子」である。

というのも、草食系男子は、まず出自からして違うのである。
時間を思春期まで遡ろう。

ぼくが思春期の頃は、もう落ちてるエロ本ばかり探していた。田舎道沿いの溝に目を凝らして、お宝はないかお宝はないかと、必死に探していた。ようやく見つけたエロ本も長年風雨にさらされたせいでページをめくるのもままならないほど劣悪な状態であったり、ページをめくった瞬間に夥しい名も知らぬ虫が吹き出してきたりした。

仲間内でエロ本探索を行った際、無傷のエロ本を見つけた人間は向こう3年間の安泰を保証されるほど英雄視された。ぼくは一度、無傷のアダルトビデオを見つけたこともある。しばらくは神様のような扱いを受けたものである。

このように、僕らの思春期というのは、女の裸、そのためだけにあったといっても過言ではない。

おっぱいが見たかったのである。おっぱいを見るために草むらに飛び込んではあちこちに擦過傷をこさえ、爪の間に泥を食い込ませ、体中を蚊に刺され、傷だらけになった。全てはおっぱいを見たい、ただそれだけのためであった。そして、おっぱいを見るというだけのために、そこまでしなければならなかったのが、僕の時代である。

しかし時は経て、インターネットなどの普及、郊外の開発などが進んで行くに従い、おっぱいはお手軽に手に入るようになった。家庭のPCにフィルタをかけている両親がどれだけいるか知らないが、「おっぱい」と検索すればおっぱいが見れる時代である。コンビニでファッション誌を立ち読みしているフリをして簡単におっぱいが見られる世界である。

おっぱいなんて余裕なのである。

そういう時代の寵児たちは、もはや「ただおっぱいである」ということだけでは満足できない、琴線に触れないのではないか。それが「草食系男子」なのではないかと思うのである。

前述の通り、おっぱいに苦心した僕らは、今でも尚、おっぱいが見られるならなんでもしますという姿勢がもはや脊髄に刻み込まれている。目の前にぶら下げられた普通のおっぱいを手に入れるために、ついうっかり鵬程万里追い掛けてしまうのである。

しかし、昨今の草食系男子はそうではない。おっぱいをおっぱいとしか思わない。普通のおっぱいは普通のおっぱい。「え?べつにおっぱいならガキの頃からずっと見てきたけど?」という感じなんじゃないだろうかと思うのである。


そうして発生したのが草食系男子だとすると、女子が危ないと思うのだ。

今まで女性は、女性であるというだけで付加価値が載せられてきた。なぜならおっぱいを隠し持っているからである。そのおっぱいを手中に収めるべく、男子は躍起になってきたものだから、女性は特別な努力をせずとも、ある程度の価値を手に入れられたのである。しかし時代は変わり、草食系男子が跳梁跋扈する世の中となった。

これまでであれば、さしたる努力をしなくとももて囃された女性が草食系男子からは見向きもされなくなる。「ほら、おっぱいあるよ、ここに」とふっかけても、先述の通り「それがどうしたの?」と流されて仕舞いとなる。

女性はある側面において、男性に対して圧倒的に優位に立てる。それは、特に「性」が仲介する場面において顕著であると思う。異論はあるかもしれないが、しかしおっぱいを見るために汗を流してきた男性と、ちんちんを見たいがために額に汗してきた女性の絶対数が同じだとは誰も思わないだろう。

「性」における優越度が低くなっているのである。乱暴な言い方をすれば「広義のセックス」を盾にした交渉術は今や通用しない。それは、「ドライブに連れて行ってもらう」とか「晩ご飯をご馳走してくれる」というものにも波及する。

さっきからずっと乱暴な言い方だけれど、男がドライブに連れて行くのも、夕食を奢るのも、全ては「おっぱいが見たいから」なのであり、だからこそ女性はそれを切り札にすることができた時代があったのである。

例えばぼくも、キャバクラやクラブ、ラウンジというモノがあまり好きではない。これらは煌びやかな服装を身に纏った女性陣が酒を注ぎ、煙草に火をつけてくれ、和談できるという店であるが、ぼくはどうして金を払ってまで見ず知らずの女と会話をしなければならないのだろうと思うのである。

しかし中年諸兄にはそういう場所が好きな人が多い。それは「お金でも払わないと、若い女性が会話してくれないから」と言うこともできる。家庭では妻や娘に虐げられ、同級生はみな同じように年を重ねている。会社の若い女性社員に声をかければ怪訝な目で見られてきた中年が辿り着いたのがそういった店なのだろうが、僕はまだそこまで若者とかけ離れていない。

ぼくと中年の違いと、草食系男子とぼくとその違いは似ているように思うのである。

女性が女性であることを切り札にすることができなくなった。違った付加価値が必要となってきた。隣に座ってにこにこ酒を注ぐだけではやっていけなくなってきた。

正直、草食系男子っていうのは、僕らなんかよりもずっと変態なんじゃないかとぼくは思っている。正面からおっぱい見れたら充分満足だった僕らに比べ、簡単におっぱいを手にできてきた彼らは、「それじゃあただのおっぱいでしょ。もっとなんかこう、特別なおっぱいにできないの?」という一段階上の要求が、彼らにはあるように思うのである。

そんな彼らに対し「可愛い」だの「安心」だのとお姉さん目線で接していると、そのうち置いて行かれるんじゃないかと、老婆心ながら心配しているのである。

では、「勘違い女子」はどうしたらいいのか。

今からでも遅くないから、ちんちんを見るために、草むらに踏み込んで擦過傷をこさえ、全身を蚊に吸われるなどの修行に励み、艱難辛苦を珠と為す努力をすべきではないかと思う、これがぼくの『新説・草食系男子論』である。




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