今、希望が指をすり抜けていく。

禿げてきている、完全に。



どうしよう。本当に禿げてきている。

「まさか禿げてくるとは思わなかった」とは言わない。親父も禿げているし、父方の祖父なんて禿げてしかいなかった。禿げの塊であった。ただし、若干期待を込めていた部分もあって、それは、ふっさふさのロマンスグレーだった母方の祖父である。僕は体質的に、痩せぎすな部分も頭痛持ちな部分も神経質な部分も完全に母親譲りなので、頭に関してもその流れを汲んでロマンスグレーに辿り着けるんじゃないかと思っていたら、禿げに関しては父方であった。

これは一体どういうことだろう。

双方のダメな部分ばかりを遺伝させて、神様は一体僕にどうして欲しいのだろう。

僕は色白のガリガリで、頬がこけており、鷲鼻で耳が妖精のごとく尖って、前に向かってピンと立っている。そう、禿げには不向きな外見をしているのである。よく、「禿げたら潔くスキンヘッドにするぜ」と言う人がいるが、それはお前がスキンヘッドが似合うから吐ける科白であって、ちゃんちゃらおかしいぜ、オレに言わせたらよ。

昨晩のことだった。
シャワーを浴びて、一心地ついて、歯を磨こうと洗面台に立ったとき、鏡に映る自分の頭、その分け目に釘付けになった。分け目が、笑えないぐらい太かったのである。もう、人一人が渡れそうなほどな真っ白な分け目が、生え際から奥に伸びて、そして消えていた。まるで北海道のようであった。「まるで北海道のようだ」と呟いても僕は笑えなかった。分け目の両サイドには力なく倒れる毛髪たち。彼ら彼女らには立ち上がろうという意志がまるで感じられず、まるで死んでいるようだった。

思い返せば特に最近、洗髪をしているときに、無意識に顔面を摘む回数が増えている。これはつまり、抜け落ちた毛髪が顔面に張り付いているのを取り除いている動作であり、つまり紛れもなく髪の毛が抜けているということである。

鏡を見つめること数分、「育毛しかない」と僕は決意した。

金子の及ばない毎日ではある。通常生きていくのにも一苦労だ。しかし、まだ禿げてはいけないと思う。僕はまだ禿げてはいけない。男一匹28歳、今禿げられては困る。50、60になるまでは待ってくれ。それから好きなだけ禿げ散らかってくれればいい。まだ時は満ちていない。It’s too early.である。今はまだ禿げてはいけない。

禿げちゃダメだ、禿げちゃダメだ、禿げちゃダメだ。

禿げては事を仕損じる。
伴侶を失い、髪まで失う人生というのは、今の僕には酷である。

だから、育毛を決意した。

ということで、早速インターネット(僕の家はフレッツ光だからインターネットがとても高速なのだ!!)で評判のいい育毛剤を片っ端からあたってみたところ、育毛剤の糞歩危野郎、2ヶ月やそこらで使い切る量のくせに1万円近くしやがるじゃねぇか。馬鹿野郎ふざけるんじゃねぇこの野郎、と毒吐いて、同量で2千数百円の薬剤を発見したのだけれど、レビューを読むと、一様に「2千数百円を返せ! このペテン師が!」と書いてある。一方、1万円の薬剤については「確かに高値ではあるけれど、効果が実感できました。毛に腹は替えられません」的な感想が多い。貧乏生活真っ只中な僕なので、当然、一個のレビュー拝見で即断するほど馬鹿ではない。そこから数多くのホームページをチェックし、その間も常に、毛が抜けてやしないだろうか、毛が抜けてやしないだろうかとドキドキしながら、最終的には1万円育毛剤をクリック。カートに入れて、一回深呼吸をしたり喫煙をしたり放尿をしたりして、平常心を取り戻してから購入手続きに進んだ。そこからはなし崩し的に話題の育毛シャンプー『スカルプD』も購入した。シャンプーとリンスで、同じく1万円もした。

合計2万円も出て行った。

どのホームページを見ても、「育毛は一日にして成らず」といったことが書いてある。最低でも効果が現れるまで半年はかかると書いてあるし、「1つの育毛剤に頼ることなかれ」とも書いてある。育毛ビジネス、ガッポガポではないか。

ということで、僕はついに育毛を始める。思春期より以前、チン毛も生える前からの知り合いも読んでいるこの日記で、育毛の話題に触れることになる日が来るとは思わなくて、俯いたら一本、髪の毛がまた抜け落ちた。



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